第14話 日本史研究室のお茶会(7)

 「いや、わたし、名まえが杏樹あんじゅでしょ?」

 「うん」

 結生子ゆきこさんが答える。

 杏樹が言う。

 「『山椒さんしょう大夫だゆう』ってあって、その主人公の女の子の名まえが安寿あんじゅで、それで、これってどういう時代だろう、って興味を持ったのが最初です」

 結生子さんはくすっと笑って肩をそびやかした。ティーカップを持ったまま。

 「だったら荘園しょうえん公領こうりょうせいの時代じゃない? これは先生にぴったりだわ」

 また何か踏んだ!

 だいたいそのショーエンコーリョーセーの時代って何?

 でもここで「えーっ」とか声を立てるとどう思われるかわからないので、やっぱり自制する。そのとき

「あのぅ」

と遠慮がちに言ったのはいずみ仁子じんこだった。

 とりあえず助かった。

 ほかの三人の目がいっせいに仁子に向く。仁子は目を伏せていたけれど、やがて顔を上げて、杏樹のほうを見た。

 「『山椒大夫』の安寿って、たしか、拷問でひどい目に遭って殺されるお姫様ですよね?」

 杏樹自身がびくっとしたのはもちろんだが、同時に、斜め向かいの結生子さんもぴくっとした。

 びくっ、と肩を動かしてから、ゆっくりとティーカップを置く。仁子が続ける。

 「わたし、その場面読んで、気分悪くなっちゃって……」

 へえ。繊細。

 見たところも繊細そうだから、意外ではないけど。

 でも。

 「ああ、いや」

 現代の杏樹が割って入る。

 「その安寿って自殺するんじゃなかったでしたっけ?」

 たしかにかわいそうな場面ではあるけれど、読んで気分が悪くなるような場面ではなかったと思うのだが。

 仁子が顔色の悪い顔を上げる。生きている杏樹と目が合う。

 「それは、オリジナルの『山椒大夫』と、森鴎外おうがいが書いた『山椒大夫』の違いね」

 先生がふんわりと柔らかく言った。

 杏樹は驚いた。

 「『山椒大夫』って森鴎外の書いたものじゃないんですか? オリジナルって?」

 「うん」

 先生がうなずく。

 「あれは、説経節せっきょうぶしって言って、その、仏教の因果とかをお話にして聴かせる、っていう、まあ、そうね……中世から江戸時代ごろの文芸があって、それを、鴎外が明治になって書き直したものなのよ。近代小説風に、ね」

 言って、先生がミルクティーを飲む。

 ああ、そろそろ冷めてきたころだと思って、杏樹もストレートの香り高い紅茶を唇に運んだ。

 ぬるくなっていて飲みやすかったけど、あの香りはさっきの十分の一も感じない。

 ちょっと残念。

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