腹が満ちれば、思いも変わる 8
本日更新3話目٩( 'ω' )و
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バッカス氏の工房というのは――ホルシスの目線で言えば、よく言っても見窄らしいものだった。
無論、一般的な平民の家屋と比べれば十分に大きいのだが、富豪たちの家屋と比べると随分と見劣りする。
ホルシスにとっては、旦那様の知人がこのような場所で生活しているというのが信じられなかった。
「二階にいると言ってましたので、二階へ行きましょう」
「ああ」
ミーティ嬢はそう言うと、随分と狭く一段一段が高い階段を登っていく。
旦那様も躊躇いなくそれに着いていくので、ホルシスも黙って二人の後をついて行く。
階段と同じくらい狭い廊下を少々歩いたところで、ミーティ嬢が部屋のドアをノックする。
ほどなく、中から男性の声が聞こえてきた。
「あいよー」
「ミーティです。完了報告に来ました。
あと、お客様もお見えになってます」
「お疲れさん。ちょいと待っててくれ」
ややして、内側からドアが開けられ、手入れのされていなさそうな黒髪の男性が姿を見せる。
無精ひげも残っており、ホルシスとしては旦那様の知人であるというのが信じられない気分だ。
とはいえ、彼は旦那様を見て皮肉っぽくもどこか嬉しそうな笑みを浮かべたあたり、やはり知り合いなのだろう。
「コーカスさん、久しぶりだ」
「ああ。久しぶりだな。相変わらずのようで何よりだ。今回は世話を掛けた」
「気にしなくていいさ。こっちとしては拾いモンの世話をした程度のモンだしな」
旦那様に対する言葉遣いのなってなさは、仲の良き友人という見方をすれば許せる。
だが、拾いモンの世話――という言い回しには、ホルシスも少々イラっとした。
その様子に気付いたのだろう。
旦那様はホルシスをなだめるように言った。
「ホルシス、こいつはヘタな貴族より頭も舌も回る。この程度でイライラしていたら身が持たんぞ」
「悪いな。どうにも物事を悪し様に口にするのがクセになっちまってんだ」
皮肉っぽい造作の顔を、より皮肉っぽく歪めて謝罪をしてくるバッカス氏。
その姿を見て冷静になったホルシスは旦那様の言葉を理解できた気がした。
「いえ、こちらこそ初対面の方に申し訳ありません」
素直に頭を下げると彼も、こちらに対して雑な動きではあるものの、頭を下げてくる。
少なくとも、謝罪したら負けだと考えているような人物ではなさそうだ。
「とりあえず、入ってくれ。散らかってはいるが、入ってきて貰えないと説明もできんしな。
ミーティも悪いが、入ってきてくれ。報告は後で受ける」
「わかりました」
そうして部屋へと招かれて、ホルシスたちは中へと足を踏み入れる。
「相変わらず……恐ろしい部屋だな……」
中を見渡していた旦那様が、うめくように口にした。
その意味が分からず、ホルシスも同じように周囲を見渡す。
一般的な平民の生活というのを知らない為、ホルシスもこれが恐ろしい部屋なのかどうかというのも分からない。
「ホルシス、ミーティ嬢、気をつけろよ。
バッカスが何てコトもないように利用してる魔導具の数々……どれも、貴族ですら中々手を出せないシロモノや、表向き開発中で市井に出回ってないシロモノばかりだからな」
「え?」
「なんと」
恐ろしい部屋――という言葉の意味を理解して、ホルシスとミーティ嬢は固まった。
「そんな大層なモンじゃねぇって。
既存のモンじゃモノ足りねぇから必要なモン付け足すように改造しただけだし。あとは自前で用意した奴か。案外そっちの方が多いくらいかもな」
「その自前で用意したり改造されたりした魔導具がどれもこれも常軌を逸した一点モノだから頭が痛くなるのだよ」
いい加減に理解してくれ――とうめく旦那様の様子から、バッカス氏の作る魔導具が常軌を逸したモノが多いのだと、匂わせる。
値段を付けたらいくらになるのか――そんなことを考えると薄ら寒くなってくるホルシスを横目に、ミーティはその双眸を輝かせていた。
「常軌を逸したって……ひどいな」
わざとらしく口を尖らせながら、バッカス氏はミーティ嬢へと視線を向ける。
「ミーティ。こっちの部屋は好きに見てていいから、ちょいと待っててくれ」
「わかりました」
快活にうなずくミーティ嬢。
彼女は大変素直で、良い娘のようだ。
「コーカスさんと、執事さんはこっちだ」
少しだけ彼の声のトーンが変わる。
その意味を理解できないホルシスではなく、素直にうなずいて彼と一緒に静かに寝室へと足を踏み入れた。
貴族の寝室と比べると随分と狭いことにホルシスは驚いたのだが、旦那様は気にした様子もなく、ベッドへと向かっていく。
やや見窄らしいベッドでは、クリスティアーナお嬢様が、穏やかな寝息を立てていた。
