そういうのには、馴れている
「悪いわね。急に押し掛けて」
「気にするな。そういうのには馴れている」
バッカスの自宅。
そこのリビングでテーブルについているストロパリカに、コーヒーとお茶請けのクッキーを差し出しながら、バッカスは苦笑した。
「それで、急にどうしたんだ?」
「クリスさんの件よ」
ストロパリカの言葉に、バッカスの目が眇まる。
クリスにつきまといながら調べていたことの結果がどうやら出たようだ。
「彼女、精神支配に近い術式を刻まれてるわ。
細かいところまでは詳しくないけれど、洗脳に近い魅了じゃないかしらね」
誰にかけられた魅了かと言われれば、答えは明白だ。
「欲情まではいかずとも、特定の相手にそれに近い感情を覚えるタイプのモノだと思う。あるいはそういう感情が対象の近くにいるだけで、ある程度解消されるのかも。満たされるっていうのかしら?
だけど、今はその対象が近くにいないから、刻まれた術式から滲む性欲を、食欲と運動欲に変換している……といったところね」
「なるほどな。あいつと関われば関わるほど、おかしいと思ってたんだ」
「剣を捨て、騎士を辞めたって話ね」
「ああ」
クリスの性格を思えば、男が出来たところで簡単に諦めたりしそうにない。
それどころか、自分を好きなように操ろうとしてくる男など、そもそもが好みではないはずだ。
政略結婚であることは受け入れても、剣を捨てろと言う男のわがままを簡単に受け入れるとは思えない。
「カルヴの群れを蹴散らしたあの技……。
あれだけのものを習得するのに費やしたモノを、簡単に手放せるような女なものか」
恐らくクリスは、剣にも技にも騎士という肩書きにも、本質的にこだわりはないのだろう。
だが、その性根がどこまでも騎士であり貴族なのだ。
その青い血を誇っている限り、どのような立場であれ、己の持てるチカラでもって、手の届く範囲のものを守ろうとする。
それこそかクリスの矜持であり、芯なのだろうと、バッカスは思う。
だから、それを穢すようなことをされて、受け入れてしまっているのは異常だと感じていた。
「前にプッタネスカをごちそうになった時のクリスさんの反応――簡単に男にだまされた自分は悪い。男は悪くないって感じだったでしょ?
それを思うと、魅了を刻み込んだのは元婚約者かなってなるんだけど」
「十中八九な」
術者のことを悪く言えない。悪く言う気がおきない。そういう効果もあるのだろう。
「あなた、気づいてたの?」
「確証はなかったよ。今の話を聞いて確信を持てたけどな」
そう言って、バッカスはクッキーを一枚かじる。
どっしりと目の詰まった硬めのクッキーが、軽快な音を立てて割れる。
しっかりとした歯ごたえとは裏腹に、砕けて小さくなったものは、ほろほろと優しく溶けて、ほどよい甘さを広がっていく。
砂糖だけではない。小麦の甘み。バターの風味。
それらの風味の余韻は、非常に優しく穏やかだ。
「いただくわ」
バッカスが食べたのを見て、ストロパリカもそれを口にする。そして、驚いたような顔を見せた。
「美味しい……。今まで食べたクッキーの中で一番かも」
「そいつは何よりだ。買った甲斐がある」
「買ったモノなのね。どこで買ったの?」
「クーの甘味亭って知ってるか? そこは店内での食事だけじゃなくて持ち帰り用のメニューも取り扱っててな。これはその持ち帰り用クッキーだよ」
「食事もできるのね! 今度行ってみるわ」
お互い笑いあい、コーヒーを飲んでから、改めて真面目な顔を付き合わせる。
「クリスさんの魅了だけどね。だいぶ術式の魔力が淀んでる感じがしたわ。もっとも直接身体を触らなきゃ、確認しようがない感じだけど」
「本人も分かってなさそうだしな」
「自覚させなくて正解ね。自覚すると、魅了の影響に振り回されかねない」
「話を聞く限り、かなり厄介そうだな」
「師匠の商売が上がったりになりそうなほど強力ね。
あんな呪いを気軽に使えるなら、
「そのレベルかぁ……」
ストロパリカから以前聞いた話が本当であれば、彼女の師匠は暗殺や諜報などの達人であるらしい。当然、色仕掛けも得意なのだろう。
そんな達人がお手上げになるほど効果が高い呪いなど、危険以外のなにものでもないだろう。
「今の状態で、呪いを掛けたであろう婚約者と遭遇するとマズい状態だと思うわ。
術式にたまり込んだ魔力が彼女の自我を吹き飛ばしかねない。
彼と出会ったら最後。それがどのような場所だろうと、大股を開きながら、自分で自分の尊厳を壊し尽くすようないやらしいダンスをその場で踊り出すでしょうね」
普段のストロパリカが口にするような、いやらしさを感じる幻娼風ジョーク――ではなさそうだ。
条件が満たされたら、クリスは本気でそういうことをしてしまうのだろう。
「だとしたら時間がないな」
手に持ったままだったクッキーの欠片を口の中に放り込みながら、バッカスは難しい顔をして呟く。
「どうしたの?」
「この町に近々騎士が派遣されてくる」
「それがどうかしたの?」
「派遣される騎士隊は二つ。その片方の隊の隊長がクリスの元婚約者だ」
「それは、本気でマズいわね……」
もちろん、クリスの叔父であるこの町の領主は、元婚約者とクリスが接触しないように注意を払うだろう。
だが、何でも屋として町を歩くクリスが、町に滞在している元婚約者と遭遇しないとは限らない。
ましてや騎士団から声を掛けられれば、彼女は断らないだろう。
何より――
「今のクリスの状態を分かった上で、彼女の尊厳を踏みにじりたいが為だけに、わざとクリスを探す可能性もある」
「は?」
「あのガキはクズだ。クソガキなんて言葉も生ぬるい。
そのクソガキの親であるおっさんとは酒飲み仲間だから、多少は大目に見てやるつもりだったが……越えちゃいけない一線てのがある。
だがクズは越えた。例え甘めに見積もったとしても、越えちゃ行けない一線を大股でな」
――あのガキは、おっさんの息子とは思えないほどのクズなのだ。
「別件でおっさんも町に来る。
おっさんの返答次第では、息子ともども色魂を五彩の輪に還して貰う必要があるかもしれないな」
「バッカスくん……?」
小さく呟くバッカスの表情も声も気配も、酷く
「あのガキ、その魅了の術式ってやつをある程度使いこなせてるんじゃないかと、俺は考えているんだ」
「根拠はあるの?」
「知り合いの情報屋に探らせてた。あのガキは女遊びがハデでな、そしてあいつに弄ばれた女のうち、クリスを筆頭に立場や肩書き関係なく、気位であったりだとか、強い矜持や芯を持ち、各分野の前線で戦っているだろう女が、みんな身持ちを崩している」
「つまり、どういう強さであれ強い女性に魅了を掛けて、壊れていくサマでも楽しんでるワケ?」
「そうじゃないかと、俺は踏んでいる」
「最ッ低!」
「だからお前も気をつけろストロパリカ。
あのガキからすれば、お前も十分、壊して遊びたいオモチャの一つだ」
そんなクソガキが部隊を率いて、討伐隊の一つとしてこの町にやってくる。
バッカスや知り合いの情報屋が掴めるネタを悪友が掴んでいないワケではないだろう。
ましてや、今回の騎士派遣を任命したのが誰なのかを考えると――
「やっぱ色魂を返還してもらうしかねぇかなぁ……」
「なんでそんな物騒な方向に行くのよ」
「明確な謀反。将来を期待されていた騎士の尊厳を壊した。それどころか、騎士団の一部を私物化しているという証拠もある」
「私物化?」
「クリス以外の女騎士が魅了されてないワケないだろう?」
「あー……」
ストロパリカは思わず天を仰いだ。
そのクソガキとやらが関わっている場合、私物化の意味がだいぶ変わりそうである。
「で、でも……別に貴族でもないバッカス君が手を下す必要はないでしょう?」
「俺がやらなくても、どうせ悪友がやるんだ。
その業をどっちが背負っても、そう大差ない。そういう根回しも、恐らく済んでいる。
あの悪友のコトだ、期待はしてないが、俺なら手を出すと踏んでいるだろうよ」
そして、貴族であれば当然、親や家族にも責任が行く。
「おっさんが自分のクソ息子を切り捨てられないなら、俺と悪友はおっさんを斬り捨てる。比喩じゃなくて、物理的に……首をな」
「飲み仲間なんでしょう?」
「そうだよ。だけど、おっさんは貴族だ。貴族としての責任と、筋の通し方てやつがある。ましてや伯爵家の当主であり、十騎士の一人である以上……自分の子供のやらかしに対して、相応の筋を通す必要がある」
「バッカスくんは、それでいいの?」
ストロパリカの問いにバッカスは僅かに目を伏せながら、告げる。
「貴族が贅沢やワガママを通せるのは、相応の責任があるからだ。
おっさんはその責任を果たす時がきた――それだけだ。
それが木っ端の雑魚貴族だろうが王サマだろうが……王侯貴族であるというコトの責任は、平民が考えている以上に重い。
もちろん、平民だけでなく貴族の中にもその重みを理解できてないやつはいるけどな」
その理解できてないヤツのやらかしが、父親の双肩にのしかかっているというだけの話だ。
「ま、大なり小なり、俺は貴族社会に片足突っ込んでるところがあるからな。王侯貴族に悪友や知人がいるんだ。そいつらの為に、泥をかぶってやるのもやぶさかじゃないだけだよ」
そう言ってバッカスはコーヒーを啜る。
だいぶ冷めてしまっているのに僅かに顔をしかめた。
「冷めちまったな。淹れなおすか?」
「これで大丈夫よ。用は終わったから、お茶とお菓子を頂いたらお暇するわ」
「そうか?」
なら、淹れなおさなくていいか――と、バッカスは冷めたコーヒーを啜る。
「あなたって……」
「ん?」
バッカスと同じように冷めたコーヒーを啜りながら、ストロパリカが笑っているような悲しんでいるような、どうとでも読みとれる表情を浮かべながら言った。
「随分と損な役回りを選ぶのね」
「貧乏くじを引くのに馴れてるだけさ」
自嘲気味に笑うバッカスを見ながら、ストロパリカは冷えたコーヒーを飲み干す。
(バッカスくんとは、十年くらい前に会いたかったかな……)
好きになって貰う必要はないけど、懐に入れて貰いたい。守って貰えるくらいの仲にはなりたい。
クリスたちがちょっとうらやましい。
(今からでも、遅くないのかしら?)
以前一緒に食べた三人の女の子の顔を思い出しながら、ストロパリカは帰り支度をはじめるのだった。
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