第10話 日本史研究室のお茶会(3)

 「遺跡って地面の下に埋もれているものだけじゃない、ってことよね」

 先生が言った。

 「ここに山があって、ゆるやかな谷があって、このあいだにひとが行き来できる道があって、そこをちょうど見下ろせる場所にお寺があって、そのお寺は石垣に囲まれていて、っていう条件があって、それで、そこで起こった事件がどんなのだったか、理解できる。たとえばね」

 先生は、ミルクティーをごくっと飲むと、カップを置いた。先生と結生子ゆきこさんは、受け皿なしで、大きめのカップでミルクティーを飲んでいる。

 「さっき、杏樹あんじゅちゃんが言った三口寺みくちでらだけど」

 あ! 杏樹ちゃんに出世した!

 「あそこをね、谷のほうから包囲して攻め落とした、って書いてある文献があるのよ。江戸時代のひとが、自分の先祖について書いた記録にね。ところがね、あの地形でしょ? 谷から包囲できる?」

 よく覚えていない。じつは。

 「うんっと……」

 杏樹は考えるふりをしてから

「石垣があって、その上にお寺の門があったと思うんで、下から囲もうと思ったら囲めると思いますけど、上から矢で攻められたりしたら犠牲も多いですし」

 「それに、上からいろんなものを投げ落としてきますよね?」

 いまは関東の古墳の話ではないので印象の薄いいずみ仁子じんこが口をはさむ。

 「下が森とかで、隠れるところがたくさんあれば別ですけど」

 やっぱり詳しい。

 「そうよね」

 先生はなよっとした声で返した。横から見ると睫毛まつげが長い。マスカラをつけているようなボリュームはない。ほっそりした睫毛で、きれいだ。

 ここの研究室って、美人が条件……?

 「ところが、あの谷のところは昔はお寺の境内でね。いまの山門から石段が下まで続いて、その石段の下に大きい門があった。だから、斜面にはたぶん森は残ってなかったのよ」

 先生が詳しいのは、あたりまえなんだろうけど。

 「しかも、あのお寺って、尾根伝いの道が通じてて、そこで行き来できるのよ。あの写真思い出したら、わかるでしょう?」

 先生は仁子だけではなく杏樹にもその睫毛の長い目を向けた。それで考えを急に引き戻さないといけなくなる。

 思い出してみると、あのお寺の横は平らで、横に道がつながっていたような。

 「だから、下から攻めるには大軍が必要だし、立てこもったほうは、兵糧、あ、食糧とかね、そういうのも尾根道から運び込める。だから、ほかにしようがないなら谷の下から攻めるだろうけど、普通はそういう攻めかたはしないって思ったの」

 ピンクの服でかわいい顔をして、ほんとにあどけないくらいのかわいい顔をして、城をどう攻めるか話しているというのがミスマッチでおもしろい。

 「でね。わたしは、これは江戸時代に先祖をたたえるために書いた文章でもあるし、信用できない、って言ったんだけど、そのころはだれにも信じてもらえなかった。ところがね、あとで、もっと近い時代の文献から、ここのとりでを守っていたほうが自分から撤退したんだ、っていうことがわかってね。攻め落とされたんじゃなくて、ほかの戦場での展開が不利になったから、自分から撤退したんだ、って」

 つまり、先生が正しかったわけだ。

 「わたしが最初にこの場所を見に行ったときには、お寺の前の斜面が段々畑みたいになって、そこにところどころ家があるような状態でね。これは攻めにくいな、っていうのがわかったの。ところがね、その新しい文献が出て来たときには、もう一面が住宅地になっててさ。そのときに見に行っても、もうそういうのはわからなかった。お寺まで行っても、前に三階建てのマンションができてて、もう谷が見えないのね。ここって、お寺以外にその時代のものは残ってないし、そのお寺もいまの建物は戦後に建てたものだから、文化財とかにはならない。石垣もやっぱり造り直してて、コンクリート入れて、石を詰め直して。でもね、そんな場所でも、見渡して地形がぱっとわかる、とかいうのも遺跡の一種なのよ。だからできれば守っていかないといけない。それがとても印象に残ってたから、概論でも話したんだけど、杏樹ちゃん、よく覚えててくれたわね」

 「あ、いえ……」

 褒められてたじろぐ。

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