第49話 重めで渋くて暗い味(4)

 「そこに転落するまでがまたひどい話でさ」

 いや、その「転落」っていう言いかた、いいの、と思うけど。

 杏樹あんじゅはおとなしく聴いておくことにした。

 「わたし、高校でさ、あの子の、いや、あいつの同級生だったんだ」

 「はい」

 なぜいま学年が離れてしまったかはきかない。

 たぶん、あの結生子ゆきこさんがキャバ嬢か風俗嬢か何かをやっていたあいだに、先輩は大学生として順調に学年を上がり、その結果、先輩のほうが上の学年になってしまったのだ。

 それだけでも、先輩のほうが優位なはずなのに。

 結生子さんよりも。

 「そのころ、うちの学年にすごくかっこいい男子がいてね。ボート部の主将。まあボートって集団競技だから、だれがエースとかいうのはないけど、確実にその子のおかげで部は強くなってた。その子が部の柱だった。そんな子で」

 「はい」

 「好きだったんだけどさ」

 言って、先輩は唇を合わせ、上を向いた。

 ふいに、先輩の気もちが伝わってきた。

 どうして、ネックレスをしてこなかったんだろう?

 どうしてネイルをちゃんと描いてこなかったんだろう?

 せめてチークくらいは、もっと……。

 でも、どうして?

 いまのボート部の男子の話とぜんぜんつながってない。

 先輩は、軽く目を閉じた。

 「先約があったんだ」

 「なんだそりゃ?」と言える雰囲気ではない。

 先輩は、暗く笑って、横目で杏樹を見て、ワインを口に入れる。手酌でワインをつぎ足す。

 「そろそろやめたほうが」

とは言えなかった。

 「つまりさ」

 先輩がうつむいた。

 「あの子が好きな子がいて」

と、訥々とつとつと話し出す。

 「女子ボート部でさ。ちょっといつもテンション高過ぎだったけど、ほんと、いい子だったんだよ。で、その男の子と、すごく仲がよかった。つまり、両思いだった」

 「うん」

 「だから、その子にだったら、わたし、譲る気だった」

 譲るのか。

 相手がいい子なら。

 杏樹ならばどうだろう?

 わからない。

 そこまで異性を好きになったことがまだないから。

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