第16話 日本史研究室のお茶会(9)

 「鴎外おうがいは、やっぱり、近代の人だからね」

 先生が続ける。

 「奴隷労働させるよりも、労働者にはちゃんと給料を払って経済を回したほうが経済発展しますよ、って。まあ、資本主義のほうが奴隷制や封建制よりいいですよ、っていう、そういう教訓が含まれてると思うの」

 「うう……」

 なんだそれは?

 「近代の人」っていうのはそういうので物語を書くのか?

 なんか味気ない。

 「でも、そうするとね、どうしてその安寿あんじゅ姫が死なないといけないか、わからなくなるでしょ」

 「あ、はいっ!」

 杏樹あんじゅは思わず力強く肯定した。

 その、自分と同じ名まえの姫が死んで、それで資本主義が進むわけでも何でもない。

 つまり、お姫様は、その結末に何も貢献していない。

 死んだのに。

 だめじゃん、それって!

 「じゃあ」

いずみ仁子じんこが弱々しく声をはさんだ。

 「オリジナルのほうでは、安寿姫が殺されることには意味があるんですか?」

 「そうね」

 先生の声は意外と冷たい。

 「仁子ちゃんは、その、お姫様が拷問を受けて殺される場面で、気もち悪くなったって言ったでしょ?」

 「はい」

 「それはみんなそうなの。女の子が残酷に殺される話ってね、人の心を揺り動かす。ときには耐えられないくらいにね。それはね、たぶん」

と、先生はそこで自分の前に座っている結生子ゆきこさんの顔に目をやった。

 仁子でもなく、杏樹でもなく、結生子さんのほうに。

 「それはね、たぶん」

と繰り返してから、先生は続ける。

 「男の人が殺される話とは違う。女の子が殺される、それも残酷に殺される、それもお姫様だったら。それは、ただかわいそうとか、同情とか、義憤ぎふん、まあ、どうしてそんなひどいことをするのか、という怒りとか、そういうのでは収まりきらない強い感情を引き起こすのよ」

 結生子さんも、さっきまで先生を相手にふざけていたときとはまるで違って、まじめにその先生の顔を見返した。

 こういうのを凜々りりしいというのか、ただの「まじめ」というより、「真摯しんしな」という感じだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る