アンデッドには、昼も夜もない 1


 領都ケミノーサとモキューロの森の近くにある関所。

 そこを繋ぐ街道の途中から脇へ行ったところに、小さな湖がある。


 名前をレーシュ湖。

 その静かな湖畔で、釣り竿を垂らしている男が一人。


 あくびをかみ殺しながら、ぼんやりと竿を握っている彼――バッカスは、まなじりにたまった涙を拭いながら、うめく。


「全く釣れん。今日はもうダメかもなぁ」


 急に焼き魚が食べたくなってきて釣りに来たものの、完全なボウズである。


「ここで釣れないのも珍しいが、全くないワケじゃないしな」


 とはいえ、先日モキューロで遭遇した雄同士で群れた大鹿に、雑木林の鎧甲皮の猪、エメダーマの森に現れた餓鬼喰い鼠なんかを思うと、このボウズも無関係でないのでは? などと思ってしまう。


「仮に原因があるとすれば……」


 静かな湖畔からモキューロの森の影を見る。

 別にカッコウの鳴き声などが聞こえてくるワケではないし、そうでなくても外から見る分には怪しい気配などなさそうだ。


「考えすぎかねぇ」


 単に魚が釣れない理由を、余計な物事と結びつけたいだけかもしれない。


 太陽の位置はちょうど中天。

 朝から釣り糸を垂らしていたが、ボウズというのであれば今日は諦めるべきだろう。


「そろそろ帰るか……」


 そんなことを考えだしていると、ピクリとバッカスの耳が動く。


 彼は表情をしかめると、即座に釣りをやめた。

 それから釣りセットを腕輪に収納すると、代わりに魔噛マゴウを取り出す。


「ゴブリン、か」


 バッカスはこちらへと近寄ってくる相手の姿を確認して呟く。


 それは人間の子供程度の身長で、やや赤い肌に尖った鼻と尖った耳をもつ小鬼エルチル・アーゴとも呼ばれる――分類としては――魔獣だ。


 ボロを身体に巻いていたり、適当に削った枝や石をくくり付けた棒を装備する程度の知能はあるのだが、性格は単純で、難しい思考を苦手とする。


 一匹一匹はそこまで強くないのだが、その知能でもって集団戦闘を行うこともあり、群れに囲まれると少々厄介な相手だ。


 いたずら好きで雑食。

 また単純であるが故に、自分が楽しいと思ったことを繰り返す習性がある。


 前世の物語ではよくあった繁殖の為に他種族を襲うようなことは、この世界のゴブリンは基本的にしない。

 だが、繁殖の為ではない、遊びとしての性行に楽しみを見いだした個体などは、その限りではない。

 それはさておき――


「この辺りにいるゴブリンといやぁ、国境の向こうの山のはずなんだがな……」


 森の向こうに見えるその山の姿を確認し、バッカスは首を傾げた。

 生息圏から少々離れてはいないだろうか。


「まぁどちらであれ、悪さされる前に片づけた方がいいな」


 見た限りは四匹程度。

 群れで山から降りてきたワケではなさそうだ。


 放置しておくと四匹でも繁殖して集団化するので、今のうちに退治しておこう――そう思って、バッカスがゴブリンたちへと近づいていくと、少々違和感があった。


「なんだ……?」


 ゴブリンたちはフラフラと歩いている。

 元より落ち着きのない子供のように動き回るゴブリンたちだが、それとはどうにも違う。


「覇気……いや生気を感じないが近いか?」


 口に出してみるとしっくりくる。

 あのゴブリンたちはどうにも、生命力を感じないのだ。


 本来の色に比べると赤黒い肌には張りがなく、ところどころ皮膚がひび割れている。

 ギョロ目は必要以上に眼窩が落ち込んでいるし、耳まで裂けた口の端からは、涎が垂れ放題。

 それも通常時の、何が面白いのか笑い上戸のように笑って涎を飛ばしているのとは違う。


 ただただ口を開けたまま、垂れ流しているだけのように見える。


 そして何より――


「あれは……剣、か?」


 腹、心臓、頭、背中。


 それぞれのゴブリンの身体に、半ばで折れた刀身のようなものが突き刺さっている。

