重力環境下におけるマネジメントと私たちの魔法についての一概想

常川悠悠

短編:完結済

 1.

「打ち上げいかない?」という声を背に私は、上がったら下がるだけなのに、と思ったが、口には出さないのが社会人とも思う。

 年が明けた頃、周りがマフラーなど帰り支度をする中、作業を続ける。手元には次のお客様であるホウキビールの夏の新商品「ファイアワーク」の資料がずらり。この加熱処理済ビールの魔法広告構築が次案件だ。資料を見ていると、髪が垂れ、かかる重力に気づく。重い。翼をくれ、とエナジー缶をプシュと開ける。

「浮かない顔だね、ニオさん」

「……そりゃ、重力かかってますから、浮いてないですよ」

 重力?と声をかけてきたのは上司のホッタさんだ。見かけない男性を連れている。

「一緒に参画するイズリくん。よろしくね」

 彼を残しホッタさんは別の会議室に消えていく。定時過ぎだが、気にする人間は残念ながら、あまり、いない。

「よろしくお願いします。ニオと言います」私はネームカードを見せる。ニオマイハ、役職はチーフマギカ……に、最近なったばかりだ。

 彼もカードを見せてくれる。イズリロン。マギカ。事前に連携された情報には、研修上がりだが大概の詠唱は可能と記載があった。

「できる新人さんと伺ってます。よろしくお願いします。まずは、案件の説明を……定時過ぎてますが、大丈夫です?」

「余裕です」

「頼もしいですね、……では、ざっと導入だけさせてください」

 私はデスクの資料を見せる。株式会社ガイソーワークス、新資源エーテルを用いた地球にやさしい知覚干渉技術、それは“魔法”と呼ばれ、現在は私どものような広告業に広く利用されています……「なんて説明は、研修で聞いたばかりと思いますので、飛ばします」とページをめくる。

 次の案件はビールの広告魔法の構築。ビアガーデンで発表し、打ち上げ花火でドカンと宣伝したい、という。

「わりとベーシックな詠唱で可能と思うので、気軽に。ちなみに、花火の詠唱は?」

「えーと、こんな感じですかね」

 そういって彼は小声で唱えて軽く杖を振る。


『雑踏のなか見上げた夜空に一筋の光が上がり弾け、大輪の火花に遅れて聞こえる音が胸を叩く、私の掌の上で』


 瞬間、彼の手から、小さな花火が上がった。

「……やりますね」

「ありがとうございます」

 すました顔で彼は答える。これなら即戦力だな、と私は思った。

 明日からよろしく、とイズリさんを帰した私はひとりデスクに向き直る。残業続行。案件作業社内雑務過去案件フォロー懇親会打診と、業務はキリがない。


 ああ、もうヒラに戻りたいな。なんで私この仕事やってるんだっけ。


 この役職になり、実詠唱側から離れ、前より仕事に楽しみが見出せないでいた。

 また、残業代が手当に変わったのだが、その分業務量が増えたことも悩みの一つだ。確かめてみるか、と、管理職となった後の業務時間と出なくなった残業代を時給で計算した。やはり、ヒラより手取りが減っている。

「上がったら下がるだけじゃん」

「株価の話?」

 会議を終えたホッタさんに聞かれていた。

「違います」「金利?」「いいえ」「なら血圧」「下がってほしいんですね」「そうそう」

 この上司は軽口も叩ける色々とありがたい方だ。雑談ついでに私は質問する。

「あの、管理職のいいところってなんですか」

「……ないよ」眉を下げて、わかりやすく悲しい顔をする。

「ないんですか」私もより悲しい顔を返す。

「いや冗談、でも少ない」腕を組んで考えながら続けてくれる。「けど、ある。例えば、裁量とか」

「裁量」

「うん、ルールとかを承認する側になるから、多少は好き勝手やれる」

 割に合わない時はあるけど、という上司の呟きに、ですよねぇ、と私は答える。困ったらいつでも相談を、とホッタさんは笑う。実際いつでも話を聞いてくれるのはこの人くらいだ。

 ホッタさんの教えをなぞるのが精一杯で、上の立場でやっていく自信がもてないでいた。いつかこの人に先んじて何かできたら自信がつくだろうか、と私は考える。

「で、次の案件とイズリくん、どう?」

「そうですね、難易度低い案件ですし、天地がひっくり返るようなことがなければ大丈夫かな、と」


 2.

