大人だって、怖いモンは怖いんだ 3
バッカスの提案でとりあえず二階から見て回っている一行。
彼の腕にしがみつき、オドオドと周囲を見回すブーディと、一人でさっさか進んで行こうとするミーティを窘めつつ、屋敷を調べていく。
「埃っぽいねぇ……」
「そうだな」
軽くむせながらボヤくにブーディに、バッカスは適当な相づちをうちながら考える。
(確かに埃っぽいが……違和感はやっぱあんな。
それに、音もなく気配もなく姿もなく、だが間違いなくこちらの様子を伺っている奴がいる。
今は下の様子を見に、こちらを離れたようだが……)
口には出さない。
入ってきたときからずっと感じる違和感と存在感のない何者かだが、まだ正体が掴めるところにないのだ。
(それに……ブーディは気づいてないようだが、誰かが屋敷に入ってきた気配があった。警戒するに越したコトはねぇか)
斥候の仕事もすることのある弓使いが気配に鈍感でどうするんだ――とも思うが、怖がっているのなら仕方がないだろう……仕方ないのだろうか?
どちらであれ、考えても仕方がないので、バッカスは先行するミーティの様子を常に気にしながら歩く。
(入ってきたのは誰だろうな……)
歩きながらも、やはり思考は巡っていく。
さて、自分達のあとから入ってきたのは一体どのような立場のやつだろうか。
・悪霊の正体あるいはその関係者
・俺らみたいな好奇心で進入してきた暇な奴。
・正規の依頼を受け悪霊の正体を暴きにきた何でも屋
・領主の依頼を受けて悪霊の正体を暴きにきた騎士ないし関係者
(一つ目の場合、鉢合わせした時に面倒だな……。
二つ目なら問題はない。相手にもよるが。
三つ目と四つ目は、顔見知りなら笑い話だが、勘違いからこちらへ攻撃されたりすると面倒だ……)
そこまで考えてバッカスの脳裏に閃くものがあった。
四つのうちのどれであっても、とりあえずバッカス的には問題ない素敵なアイデアだ。
(気配のない奴の正体が、俺の想定通りなのだとしたら、むしろ積極的に俺を利用しようとするだろうしな)
実行すると噂が悪化するだろうし、多方面に対して色々と迷惑がかかるかもしれないが、バッカス自身には大した迷惑にもならない素晴らしいネタだ。
(よし。機会があったら実行しよう)
ましてや、今ならやり方次第で完璧なアリバイも手に入るのだ。
違和感の正体が何であれ、やるだけやるのは悪くなさそうである。
(最小の労力で最大の成果を得るのって楽しいよな)
成功するかどうかは別にして、バッカスはワクワクと悪巧みを実行にうつす機会を狙い始めるのだった。
○ ● ○ ● ○
(明らかに放置された埃っぽい部屋と、ある程度は掃除された綺麗な部屋がある……これは、やはり人の手が入っていると見るべきか?)
踏み込んだ部屋を見回しながら、クリスは難しい顔をしてうめく。
人が住んでいるとしたら、それはこの屋敷の持ち主本人なのか、それとも無関係な者なのかで話が変わってくる。
だが、生活の痕跡を隠蔽しようとしている気配がする以上、正体がどちらであってもなかなか尻尾は掴めないだろう。
それに、実際に捕まえたところで何か口にしてくれるかも怪しい。
(それでも、実態を掴めれば御の字か)
クリスがそう思った時だ。
ゴトリ――
「……!?」
何か重いモノが落ちたような音がした。
「上か?」
音の発生源はちょうど真上。
二階で何かが落ちたのだろう。
(入った時に見た鬼火――あれが人が生み出した光源だとしたら……)
今、その鬼火の発生源も、この上にいるのだろうか。
入ってきた時こそ怖がっていたクリスだったが、明確に人の手が入っている屋敷を見ているうちにかなり冷静さを取り戻していた。
正体不明な何かではなく、明確に人がいる。
そう人がいるのだ。それが明確になったからこその冷静さだ。
ゴトリ――
「え?」
――だが、似たような重々しい音が今度は隣の部屋から聞こえてきたとなると、少しばかり話が変わってくる。
(み、右隣の部屋は……人の手の入ってないような部屋だった……わよね?)