 頭と心臓に刺さっている個体は、そもそもどうしてまだ動いているのかも不明だ。


「ゴブリンゾンビってか? モキューロの森に、黒属性の魔力溜まりでも発生したのかね?」


 魔力溜まりの影響で魔獣――いや生き物に変化が発生することはある。

 ゾンビの発生などはまさにそれだ。


 墓地などで黒属性の魔力溜まりが発生したりすれば、墓場から死体が顔を出すこともある。


 だが――口に出してはみたが、どうにもしっくりこない。


「モキューロの森の場合、黒の魔力溜まりが生まれる要素が少ないんだよな」


 さらに言えば、そもそもゴブリンがこの辺りにはいない。

 ゴブリンゾンビという存在が、モキューロの森近辺にいることそのものが異常と言えるだろう。


「ま、考えてても仕方ないか」


 どちらにせよ、討伐するべきなのは間違いない。


 バッカスは小さく息を吐いてから、ゴブリンたちの前に姿を見せる。

 やはりというか、予想通りというか――ゴブリンたちはバッカスを見ても騒ぐことがない。


 本来のゴブリンであれば、好奇心でちょっかいを掛けてくるか、獲物と認定して襲ってくるか、どっちでもないならいきなり逃げ出すか。

 なんであれ、騒がしいことは間違いないはずである。


「あ、ぎゃ……がが……」

「ぐぎゃ、あ……が……」

「が……あ……ぎゃ……」

「ぎゃぐゃ……………が」


 くぐもった、あるいは掠れてしまいそうな声を出し、ゴブリンたちはバッカスを見た。


 焦点の合わない目だ。

 どこを見ているのか分からないのに、だけど間違いなくこちらを見ていると分かる。


「嫌な気配をしやがる。とっとと片づけちまうか」


 ただのゴブリンとして相手をする気はない。

 何らかの脅威として、手早く排除してしまおうとバッカスは魔噛を構える。


「がぁぁ……」

「ぎぃぃ……」

「ぐぁぁ……」

「げぇぇ……」


 そして――バッカスの想定よりも早い動きで襲いかかってきた。

 だが、バッカスは慌てることなくゴブリンたちを見据え、姿勢を低くして駆け抜ける。


ッ!」


 呼気とともにゴブリンたちの隙間を縫って背後へ。

 その右手にはいつの間にか抜かれていた刃が、陽光を反射していた。


 チン――と、刃が納刀され、鍔と鞘が擦れた音が響く。


 次の瞬間、ゴブリンたちの四肢が切り落とされた。


 しかし――


「……この状態で動く、か。まさにゾンビじみてはいるが……」


 もちろんまともに動けているワケではないのだが、だるまになった状態でも、まるで痛みがないかのようにもがいているのだ。


 不気味に思いながらも、バッカスは頭に剣の刺さっているゴブリンの首をねる。


 それでようやく動きを止めた。


「挙動は確かにゾンビなんだが、妙な違和感があるな」


 このまま放置するのも少々厄介そうだ。

 直感ではあるのだが、バッカスはその直感にしたがって、火の魔術を放つ。


「とりあえず、火葬だよな」


 火に包まれたゴブリンたちが、その身体に刺さった刃ごと灰となる。


 唯一、頭に刃が刺さっているゴブリンの頭だけが残ったのだが――


「……さすがゾンビ。頭だけでも生きているってか?」


 眼球が僅かに動いている。

 大本がゴブリンなのでそれ以上のことはできないだろうが、ゾンビ化していた魔獣によっては魔術でも放ってきたかもしれない。


「怪しいのはこれだよな」


 ゴブリンに突き刺さった刃で自分の手を傷つけぬよう慎重にそれを引き抜く。

 それから頭部も、ほか同様に火の魔術を放って灰にした。


 改めて、引き抜いた刃を観察する。


 薄汚れた刃だが魔力を帯びているようだ。

 魔導具や魔剣を解析するように、刀身に刻まれた術式を読み解こうとして、バッカスはうめいた。


「なんだこりゃ?」


 まるで、字がめちゃくちゃ汚なければ、参考に添えられた図式すら雑に書かれたノートを読んでいるような気分になる。そんな術式が刻まれている刃だ。