「やっぱり単純な花火だとダメだと思うんですよね!」

 こんなんじゃ売れません我が社のビール、とエグゼクティブマジカルマーケターと名乗ったデモトさんはホワイトボードをぐるりとひっくり返して会議を真っ白にした。私はこの前届いた荷物に貼られた「天地無用」のシールを思い出し、今度から提案書に書いておこうと考えた。

「夏といえば打ち上げ花火、そこまではいい。ただ、単純な花火なら『普通に打ち上げ花火でよくね?』となりませんか?それではノー・グッドです。魔法ならではのプロダクトのバリューをクリティカルに伝えるプランがないと!ゼロベースから広告をアップデートしたい!」

 ばん、とボードを叩いたデモトさんはメガネをクイ、と整えて言う。

「やり直しでお願いします!魔法なんだから、ちょちょいのちょいでしょ!」


 自社に戻った私たちは会議室に入る。重い沈黙。イズリさんを見ると、苦い顔をしていた。さっき化粧室で見た自分の顔に似ている、と思った。

「……イズリさん、どう思います?」

「あー、仕事熱心だな、と」

「もう自社なので、オブラートなしでいいですよ」

「聞いてた話を明らかにガン無視していきなりなに意味の通らねえカタカナばっか並べてんだこの「はいストップ、言い過ぎ……てはないですね、同感です……」

 二人でため息をつく。これまで話を進めていたのは別の方だったが、急に現れた謎の男がすべてを更地にし満足げに去った。元の担当は、引き継ぎはしてありますので、と言って消えた。いったい何を引き継がれたのだろうか。

「魔法なんてちょちょいのちょい、ですって」

 イズリさんは苛立ちを隠さずに言う。

 魔法。空間を漂うエーテルをリソースとして、媒介に触れ、言葉を概想形式に則り唱えることで、聞いた人の五感をハックし、感覚を共有する技術である。最終的には杖(媒介が塗布された棒)を振って唱えるだけの『ちょちょいのちょい』という見た目にはなるが、概想形式にはそれなりの訓練・経験と膨大なテストが必要となる。

「魔法が普及してから随分経っていますが、かかる手間を理解している方はまだ少ないですね、残念ながら」

 例えば、『雨』を出すとき、あめ、というとお菓子が出てきてしまうことがある。これを防ぐため場面などの詠唱が必要となる。さらに厄介なことに、出したい単語をそのまま言うと、不安定な感覚が出力されてしまう。『火炎』といっても大火事からコンロの弱火まで、人により想像する炎は違い、感覚共有では詠唱者、被詠唱者双方のイメージが影響し合うからだ。それらを支配し、聞く人に共通イメージ、通称『概想』を起こすのがマギカの腕の見せ所、というやつだ。

「単純じゃダメと言われてもお客様も具体案はないようで……」イズリさんは言う。

 私たちはひっくり返っただけの状態で帰るわけにもいかず、一応、「どんな感じで?」と聞いたものの、「スカッとする感じで」程度しか情報を得られず、ムカッとする感じで退散したのだった。

「いくつか代案出しますか?スカッとする感じで」

「そんなすぐ出せるんですか、イズリさん?」

 まあ出すだけなら、と彼は杖を振り始める。


『厄介な腹立つクライアントに右アッパー、ドカンと顎をぶち抜き奴の目から火花が飛び散る。気持ちのいい花火が上がったもんだぜ』


 確かにデモトさんがノックアウトされている姿が見えた。

「……ナシで」

 さすがに冗談です、とイズリさんは言う。

「もう少しマイルドな感じで色々考えておいてくれますか?」

「承知です。先輩は?」

「まずはスケジュールとか予算の相談をしてきます……」


 3.

「……ということなんですよ、ホッタさん」

 翌日の昼休み、相談を兼ねて私はホッタさんとランチをしていた。オフィスの談話室で、私はサンドイッチ、ホッタさんはハンバーガー。会社にくるとジャンクなものを食べたくなる、と笑う彼は二児のパパだ。

「デモトさんね〜、今俺も同じ会社さんの案件なんだけど、来たのよ、彼」

 そう言いつつかぶりつく。ハンバーガーを持つと小指が立つんだな、と思う。

「来ちゃったんですね」「来ちゃったんですよ」「ひっくり返しちゃいましたか」「もう大回転」

 ホッタさんは口の端を歪ませる。

「共通の敵がいると協力できるって言いますよね」

「そう、悪の大王を倒すためにね」

「大魔王デモトを」

「おっと、名前を出しちゃいけない」

 そう言ってホッタさんは警戒するふりをする。「ここ自社ですよ?」私は笑う。

「いや、嫌な予感がして、名前呼んだら急に来てぶちこわしていきそうな」

「名前を呼んではいけないあの人、ですね」

 昔の児童小説から引用すると、ホッタさんもわかったようだった。

「倒すには呪文を跳ね返すしかないんじゃないかな」

 ひっくり返し返し、とホッタさんは言う。

 それができればね、と言って、二人で落ち込みかけたので、別の話題を振る。

「そういえば『サモナー』って知ってます?」

 最近話題になった、魔法詠唱を自動化する商品の名前を出す。北国の会社が発売したもので、詠唱を固着させ、詠唱者不在でも魔法を実行できる、というものだ。好評ですでに生産が追いつかない状態らしい。

