第61話 先輩の誕生日(8)

 「ケンちゃんがわたしに迫ったときにはもう嘉世子かよこちゃんのお母さんは妊娠してたのね。で、ほんとに入籍の話したらしいのよ。でも、ケンちゃん、逃げたんだね。それで、わたしとの件があって、ケンちゃん、嘉世子ちゃんのお母さんのところにはずっと行ってなかったらしいんだ。子どもができたのを知ってたのか知らないのか、それはわかんないけど、嘉世子ちゃんのお母さんとの関係はもう終わった、って、ケンちゃんは思ってたらしいんだ」

 「はあ……」

 それが、そのケンちゃんという嘉世子先輩のお父さんが無責任なのかどうか、人生経験というのがまだ浅い杏樹あんじゅにはわからない。

 「しかも、嘉世子ちゃんのお母さんは、わたしが二人の結婚をじゃましたって思いこんでて。ところが、ケンちゃんのお父さんは、嘉世子ちゃんからいうと父方のおじいさんにあたるわけだけど、ケンちゃんのお父さんも、そんな話は知らん、って言って、嘉世子ちゃんのお母さんに会うのもいやがるんだよね。嘉世子ちゃんに会ったことはほとんどない。それで、嘉世子ちゃんのお母さんのほうは、おうちがおカネ持ちなんだ。おカネ持ち、っていうか、地方の旧家ってやつでね。戦前の大地主で、戦後も県会議員か何かやってて」

 ああ、それで。

 杏樹はすっと納得がいった。いま重要ではないことだけど、納得がいった。

 それで、同じような出身の結生子ゆきこさんにライバル心があるんだ。

 「だから、嘉世子ちゃんのお母さんのご両親はご両親で、よりによってうちの子が、得体の知れない男に子ども産まされたって怒ってて。嘉世子ちゃんはそのお母さんの家で育った。いちおう、ね」

 いちおう、っていうことは?

 ……なんか、こう、好かれずに育った、ということだろうか。

 先輩は。

 たとえば虐待とか、無視とか。

 そんな杏樹の心配がわかったのか、つん子さんは軽く笑って杏樹に目をやった。

 「嘉世子ちゃんのおじいさんとおばあさんにあたるわけだけど、そのご両親は嘉世子ちゃんはすごくかわいがったらしいんだ。たぶん、不憫ふびんな子、とでも思ったんでしょうね」

 とりあえずほっとする。つん子さんはことばを切らないで続けた。

 「けど、そのご両親、嘉世子ちゃんのお母さんには徹底して不親切でね。ろくに口きかない、なんでこんなふしだらな子がうちにいるんだ、みたいになって。それで、嘉世子ちゃんのお母さん、居場所がなくなって、よく親子でここの店に来てたんだよね。やっぱりここがケンちゃんのお父さんの家だからさぁ。でもケンちゃんのお父さんは会ってくれないから、店に来て。その嘉世子ちゃんのお母さん、線の細い感じのひとなんだけど、それがこてこてにお化粧して、まだ小さい嘉世子ちゃんを横に座らせて、わたしに、あんたなんかに心許さないよ、って言っておいて、ま、そのころのことだからやたらタバコふかして、それで、その自分のお父さんお母さんの愚痴ぐちをいっぱい並べてビール飲んで寝ちゃうっていう、さ」

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