真澄さんがいてくれて、俺でも親になれた気がするよ
「碇主任」
私が深刻そうな表情をしていたためだろう、碇主任は服の袖で腕の傷をしまった。
「なんでなんかな。俺は元々自己肯定感が低いのかもしれん。けど親に、お前はポンコツだって、役立たずで頭の悪い、いつまでも成長しない子供だって扱われてくると、それ本当なんじゃないかって信じてしまうよな」
「碇主任、それ、私が聴いても良いことかい」
碇主任は、手に持った缶コーヒー二つの片割れを私にくれた。
「まあ聴けよ。小さい頃はそういう殺伐とした日常が普通で、当たり前で、穏やかな日々だったんだよ。あれ、なんか俺も日本語変だけど。母親に目の敵にされるのも、親父の気まぐれに振り回されるのも、日常だったんだ。だから、俺はずっとポンコツでいなきゃいけないんだと思っていた」
グイっとコーヒーを飲み干す碇主任。
「でもさ、嫁に出会ったんだ」
みるみるうちに表情が明るくなる。
「俺、新しい世界見つけちゃった、みたいな」
ドヤッって顔をしているその青年に、私は微笑みを返した。
「湖ノ神さまの話に似ているね。碇主任は、新しい世界に足を踏み入れて、大切な宝物を見つけたんだね」
「ああ。湖ノ神の旦那の方と同じで、嫁に出会って世界が一変したんだ」
嬉しそうに話す碇主任に、少しばかり心の距離が近くなったような気がして、私も嬉しかった。
十も二十も年が離れているのに、ずいぶん話しやすい人だなと思った。理由はわからない。理由があったとしても、私と碇主任の関係に理由や名前を付ける必要性もないと思う。
それから何年か、私は碇主任の元でパーキングエリアの清掃の仕事を続けた。
その間に私は、碇主任と家族ぐるみの付き合いをするようになっていた。
碇主任の嫁さんと子供たちと一緒に公園でピクニックしたこともある。
「真澄さんはこの子たちの第三のおばあちゃんみたいな感じだね」
嫁さんはそう言って、私に微笑んでくれる。とても嬉しかった。
自分のために身に着けた児童教育に関する知識が、この時ほんのちょっと役に立ったのも嬉しいことだった。
嫁さんは素直な人で、私の学んできたことをすんなり身に着けていった。
子供との関わり方、トラブルがあった時にどう対応すれば子供にとっていいのか、彼らには未知数の可能性が秘められていること。
私の話を熱心に聴いてくれた。
「真澄さんがいてくれて良かった。わたしと陸翔だけでは、子供たちが持っている可能性を潰してしまっていたかもしれない。ありがとう」
褒め上手な嫁さんだ。
私もまるで本物の家族のような気がしていた。
あくまで他人として、心の距離を保っていた方が良かったかもしれないが、私はまるで自分の産んだ子供がいるような、孫がいるような気持ちになってしまった。
私は、呆け始めていた。
それを自分自身で認めたくなかった。
いつまでも元気な、心は女子高生のオバサンでいたかった。
年が年なのだ。色んなことを忘れはじめていた。一人で暮らしていたが、自分でも何でこんな頓珍漢なことをしてしまったのか、というような出来事を繰り返すようになる。
深夜のパーキングエリアに清掃道具を持って出勤した私に、碇主任は私服で現れて言った。
「真澄さん、そろそろ休んでいいんじゃないかな」
「朝食食べてきたんだ。碇主任はもうお昼かい」
私は自分で頓珍漢なことを言っていると思ってハッとした。
そうだ。碇主任の言う通り、私はもう休むべきなのかもしれない。こんなに頓珍漢では、もう仕事はできないだろう。
「俺、できる限り真澄さんに会いに来るよ。あんたはホント、俺に良くしてくれた人だから」
碇主任の悲しそうな寂しそうな瞳が印象的だった。
出会った当時は、こんな根性がド腐れしたババアと同じ職場で働かないかんのか、というようなキンキンに冷えた氷みたいな目をして私を見ていたのに。
それを思い出して微笑んだ私に、碇主任は見るに堪えないといった感じで視線を逸らしながら、ポンポンと肩を叩いた。
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