第5話  暴走ロマンシエ




「なっ、何なのよあんた! もしかしなくても私のストーカー!?」


 閑静なアパルトマンの廊下へ吹き飛ばしてしまった怪我人に向かって、クロエは至極当然のように言い放つ。

 己の美貌は本人が一番よく理解しているし、経験則だ。異論は認めない。


 何はともあれ、玄関の前で待ち伏せしていた青年が怪しいのは事実だ。

 自分たちは昨日が初対面で、名前や住所など何一つ教えていないのだから。


 冷たい床に頬を打ち付けた青年は慌てて上体を起こし、銀髪の女神を見上げる。


「ち、違う! ボクはあなたのストーカーじゃない!」

「じゃあウチに何の用なのよ! というか、なんでここがわかったの!?」

「銀髪の美人姉弟を知りませんかって色んな人に聞いたら親切に教えてくれたんだ!」

「び、美人? あらそう……って、個人情報じゃない!」


 素直な賛辞に流されそうになりながらも、なんとか冷静さを取り戻す。

 美麗な容姿がここであだとなった。『美しすぎるのも罪だわ』なんてことをクロエは本気で考えてしまう。


「姉様、大丈夫ですか?」


 玄関先で何やら騒がしい姉の後ろからミシェルが不思議そうに顔を出す。

 そして青年とサングラス越しにがっつり目が合った。


 一拍の静寂の後、青年がギプスに包まれた左足を引きずり物凄い勢いでミシェルの元へ這う。まるでゾンビだ。普通に怖い。


 謎の圧に気圧けおされたミシェルが一歩後退するが、ゾンビは素早く手を伸ばして獲物を捕らえる。

 ――手袋に包まれた少年の手を。


「やっと会えた、ボクの天使アンジェロ!」

「……は?」


 声だけでダメージを浴びそうなほどドスの効いた「は?」はクロエのものだ。

 ミシェルはサングラスの奥に隠された瞳を見開いて言葉を失っている。


「……私じゃなくてミシェルのストーカーってわけねぇええええええ!!!!」

「ぎぇえええええええ! ち、ちが、……あべし!! いででででででで!!!」


 手袋の甲をスリスリと撫でて黒革の感触を堪能する男。その後頭部を阿修羅が鷲掴む。黒光りするネイルが頭皮へ深々と食い込んだ。


 それからクロエによって文字通り半殺しの目に遭った青年を引きずりながら、三人は近くのカフェまでやって来た。

 見目麗しい銀髪姉弟とボロ雑巾ぞうきんの三人連れ。当然周囲から浮きまくっていたが、クロエは構わずテラス席にドカッと座り、しなやかな足を組む。

 スリットから覗く魅惑の三角ゾーンが眩しい。それをチラチラと盗み見て、青年は思わず血で汚れた鼻の下を伸ばす。欲望に素直な男だ。

 その様子を目敏めざとく見ていたミシェルが「目玉えぐりますよ」と、天使とは程遠い台詞を吐いた。


「で、私のミシェルに何の用なの? 家の前で待ち伏せなんかして、警察呼ばれてもおかしくないわよ?」


 むしろ警察のご厄介になった方が穏便だったのでは、と疑いたくなるくらいの惨状だ。

 青年はフレームが曲がった眼鏡をかけ直しながら「銀髪はこの世で最も清純な生き物じゃなかったのか……?」とぼそりと呟いた。

 そして改めてノエル姉弟と向き合う。


「ぼ、ボクはトマ。WEB小説作家だ」

「うぇぶしょうせつぅ?」


 いぶかし気にクロエがトマを睨みつける。

「ヒィッ!」と大袈裟おおげさに怯えた様子のトマを尻目に、ネットの海へ直接ダイブしていたミシェルが口を開いた。


「検索完了しました。WEB小説――ネット上に公開されている小説のことです。世界的に製紙規制が始まってから閲覧数は右肩上がり。特に日本由来のラノベと呼ばれるジャンルが大人気らしいですよ」

「そ、そう! ライトノベル! 娯楽と感動のジェットコースター! 非日常を楽しめるお手軽ファンタジーとノンストレスがお約束! この暗鬱あんうつとした世界を照らす一筋の光!!」