 むちゃくちゃな術式だが、読みとれる範囲だけでもあまりタチの良いモノではなさそうだ。


「これはムーリーと相談するべきだな。

 ゴブリンゾンビに関しちゃ、ギルドへ報告か」


 厄介ごとの予感をひしひしと感じながら、バッカスは嘆息する。


 適当な布を取り出して、刃を丁寧に包んでから腕輪にしまう。

 そのタイミングで、バッカスは人が近づいてくる気配を感じた。


「今度は何だ?」


 目を眇めて気配がする方を見れば、クリスがルナサとミーティを引き連れて走っている。

 かなり慌てた様子だが――


「バッカス!」

「どうした、そんなに慌てて」

「二人を連れてモキューロの森で採取をしていたんだけど、ゾンビと遭遇しちゃって」

「は?」


 思わず変な声が出る。

 恐らく、バッカスが今退治したゴブリンゾンビも無関係ではないのだろう。


「ゾンビって初めて見たけど、すっごい怖かったです……」

「元が人間だって分かっちゃうから、ちょっと……夢に見そう」

「人間、ね」


 初めて見てしまったならばキツいだろう。


「なぁ、そのゾンビって身体のどこかに剣が刺さってなかったか?」

「よく分かったわね、バッカス。心当たりがあるの?」

「少し、な」


 驚くクリスに、どう答えたものかと思案し、小さく息を吐いた。


「ガキ二人はとっとと帰れ。そしてギルドに報告しろ。

 思い出したくもないだろうが、どういう状況で遭遇し、どんな姿をしたゾンビだったのかを正確にな。

 あと、剣の刺さったゾンビと遭遇した時、その剣に気をつけろ。

 機会があったらミーティ――お前さんは剣や、剣による傷を鑑定しといてくれ」


 バッカスにしては固い声色に、二人もただならぬ何かを感じたのだろう。

 その雰囲気に飲み込まれたように、ルナサもミーティも素直にうなずいた。


「クリスは俺に付き合え。そのゾンビの調査と退治をする」

「構わないけど、どうしたの?」

「ゴブリンゾンビの群れと遭遇した。嫌な雰囲気がしたから完全に灰にしたが、どの個体にも身体のどこかに刃が突き刺さっていた」


 その説明で、クリスの意識が完全に切り替わっただろう。


「了解した。調査は間違いなく必要だ。付き合おう。

 二人はバッカスの指示に従って帰れ。ここから先は、足手まといを守りながらでは戦えない事態もあるかもしれん」


 普段の明るいお姉さん然としたクリスとは異なる、騎士らしい顔に切り替わったクリスを見て、二人は息を呑んだ。


「いくわよ、ミーティ。

 二人がこんな真面目な顔をするなんてただ事じゃない」

「う、うん……」

「二人ともちゃんと帰ってきてよ!」

「心配すんな。調査するだけだよ」


 心配そうな顔のルナサに、バッカスはとっとと帰れと手であしらう。


「ほら、ミーティ! 心配なのは分かるけど、本気で私たちは足手まといなの! やるべきコトをやるわよ!

 チカラのある人たちがその責任を果たそうとしているんだから、チカラの無い私たちもまた、その責任を果たさないと!」

「え、ちょッ!? ルナサ、引っ張らないで……! ルナサってば~!」


 ミーティを引きずりながら町へ戻っていくルナサを見送って、バッカスとクリスは顔を見合わせる。


「いくぞ。モキューロで何らかの異常事態が発生している」

「そのようだ。だが、ほどほどで切り上げるぞ。夜になる前に帰るべきだ」

「ああ。真っ昼間からゾンビが出るんだもんな。夜になったらどうなるか分かったモンじゃねぇ」

「アンデッドに昼も夜も関係ないが、夜の方が厄介だからな」


 ゾンビは黒属性の魔力によって強化されやすい。

 そして夜になると、世界に黒の魔力が増す。


 ゾンビに限らず夜行性の生き物や、夜になるとチカラを増す魔獣というのは、世界に満ちる魔力量の変化によるモノが要因である。


 ともあれ、バッカスとクリスはモキューロの森へ向かって歩き出すのだった。


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