ここ最近の様子が嘘のように穏やかな寝顔で、顔の血色も良くなっているように見える。
「とりあえず、メシを食わせて睡眠を取らせた。
ここ数日まともに食ってなかったようだし、寝不足と疲労もすごかったからな。
今は体調は戻りつつあるようだが、発熱がある。
恐らくは冷たい雨に打たれ続けたせいだろうとは思うが……まぁ疲労で体調崩しても熱が出るコトがあるから、どっちのせいかまでは分からん」
まるで医者のような言葉に、ホルシスは目を見開いた。
しかも、適当なことを口にしている様子はなく、診察した結果を淡々と語っているようだ。
「しかし、食事と睡眠でここまで改善されるのか?」
「何があったかまでは聞かねぇが、食欲がなくなるくらいの出来事があったんだろ?」
「ああ」
「空腹と睡眠不足――そのどちらも、思考を鈍らせる。それどころか、それが続けば精神そのものから安定感を奪う。
そんな状態で問題の原因について考えていれば、どんどんど思考がダメな深みにハマっていくもんだ。
そうなると、余計に心が疲弊して、その影響で食欲が薄くなり、寝るコトが困難になる」
なんということだ――と、ホルシスは二人に気づかれないように、奥歯を噛みしめる。
話を信じるのであれば、そこまで行けばあとは悪影響の循環だ。
心の不調が身体へと影響を与えている状態から、悪影響の循環によって本格的に身体が壊れていく。
そして実際にその様子に心当たりがある。
それほどまでにお嬢様が追いつめられていたのだと思うと、ホルシスは叫び出したくなる思いだった。
「それで、どうやってこの子に食事を?」
「好奇心を引き出した」
「ほう?」
「倒れているのがノーミヤチョークのお嬢さんだと気付いた時点で、献立は
そこで、ホルシスは首を傾げた。
「バッカス氏は、お嬢様をご存じだったのですか?」
「ああ。王都で暮らしてた頃に通ってた馴染みの米料理の店は、彼女の馴染みの店でもあってな。面識はなかったが、一方的に知ってた。
米料理にハマってる奴ってのは、未知なる米料理に目がないからな。
手持ちのレシピの中に、病人向けの良いレシピがあったんだ。
あとは興味の湧く演出と、見た目。もっと食べたくなる工夫なんてのを施してみた」
何てことのないように口にしているものの、それがどれだけ難しいことか。
レシピを知っていたところで、興味を引く方法やもっと食べたくなる工夫というのは非常に難題だ。
「それでも口にしてくれるか分からなかっただろう?」
旦那様の言うとおりだ――と、ホルシスは思う。
だが、バッカス氏は勝機はあったと、口にする。
「寝るというよりも気絶に近い形だったとはいえ、多少は身体が休まっていた。この時点で僅かに食欲が回復してるだろうとは思ったからな。
あとは食べてさえくれれば、胃が刺激され正しく空腹を覚えるだろうし、食欲が満たされれば身体が勝手に眠気を訴える。それに身を任せてくれるのなら、今度は正しく睡眠によって身体が休まる」
それが今の状態だと、バッカス氏は示した。
穏やかな呼吸。発熱によるものだと思われるが、赤みの差した顔。
ここ数日の幽鬼のようだったお嬢様の面影は消え失せて見える。
「腹が満たされると気持ちも満たされるって言うしな。
今度目が覚めた時は、もうちょっと建設的に、問題の原因と向き合えると思うぜ」
そう告げて、バッカス氏は自身の指先をお嬢様の額に当てます。
「何を――」
思わず声を上げようとしたホルシスを、旦那様が制した。
「
紡がれたのは恐らくは呪文。
何らかの魔術が行使され、穏やかな光がお嬢様の頭部を包み込み、やがて消え去っていく。
「より眠りを深くしたのか?」
「そんなところだ。夢も見ないくらい深く眠ってくれてた方が、運びやすいだろ?」
そう告げて彼は片目を瞑ると、お嬢様を抱き抱えた。
「だ、旦那様……!」
「良い。バッカスは誠実だよ。抱き抱えたコトに深い意味などない。あくまで行動指針が平民なだけだ」
「……そうですか……」
うなずくホルシス。
だが、一方で説明を口にしたはずの旦那様にとっては、あくまでもホルシスを納得させる為の方便でしかない。
「まぁバッカスの場合、貴族の行動指針を理解した上でやってるんだがな」
まったく困った奴だ――と声に出さずぼやく旦那様に、バッカス氏もホルシスも気付くことはない。
「馬車まででいいか?」
「ああ。頼む」
平民は異性に触れ合うことそのものに貴族ほど忌避はないのだと、ホルシスはここで初めて知ったのだった。
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準備出来次第、もう1話アップします٩( 'ω' )و
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