「急によくしゃべるじゃない」


 今度はクロエが圧倒される番だった。

 あいにく彼女は読書家ではないし、活字文化は紙と共に滅んだとさえ思っていた。文字は文字というデータでしかない。


 だが実際はどうだろう。

 文化は滅ぶどころか未知の大帝国を築き上げた。今では長く語り継がれるフランス純文学と共に一大ジャンルとなっている。


 トマは特にクール・ジャパンのラノベが大好きで、自ら熱心に筆を執るほど傾倒していた。


「実はずっとスランプでさぁ……。そのストレスのせいかな。ここ最近は悪夢にうなされて、気がおかしくなってたんだ。だから昨日はあんなことを……」

「悪夢、ですか?」

「ああ。変なペンギンがずっと『進捗は?』って聞いてくるんだ。一文字も書けてないのに。振り切ろうと思って走ったらペタペタ、ペタペタって足音を響かせて大群で追って来るんだ。そのうち昼間も幻聴が聞こえるようになって……うぅ、思い出しただけでもゾッとする……!」


 ホットコーヒーが入ったカップを持つトマの手が震えている。


 間違いなく背後に張り付いていたあのデイドリーマーズの影響だろう。

 どうやら小説家たちを追い詰める言葉を吐いて自殺をうながしているらしい。感受性が高く繊細な作家には効果は絶大だ。

 ミシェルがそう推察していると、それまで話を黙って聞いていた赤いルージュが開かれた。


「進捗を聞かれるのがストレスなの……? なら書けばいいじゃない」


 たったそれだけのことなのに何がそんなに苦痛なのだろう、さっぱりわからない――そんな口調だった。

 これがWEB小説家の地雷をぶち抜いたのは、言うまでもない。


 トマは「ガチャン!」と音を立ててガラステーブルの上に手荒くカップを置く。そして両肩を震わせながら、クロエを恨めし気に睨みつけた。


「書きたくても書けないから飛び降り自殺するほど悩んでたんじゃないか……! あなたには人の心がないのか!? それでも銀髪か!?」

「な、何よ、急に大声出しちゃって! て言うかさっきから銀髪銀髪って、何の話!?」

「銀髪キャラとは、一部に妄信的な信者がいる宗教のようなものですね。色素が薄く神秘的で穢れのない凛とした印象。だからこそ汚したくなる二面性を持つ。2022年にはSNS上に『銀髪ムシャムシャ会』という架空団体が立ち上がっています」


 またもや瞬時に検索を終えたミシェルが言う。

 銀髪をムシャムシャとは、なんとおぞましい響きだろうか。


「銀髪ムシャムシャ会は銀髪愛好家からむべき存在として語り継がれる異端者集団だ! 純で無垢な銀髪に触れるなんて、ましてやムシャムシャ食べるとは言語道断!」

「そんな気色悪い集団なんてどうでもいいのよ! 問題はあんたの心の弱さ! そんなんだからペンギンなんかに付け入られるんでしょ!?」

「なにィッ!? 作家にとってスランプは避けて通れない道なんだ! 面白いと思って書き始めたものが急に何の魅力も感じなくなって削除してしまいたくなる衝動に駆られたり! 続きを書こうと思ってパソコンを開いたまま数時間ボーっとしてたり! 『小説を書き始めて三ヶ月、ようやく担当さんが付きました♡ ここまで長かったなぁ~』なんてSNSの投稿を見つけた執筆歴十年でアマチュアのボクの気持ちは!? ボクの作品を待ってくれてる読者はいるのか!? あああああああああアアアア゛ア゛ア゛!!!!」


 突然膝に頭を抱えて発狂したトマに、クロエは狼狽うろたえた。

 テラス席にいた他の客や通行人もチラチラとこちらを見ている。


「だけどそんな時、君が現れた!!」


 急にガバッと顔を上げた狂人が、懲りずにミシェルの手を握った。

 ギンギンに黒光りした目に見つめられて、少年の背筋はスゥッと冷たくなる。


(WEB小説家、頭おかしい)


 ミシェルはしれっと脳内データベースの辞書を更新した。



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