第63話 杏樹連れ去られ事件!(1)

 つんさんのお店を出たのは八時ちょっと前だった。いろんなことがあったのでもう夜中かと思っていたら、まだそれぐらいの時間だったらしい。

 先輩はまだ寝ているし、先輩の車で帰るわけにはいかない。いろんな意味で。

 だから、つん子さんに教えてもらったとおりに、駅から電車に乗って帰る。十二時前に泉ヶ原に着くはずだ。

 それにしても、電車で四時間もかかるところまでよく来たものだと思う。

 つん子さんには車代とコートの洗濯代として十万円もらった。

 振り込んでもらう、というのは別にして、十万円を手にすることなんてめったにないので、びっくりした。受け取る手が震えるぐらいだった。

 何度も断った。つん子さんが悪いってことはぜんぜんないし、まして、本来はこっちが飲み食い代金を払わないといけない立場だ。でも

「余ったらここの宣伝、しておいて。その宣伝費ってことで」

と言われて、

「はい」

とすなおに受け取ることにした。

 「で、えーと、お店の名まえは……?」

と正直にきいて、つん子さんに笑われる。

 「店の宣伝してもしようがないよ。杏樹あんじゅちゃんの大学からここの店に来る人って、いくらなんでもいないでしょ」

 「いや、でも」

 来そうにないひとを店に引っぱって来るのが、広告宣伝というもので……。

 これもやっぱりなんかの授業の断片だな。

 つん子さんは落ち着いて、ちょっと偉そうに、言った。

 「そうじゃなくて、岡下おかしたとか、岡平おかだいら市とか。ま、ここにしかないものってあんまりないけど、でも、ビーチもあるし、いなかだから街のなかでも星きれいだし」

 そうか。ここは岡下とか岡平とかいうのか。

 ……それ、どこか、よくわからないけど……。

 でも、とりあえず

「それに、つん子さんにも会えますしね」

と、言って、杏樹は笑った。

 つん子さんも笑って、それであいさつして別れた。

 つん子さんの本名をきいてないのに気づいたのはずっとあとのことだ。

 電車はすぐに来た。たぶん、つん子さんがその時間にあわせて送り出してくれたのだろう。

 電車はすいていた。ふっと息をつき、ワインのかかったところが目立たないようにコートをたたんで持ってから、ポーチを開いてスマートフォンを出す。

 「いっ?」

 メッセージの未読が五十っ?

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