第56話 先輩の誕生日(3)

 「はっ?」

 杏樹あんじゅが反射的に思ったのは

「つんさんが、先輩のほんとうのお母さん?」

ということだったので、つい、そう言ってしまう。

 つん子さんはははっと声を立てて笑った。

 「いや、ま、そうだったら、いまごろ、どうなっていたかな?」

 それで、もういちど、おもしろそうに笑う。

 「まあ、そうじゃないけどね」

 「あ、すみません」

 杏樹が言ったのには、つん子さんが先輩のお母さんと同じぐらいの歳で、しかも生まれたときからの知り合い、という根拠があった。何かの事情があって母だ娘だと名のれないので、「生まれたときからの知り合い」にしておいた、という。

 でも、否定されたらただの邪推だ。ただの邪推ではないかも知れないけど、謝っておいたほうがいい。

 「いや、杏樹ちゃんが謝ることじゃないから」

 なんでそう否定するかなぁ?

 そう思いつつも、ひとりでに箸がご飯に向かってしまうのが情けない。

 ご飯もふっくら炊けていておいしい。

 「ずうっと昔ね」

 つん子さんは言って、そこでことばを切る。

 「もうずっと昔」

 もういちどことばを切る。

 軽く息をついてから、つん子さんは言った。

 「あの子のお父さん、ここの店で働いてたんだ」

 「ああ」

 「働いてたっていうのかなぁ」

 また言いよどむ。

 「働いてはなかったよね。ただ、そこの」

と、つん子さんは台所を指さす。

 「コンロのところに突っ立ってるだけでね。お料理も覚えようとしない、接客もしない、ただしばらくぼさっと突っ立ってて、いつの間にかいなくなってる。そんなひとだった」

 いや、それ、だめだろう。

 だめだろうと思うので、若気わかげいたりというやつで、杏樹は指摘する。

 「それって、クビになるパターンですよね?」

 つん子さんはおもしろそうに笑った。

 つん子さんは不愉快かも知れない。けど、その反応が出て来ただけで、杏樹は嬉しい。

 「ならないのよ、それが」

 その何かありそうな声につられて、杏樹はきく。

 「なんでですか?」

 「ここの大家さんの息子だから」

 「あぁ」

 返すことばがない。

 いや、大家さんの息子だからって、わざわざ店に出て来なくてもいいと思うのだけど。

 働かないんだったら……。

 「いや、あのころは、名義上はあのひとが大家さんになってたのかな。相続税対策とかで」

 「ああぁ」

 だったら、なおのこと、出て来なくてもいいじゃん? ただ家賃を受け取っていればいいだけだ。

 つん子さんは続ける。

 「十台っていうか、二十台前半のころまではよく知らないんだけど、きいた話ではさぁ、プロレスラーになるとか言って出て行って、いや、ボクサーだったかな。でも、トレーニングがきついのについていけなくて、帰って来た、っていう、さ。でも、筋肉はついてたから、トレーニングはちゃんとやったんだと思うよ。そうそう。だから、ふだんは仕事しないんだけど、ビールケース運ぶときとかには重宝したよね」

 「はあ」

 でも、気もちは「うん。わかる」だった。

 あのマスメディア研のパーティーのときには、合コンに来た他校の男子学生に力仕事を押しつけたもんだ。拒否できないのがわかってるから。

 へっへっへっ、って気分だった。

 いや、でも。

 「それが、先輩のお父さん?」

 つん子さんはうなずく。

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