第6話 ミルクの香り、オイルの匂い
「天使のような君がボクの前に舞い降りた瞬間、インスピレーションの
地面を凹ませた着地は天使が舞い降りたと言うよりは隕石の落下に近いのだが、そんなことはトマの妄想力が完全にカバーしてしまっている。恐るべし、小説家の脳内。
「昨今のラノベ界隈の一大ジャンルはSFだ! 科学の発展でAIロボットが大量生産できる時代に突入してからは特に美少女ヒューマノイドと人間のハーレムラブコメが流行りに流行りまくっている!」
「ハー……、ラブ、コメ……?」
完全に話について行けないクロエ。だが目の前の悪行にハッとして、ミシェルの手を握るトマの甲を叩き落とした。油断も隙も無い。
だが今回のトマはめげなかった。ミシェルを熱い視線で舐めるように見つめ、高い鼻の穴を広げながらフンフンと興奮気味に語る。
「20年前まではファンタジー異世界へ転生してスキルやギフトを授かってチートして可愛い女の子と結ばれる作品で溢れていた! 中世西洋を軸に悪役令嬢の中の人としてイケメンたちと大恋愛をするなんてジャンルも流行ったな! だが流行は巡るものだ! 2044年現在はSF! 隕石由来の未知の鉱石・ミティアライトによる圧倒的な科学の進化に、ボクら小説家の妄想力は大気圏を突破した!!」
力説するトマにノエル姉弟は揃って「へ、へー……」と返すしかない。何を言われても早口の呪文のように聞こえる。
ちなみにトマの説明を捕捉すると、ミティアライトとは宇宙開発の副産物である。
流星物質と呼ばれる隕石の一種で、『地上から肉眼で確認できる流星の素』と言われている。
今では街の商業施設や生身では危険な作業現場などに、人間を模したヒューマノイドが溢れている。
ありとあらゆる分野から熱い視線が注がれている近未来技術。そこに美少女要素を追加したラブコメジャンルが人気だそうだ。
「きっと二週間後のジャパンフェスタには、人気作家たちの尊いSFラブコメが集まるであろう!!」
「ちょっと、そのジャパンフェスタって何よ」
「ジャパンフェスタを知らない、だと……!?」
無知を侮辱された気分になったのか、クロエは顔を赤らめながら「いいから教えなさいよ!」とぶっきらぼうにせっつく。
「高飛車な銀髪……イイ……」などと妄言を吐き始めた小説家の脇腹を、弟が容赦なくつねった。ちなみに林檎を握り潰せるほどの握力を持っている。
「あう゛っっったわば! この銀髪姉弟、殺傷能力が高すぎる! インスピレーションが止まらないっ!」
なぜだろう、無性に黙らせたい。ミシェルはそんな衝動に駆られた。
怪しく光る丸眼鏡の奥に潜む瞳を蕩けさせたトマは咳払いをして、得意げに口を開く。
「ジャパンフェスタは、アニメや漫画など日本の誇るサブカルが一堂に集まる一大イベントさ! ジャパニックの影響で延期されていたから、開催は2年ぶりになるな」
日本の首都を襲った大地震から2年。
ビルは崩落し津波に呑まれ――そして誰もいなくなった街には、この災厄を引き起こした一体の巨像が居座った。
全てのデイドリーマーズの頂点に君臨する不可視の巨像、
その影響によって、壊滅的被害を被ったトーキョーの復興は今も叶っていない。
「今年の目玉は復興支援も兼ねて初めてブースが設置されるWEB小説部門だね! 日本の有名ラノベだけじゃなく、フランスの名だたるWEB小説作家が自信作を持ち寄って展示するんだ!」
「フランス中のWEB小説家が集まる、ですって……!?」
「ああ! WEB小説はオンライン上でイベントが頻繁に行われているけど、こうして一カ所に集まるのはとても珍しいんだ! ボクも抽選でプレミアムチケットが当たったから、新作を出そうと意気込んでいたのさ!」
誇らしげに語るトマ。一方でクロエの表情はどんどん険しさを増す。
なぜペンギンがノルマンディー地方からパリへ移動しているのか、ずっと疑問に思っていた。
彼らは小説家の魂を好んで食べているわけだが、一般人の中にそれほど多くの小説家がいるとは思えない。より多くの魂を求めて人口の多い首都へ移動してきたのだと思っていたが、ペンギンの目的はおそらくジャパンフェスタ――WEB小説家の魂を入れ食い状態で爆食するつもりだ。
急いで対策を打たないと、被害は甚大なものになってしまう。
だがそんな危機が迫っているとは
「注目度の高いジャパンフェスタへ出展できるのは作家人生最大のチャンスだ。あれこれ悩みすぎてこんな有り様になってしまったけど、決めたよ」
「何をです?」
不思議そうに聞くミシェルの両肩をトマが力強く掴んだ。
その姿を見て再びクロエの頭に血が上る。
引き剥がすために席を立とうとした時、今度はトマが彼女の地雷を踏み抜いた。
「ボクも時流に乗ろうと思う。もちろん作風で妥協したりするつもりは一切ない。だから君を探していた! ボクの作品のモデルになってもらうために!」
「ぼ、僕を……?」
「ああ! だって君、サイボーグだろう?」
その一言によって、一瞬で空気が張り詰める。
だが興奮しきったロマンシエは、絶対零度で周囲を凍てつかせるクロエの変化に気づかない。
「あの身のこなしはヒューマノイドには不可能だ! それに君からはプログラミングされたAI特有の言い回しや
「あの……」
「ねぇ、どんな
「ぼ、僕は――」
――バァンッッッ!!
比喩ではなく本当にガラス製のカフェテーブルを叩き割ったクロエが、ゆらりと席から立ち上がった。
取材と言う名の無神経な質問をずけずけと続けていたトマも、余すところなくヒビが入った天板を見てさすがにギョッとしている。
「死にたくなかったらその無駄口を閉じなさい。そして二度と私たちに関わらないで」
彼女は本気だった。本気で殺意を向けている。トマがあと一言でも喋ったらすぐ喉を掻き切れるよう、ドレスの下に隠したダガーナイフへ指を伸ばすほどに。
脅しや冗談の
「ミシェル、行くわよ」
「……はい、クロエ姉様」
腰を抜かして言葉を失っているトマを一瞬だけ振り返ったミシェルは、彼に声をかけることなく背を向けた。それがトマのためでもある。これ以上関われば、本当に殺されるかもしれない。彼はクロエがひたすら目を背け続けている現実に土足で乗り上げ、無残にも踏み荒らしてしまったのだから。
無言で足を進める姉の背中をじっと見つめる。
指先からは血が滴っていた。さっきのガラスで切れてしまったのだろう。
ポツリポツリと石畳に落ちる赤が、まるで涙のようで――ミシェルは彼女の隣まで走って手袋を外すと、そっと手を握った。
「……ミシェル?」
人工皮膚に包まれた鋼の指先が血で汚れていく。
かつてのミシェルにも同じ赤が流れていた。
今は関節部品がスムーズに動くためのグリスと、内部の動力を循環させるためのオイルが詰まっている。
「……姉様は本当に、いい匂いがしますね」
香水や化粧品、柔軟剤の匂いとは違う。唯一残る生身の脳に刻み込まれた、優しいミルクの香り。
もうすぐ21世紀の半分を終えようとしている今、サイボーグが所有するそれは『記憶』ではなく『データ』と呼ばれている。
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