第53話 重めで渋くて暗い味(8)
先輩は、体の後ろまで腕を回していなかった。やっぱり中途半端に肩と腕の中間をつかんでいる。
「いや、あっ、あのっ」
とまどったふりはするべきだと思う。
べつにとまどってもないけど。
セーターが伸びそうだけど、これも、まあ、いいか。
これは高かったけど。
でも……。
まあ、いいか。
先輩は、胸のところから、何度も何度も顔を上に上げようと、その両手に力をこめた。
しかし、手に力をこめても、セーターをつかんでいるだけなので、セーターの毛糸が伸びるだけで体は上に上がらない。それでセーターをつかみ直すので、なおさら上に上がらない。
それでもどかしくなったのか、先輩は杏樹の胸のところで顔を上に向けた。思い切り上に上げて、自分のあごをなんとか杏樹のあごにすりつける。杏樹のあごを
杏樹の唇に。
杏樹は声を立てようとして、思いとどまる。
三つの選択肢があった。
1 「やめてください」と言う。
2 声は立てないで、ただ拒む。
3 受け入れる。
直観的に「3」だな、と思う。
先輩がここまで来たのには、杏樹にも責任がある。責任というのか、いっしょに来たといういきさつがある。一年生のときからこの瞬間まで、たったの二年だけど、いっしょに来たって過去がある。
ならば。
そう思った。
でも、力が続かなかった。
先輩のほうが。
けんめいに
その目がすうっと閉じていく。先輩の体からきゅきゅきゅっと力が失せていく。
「ああ、危ないっ」
このままだと先輩は椅子から床に落ちる。でも、支えようにも、先輩が杏樹の肩と腕の中間あたりをつかんでいるので、手が自由に動かせない。
先輩の体が落ちるのが止まった。
大きいため息に、杏樹が顔を上げる。
つん
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