上の階で音を発した何かが隣に来たのだろうか。
だが、それは物理的にも魔術的にもあり得ない話だ。
(瞬間移動や、瞬間転移は理論はあれど魔術にしろ魔導具にしろ成功者はいない……。
何より、音と音の間に魔力帯も見えなければ、魔力の動く気配もなかった……)
その奇っ怪な状況に、クリスの思考は再び冷静さを欠いていく。
ただそれでも根が真面目な彼女だ。
(あんまり確認したくないけど、そうも言ってられない……か)
意を決すると、今いる部屋を出て右隣の部屋へと向かう。
その部屋のドアノブに手を伸ばした時だ。
「ん?」
足下に違和感を覚えて、魔術の灯りをそちらに向ける。
「……血?」
血だと思わしき赤黒い液体が、ドアの隙間から流れ出してくる。
一瞬クリスは息をのむ。
これが一般人であれば、ここで悲鳴でもあげていただろうが、そこはクリス。元騎士として、今も現役の何でも屋をしている者として、さすがにこの程度では悲鳴をあげるわけにはいかなかった。
(そうよ……血なんて見慣れているもの。これで悲鳴をあげちゃったらお笑い草だわ)
自分にそう言い聞かせながら、ドアノブに手を掛ける。
いたずらであれ、実際に誰かが死んでいるのであれ、血が流れるというのは人の手が無ければ実行できないもののはずだ。
ドアノブを回し、ゆっくりとドアを引く。
ギィ――と、錆び付いて軋む音を立てながらドアが開いていく。
ドアが開くと、目に入ったのは壷だ。
「…………!」
人の頭ほどの大きさの壷が転がっている。
口を入り口に向けて。
そこに赤い液体でも入っていたのか、ドアの方へと流れでている液体の発生源はそのこようだ。
「……なんだ、壷か……」
そう口にして安堵するも、そもそもこの壷が転がった理由が分からない。
「人がいない……いた気配もない。あるのは先ほど、私が踏み込んだ時の名残だけ……」
ゾッとする。
(……私に気取られずにこれをした存在がいるのよね……?)
例えイタズラだとしても、クリスに悟られずにイタズラを仕掛けることのできる何者かがいるのだ。
悪霊であれ人であれ――その何者かは本気を出せばクリスに気取られることなく、クリスを殺せるということではないだろうか。
「…………ッ!」
変な声が声が出そうになり、無理矢理飲み込む。
(まずい……深呼吸しないと……)
未知の恐怖だけなら問題なかった。
現実的な恐怖だけなら問題なかった。
だけど今、クリスの中で両方の恐怖が螺旋を描いて渦巻き始めた。
イタズラで済ましてくれているうちに、脱出するべきではないだろうか。
もし本気になったなら、自分でも気づかぬうちに殺されてしまうのではないだろうか。
呼吸が荒くなっている。
とにかく落ち着かないと。
自分の中にわずかに残っている平静の糸。
それが何かのきっかけでぷつりと切れれば、自分は間違いなくみっともない悲鳴をあげてしまうだろう。
魔術で作ったぼんやりとした灯りだけの暗い屋敷の中。
暗闇は冷静さを奪ってしまうこともある。
部屋にある窓を開けて光を取り込んだりすれば、もう少しはまともな思考を取り戻せたかもしれない。
だが、今の余裕のないクリスがそれを思いつくことはない。
暗闇は人を怖がらせる。
暗闇は人の思考を狭めていく。
人は暗闇の先に、不可知な恐怖を妄想してしまう。
これまでの情報を元に、自分の無自覚な妄想が加わったことで、クリスの精神が恐怖に縛り上げられていく。
まるで自分が暗闇に喰われて、飲み込まれて、自分ではない何かにされてしまうのではないかという恐怖感。
それでも――埃っぽい部屋の中心で、噎せるかもしれないなんてことは無視して、とにかく落ち着こうと深呼吸を繰り返す。
呼吸はできる。意識はある。
だから自分は大丈夫だ。
自分は自分のままだし、まだ恐怖には負けてない。
そう言い聞かせながら――なんとか気持ちを切り替えようとしていた時だ。
ぴちゃり、ぴちゃり……と、水たまりを歩む足音のようなものが聞こえてきた。
「――――ッ!」
悲鳴を何とか喉の奥にとどめ、クリスはゆっくりと振り返る。
入り口にある赤い水たまりに波紋が広がる。
まるで歩くように。進むように、ぴちゃりぴちゃりと部屋の外へ。
目に見えない何かが水たまりを抜ける。
赤い足跡をつけながら、それはエントランスへと向かっていく。
自分の顔が歪んでいるのを、クリスは自覚した。だが、自分ではもうどにもできそうもない。
目に見えない。気配もない。
だけど、歩む姿が存在している以上、間違いなく何かが存在している。
今は見逃してもらえたものの、あれが本格的に自分への危害を考えていたら――
あれが、自分のもてる手段のどれも通用しない存在だとしたら――
この悪霊屋敷には、そんな存在がうろついているのだ。
冷静さを取り戻す為に気持ちを静めていたクリスへの追い打ちとしては、完璧な現象であり事実となった。
だから――
「あああああああ――……ッ!!」
――堪えきれなくなったクリスが絹を裂くような悲鳴をあげてしまうのも、無理はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます