男はみんな、立派な魔剣を持っている 9


 ルナサが目を覚ますと、なぜかランチの準備が始まっていた。あと、なぜかクリスもいる。


「というかそもそも何であたし寝てたの?」

「ミーティちゃんに聞くといいらしいんだけど……」


 ルナサが疑問を口にすると、クリスがミーティに視線を向けた。

 それに倣ってルナサもミーティを見るが――


「なんか、呆然としてるわね」

「戻ってこれる程度のお仕置きのつもりだったんだけど、刺激が強すぎたかしら?」


 そんなミーティを見ながら、バッカスの客だったはずの色っぽい女性――ストロパリカが、そんなことを口にした。


「お仕置き?」

「バッカス君の新作が見たいあまりに、あなた――ルナサちゃんだっけ?――に魔術を掛けて眠らせたのよ。お仕置きは必要でしょう?」

「ああ、なるほど。それは必要ね……っていうかそれであたしは寝てたのね」


 茫然自失状態のミーティを見ると、どんなお仕置きをしたんだ――と詰め寄りたくなる反面、クリスがそれに納得してしまっている為、何ともルナサは怒りづらい。


「ルナサちゃんも気をつけるのよ? ミーティちゃんにも言ったんだけどね。自分の願望に忠実になるあまり、他者を省みなくなると、巡り巡っていずれ自分も酷い目に遭うからね?」


 ストロパリカがそう口にすると、クリスは横でうんうんとうなずいている。

 そして、その言葉にはルナサ自身も心当たりがあった。


「そう……ですね。

 ちょっと理解できるところはありますので、気をつけます」


 ようするに、ルナサが以前やらかしたバッカスの焼きそば騒動の時と似たようなことをミーティがやらかしたのだろうと、結論づけた。


 だからミーティが叱られるのも仕方がないのかもしれない。

 それをしたのが、ナキシーニュ先生かストロパリカなのかの違いだろう。


「それにしても、親指だけでこんなになっちゃうのね」

「そういう技よ。クリスさんも味わってみる?」

「遠慮しておくわ」

「そう? アナタはある意味で味わっておくべきだと思うけど」


 クリスに近寄り、鼻をヒクヒクと動かすストロパリカ。

 その様子に、クリスの目がすがまる。


「どういうコトかしら?」


 二人の間に僅かな緊張が走り、ルナサは居心地の悪さに身動みじろぐ。


「ただのカンに近いのだけれど。アナタ……」


 ストロパリカが何かを口にしようとした時、工房の入り口が開いてバッカスが戻ってきた。


 瞬間、緊張した空気は霧散する。


「バッカス!」


 目を輝かせてバッカスへと振り向くクリス。

 だが、彼が何も手にしてないのに気づいて露骨にガッカリした様子を見せた。


「ランチが完成して戻ってきたんじゃないのね」

「完成したから戻ってきたんだよ」


 バッカスとクリスがそんなやりとりをしている横で、ルナサはストロパリカに小さな声で訊ねる。


「クリスさんがどうかしたんですか?」

「んー……ちょっと、ね」


 曖昧な答えで受け流されてしまった。

 ただストロパリカの様子を見るに、あまり深入りして聞き出さない方がよさそうだ。


 最近、チカラある者の責任の一つに、情報の取り扱いというものがあるのだと理解した。

 必要とあらば無理矢理聞き出すことも大事かもしれないが、今この場ではしない方が良いのではないかと、ルナサは判断したのである。


 直情魔術士だって、少しずつ成長しているのだ。


「なんだ、ミーティはまだ帰ってきてないのか」

「あまりにも耐性が無さすぎて、ちょっと刺激が強すぎたのかもしれないわね。大丈夫だとは思ってるんだけど……」


 さすがのストロパリカも少し不安になってきたらしい。


「とりあえず準備は進めるか」


 そうして、バッカスは銀色の腕輪から、料理を取り出し始めた。


 食卓の主役は、クリスの注文通りトマト似の野菜オタモーツソースを使っているのだと思われる赤いパスタだ。


「バッカス、これってなんて言うパスタ料理なの?」

「プッタネスカだ」

「プッタネスカ……」


 オタモーツの爽やかな香りに混じり、ニンニクチルラーガなどの食欲を掻き立てる刺激的な香りもする。

 赤い竜の爪ノガード・リアンらしき欠片も入っているので、実際に刺激的辛いのかもしれない。


「はッ!? バッカスさんのご飯の匂いがするッ!?」


 そしてその刺激的な香りの影響か、ミーティが正気に戻った。


「アナタの料理ってすごいのね。香りで正気に戻ったわ」

「単にそいつが食い意地はってるってだけだろ」


 驚いたような感心したような呆れたような――とても複雑そうな顔をするストロパリカに、バッカスは雑に返す。


 パスタに続いて、腕輪からサラダとカトラリーを取り出し、それぞれの前に並べていく。


 それを眺めていると、ルナサはふと気づく。

 クリスの皿だけサラダが山盛り、パスタに至ってはほかの皿と比べて三倍以上の量が盛られている。


「クリスさんだけ量がおかしくない?」

「最近のこいつは、調子を取り戻してきているせいかなり喰うんだよ」

「そうなの……。食欲が無くなるようなコトが? 病気?」


 聞いてよいのだろうかと探るようなストロパリカ。

 そういえば、クリスは婚約者の為に剣を捨てて騎士団を辞めたと言われていたが、実際にどうなのだろうか――と、ルナサは思ったので、うっかり口を開く。


「それって、男に捨てられたっていう……」

「……ルナサちゃん」

「あ」


 クリスからちょっと冷えた声で名前を呼ばれ、胸中でやらかした――と頭を抱える。

 そんなルナサに、クリスは仕方なさげに嘆息すると、ストロパリカへと視線を向けた。


「バカな婚約者に合わせすぎたのよ。彼の為に色んなモノを捨てて、子供頃から大事にしていた剣を捨て、夢だった騎士団まで辞めて、手元に彼の存在以外が残らなくなった時、突然、婚約破棄を言い渡されたの。

 ようするに全てを捨ててきた私が、最後に彼に捨てられちゃったワケね」


 そして、自嘲気味にそう語ると――


「は?」


 とてつもなく低い声がストロパリカの口から漏れた。


「なにそのクズ野郎」


 とてつもなく怒りに満ちた声が、ルナサの口から漏れた。


「何でその男、クリスさんに殺されてないの?」


 とてつもなく恐ろしい声が、ミーティの口から漏れた。


「え? え?」


 戸惑うクリスを見、バッカスは苦笑する。


「まぁ常識的に考えれば、こういう反応するだろ」

「いやでも、私がバカな女だった――ってだけでしょう?」


 困惑を隠さずにクリスがバッカスに訊ねると、ストロパリカが身を乗り出して拳を握った。


「確かにクリスさんはバカな女だったと思うわ。

 でもね――それ以上に、その男はクズの中のクズ。クズの世界選手権上位入賞間違いなしよ! 必要以上クリスさんが傷つく必要はない!」


 ストロパリカに同意するように、ルナサとミーティもうなずいている。


「えっと、その……」


 そんな彼女たちの様子に、クリスは何かを言おうと口を開いた時――く~……とクリスのお腹が可愛らしく鳴った。


 それが自分のお腹の音だと気づいたクリスの顔が、徐々に赤くなっていく。


「くっくっく……」


 その様子を喉の奥で笑いながら、バッカスはテーブルを示した。


「まぁとりあえず食ってくれよ。できれば、熱いうちにな」




 そうして、それぞれに食の子神クォークル・トーンに祈り、バッカスが用意してくれたランチに手をつける。


 ストロパリカもフォークを手に取り、恐る恐る赤いパスタをそれに巻き付けた。


 オタモーツベースのパスタそのものは珍しくはない。

 ただプッタネスカという聞き馴染みのない料理名にやや怖じ気てしまう。


 しかし、周囲を見回せばルナサもミーティもクリスも美味しそうに食べている為、ストロパリカも思い切って口に運んだ。


 そして、思わず目を見開いた。


 トマトオタモーツの甘みと酸味。

 そこに加わるニンニクチルラーガの風味。

 塩の味とは異なる、重奏的で複雑な塩味えんみ

 最後にそれらをピリリと引き締める竜の爪の刺激。


 食欲を無理矢理引きずり出すような、乱暴な旨味を感じるパスタだ。


 一見、人畜無害そうな顔をしてナンパをしてくるオタモーツソース。

 それに声を掛けられた程度では気にしなかっただろうに、仄かに香るチルラーガの香水を纏っていたことで、何となく興味を持って誘いに乗ってしまったのならば後の祭りだ。


 複雑な塩味えんみに組み伏せられ、逃げ出せなくなる。

 しかも、抗うことなど許さないとでも言うように、みじん切りにされた黒いナニかの持つ独特の風味に、囚われる。

 その官能的とも言える味と香りに包まれると、逃げようとすら思えなくなるのだ。

 このままもっと囚われていたい。そう思い始めた頃――塩味えんみと黒いナニかの風味に続いて、休む間もなく竜の爪が熱と刺激を与えてくる。


 竜の爪の刺激は、ただただ囚われて身を委ねていたいと感じていた自分へのムチだ。だが不快ではない。心地よいとさえ感じるその洗礼を受けると、もっともっととはしたなく求めたくなってしまう。


 自分の持つ媚技では太刀打ちできない相手と寝ているかのようだ。


 組み伏せられ、乱暴な旨味を浴びせられる。

 時折、竜の爪に引き裂かれることで、飽きたり馴れたりさせられることはなく、延々と口に運んでしまう。


 そう。これはまるで、手管を極めた幻娼のようなパスタ料理。


 ストロパリカはその手管とパスタ麺に絡め取られて、なすがままになってしまう。だけどそれがたまらなく美味しいのだ。


「すごい。美味しいわね……」


 恍惚とした顔で、ストロパリカがつぶやく。

 すると、何だかバッカスたちが全員でこちらを見ている。


「どうしたの?」

「いや……美味しく食べて貰えるのは嬉しいんだが、その……な。

 ただ食べてるだけなのに、めちゃくちゃいろっぽくて、戸惑ってた」


 ほかの三人も顔を赤くしてうなずいているのを見るに、バッカスはともかくとしても彼女たちにとってはかなり刺激的な表情をしてしまっていたらしい。


「ご、ごめんなさい」

「いえ、謝る必要はないわよ」

「そうそう。ストロパリカさんはただ食べてただけなんだろうし」

「こいつの料理が美味しいのが悪い」

「ルナサちゃん、それよ!」

「さすがルナサは良いコト言うね」

「最終的に俺のせいにしてんじゃねーぞお前ら」

「仲がいいのね」


 賑やかで、楽しい食卓だ。

 あまり経験がないことだからか、心が弾んでいるのを感じる。


「ところでバッカス、プッタネスカって変わった名前だけど、由来とか知ってるの?」


 ストロパリカが半分ほど食べたところで、すでに自分の分を食べ終えたらしいクリスが、そんなことを訊ねる。


「俺も詳しい由来は知らないんだが、プッタネスカって言葉自体は娼婦――『幻娼風の』、あるいは『幻娼の為の』みたいな意味があるらしい」

「このパスタのどの辺が幻娼なのかしら?」

「確かに、そういう要素はなさそうだけど……」


 ルナサとミーティは首を傾げながら、口に運んでいる。

 ストロパリカも、料理と幻娼が結びつかない。


「かつて、忙しい幻娼が仕事の合間に手軽にさっと作って食べてた料理って説があるな」

「そんなお手軽な料理なんですか?」

「そうだな……。塩気とコクを出すのに使ってる塩蔵のイェヴォーチナはこの辺りじゃ手に入りづらいが、発祥の地の発祥当時は万能調味料扱いで使われてたらしいからな」


 イェヴォーチナは、地球で言うところのアンチョビ――カタクチイワシに近い魚だ。

 この辺りは内陸というのもあって、海魚の塩蔵品はあまり手に入らない。


「それ以外も、比較的手に入りやすい材料だけで作られてるのは確かだ。

 現地ではレパクって草の実もアクセントで使われてるんだが、今回は代わりにまだ熟す前の若い空色イクスイレッブの実の油漬けを刻んだのを使っている。

 黒い果実のカケラみたいのがそれだ」


 レパクはケッパーに似た味の食材だ。

 それが手に入らなかったので、コケモモやクランベリーにも似た味の空色イレッブの、熟す前のモノをオイル漬けにしたモノを使用した。

 熟すと甘みと酸味が増すこの果実の、まだ未熟な時だけ持つ風味と酸味はケッパーに似ているので重宝しているそうである。


「つまり、発祥は有り合わせのパスタってコト?」


 ルナサの言葉に、バッカスがうなずく。


「そうだと思うぜ。幻娼ともなると、ストロパリカみたいな稼ぎ頭でもないと、豪華な食材とかも使えないだろうしな」

「稼げるようになると自炊なんてしなくなっちゃうわよ」


 そんなバッカスに、ストロパリカは笑いかけながらそう告げて、改めてパスタを口に運ぶ。


 由来はなんであれ、この刺激的な味で夜のお勤め前に目を覚ましてたのかもしれないな……などとストロパリカは考える。


 あるいは――


「この刺激的な味わいそのものが、幻娼を思わせたのかも……」

「かもしれないな。

 だとしたら、ずいぶんと情熱的な幻娼が多い町だったんだな」

「そうでもないわよ。幻娼なんて情熱的な女のフリが上手いだけなんだから」


 それでも、プッタネスカが生まれた地の幻娼たちは、これを食べてその日の仕事をがんばろうと気合いをいれてたんだろうな……ということだけは、何となく感じ取れた。


「でもそうね。これを食べるとフリだけの情熱にも、少し気合いが入りそうだわ」


 だから、これはただの気まぐれだ。

 フリのはずのお人好しに、少しだけ火が入っただけなのだから。


「ねぇクリスさん。ランチのあとに時間はあるかしら?」

「あるけれど、どうして?」

「一緒に買い物にでも行かない? 女同士のデートってのもオツなモノなのよ?」


 驚く少女たち二人の横で、バッカスが何とも言えない顔をする。


 彼はきっと気づいているだろう。ストロパリカの目的を。

 それでも何も言わないということは、様子を見てくれるんだろうと勝手に判断した。


「あなたはもっと、ストレスを発散しなきゃダメなのよ」


 そうしてストロパリカは有無をいわさず、クリスとのデートの約束をとりつけた。


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