「アレ、どうしようね」

「詠唱部分がアレ使うからって値切られそうですよね」

「その分上手く使えばこっちも楽なのかもだけどね」

 でも噂だとまだ不安定みたいでしばらく様子見、とホッタさんは答え、私はそれから予算の相談などをし、あれは顧客が悪いから交渉するけど頑張って、と言われた。

「じゃあ、なんかあったら情報連携して」

「はい、よろしくお願いします」

「うん、約束ね」

 ホッタさんは、ハンバーガーを持つ手をこちらに向けた。自分の手を見ると、つられて小指を立てていることに気がついた。

「げんまん、ってね」

 よく息子とこれやるんだよ、とホッタさんは笑う。これを社会人の後輩にやって許される雰囲気は真似できない、と思った。


 4.

 数日後、もちろん定時過ぎ。ブレインストーミング・イン・会議室。まだ人が残る時間に私とイズリさんは杖と紙とペンと辞典を散らかして悩んでいた。翌日に再プレゼン予定で、ブレストをやっている場合では、ない。

「打ち上げ花火ってだけで縛りがきついんですよね」イズリさんがだるそうに喋り始める。

「縛り?」

「はい。イメージの拡張性がないんですよ、完成されていると言いますか」

 せめて花火だけならネズミとかロケットなりあるんですけどね、と彼はいう。

「でもまあ、それが当初のクライアントのご希望でもあったので」

「何がですか?」

「コストの関係です」

 魔法は、共通イメージが同じものだと楽に構築できる。今回はもう『打ち上げ花火』と詠唱すれば最低限の品質は保証しながら工数も減らせる、と見込んでいた。早くできれば安くできる、これが概想業界というかクライアントワークの掟である、とイズリさんに伝えると、納得したように彼はうなづく。

「とくに管理とか顧客折衝が入ってくると、その観点から確認をしなければ、です」

「なんか、思ったより大変かもですね、この業界」魔法唱えていれば稼げていいと思ったんですけど、と彼は言う。

「大変ですよ、縛りがきつくて。最近は重力が強くなってきたようにも感じます」私はつい今の作業を時給換算してしまう。

「重力」

「はい、上がれば下がる、この地球に住む限りついて回る物理法則です」

「税金にその法則ほしいすね」給料にはその逆がいいな、イズリさんは冗談めかして笑う。わかってきたじゃないか、と私は嬉しくなる。

 会議は続き、背中に痛みを感じた私は椅子の背もたれに体重をかけていく。後頭部に重力を感じて、もうそのまま落としていけと、ぐーっと背もたれをリクライニングする。そうすると、髪がぱさり、と音を立てて、視界の上方に向く。

「あ」

「なんです?」イズリさんが私のほうを見て驚いたようだ。だらしない姿勢だが、今はいい。

「イズリさん、花火出してもらえませんか」

「いいですけど」彼は軽く杖を振る。椅子に極限までもたれた姿勢のまま私はそれを眺めた。

「ひっくり返し返し……」

「どうしたんですか?おかしくなっちゃったんですか?」

「イズリさん」

「はい」

「一緒に、悪の大魔王を倒しにいきましょうか」

 おかしくなっちゃった、と彼は言う。


 5.

 なんでビアガに来て呑めないのか、とイズリさんが訴えるので、業務時間だから、と答えた。急なトラブルに備えて待機、まで含めて今回の契約範囲である。

「もうあとはサモナーが勝手にやってくれるって話じゃないですか、良くないですか別に」

「そういうわけにも……。何があるかわかりませんし」

「そんな感じでずっと働くから残業続くんですよ」イズリさんは疲れが溜まってきているようで、そのうち慣れます、と私は返した。

 思い返すのはひと月ほど前のこと、必死こいて練った案は無事顧客レビュを通ったものの(そこで「やっぱちょちょいじゃないですか!」と言われたことは忘れよう)、テストまで終えた後が問題だった。

 急に顧客がサモナーを購入し、実詠唱工程の契約を値切ってきたのだ。これでいけますよ、と大魔王が宣い、交渉の末、詠唱料金は値切られたが稼働監視は行う、というよくわからない契約となってしまった。正直、気が乗らない。

 私たちは半ば休憩のつもりで、ビアガーデンのスタッフ室に近い席に座り、わんさかと入るお客さんを眺めていた。暑い。今年最高気温というニュースを朝に見た。昨日は雨でサウナ状態、それもあってか大盛況だ。とりあえず生で、という声があちこちから聞こえる。

「そろそろですよ」腕時計を見ると、午後七時五十五分。八時から詠唱が設定されてあるはずだ。

「初案件どうでした?」私は彼に聞く。

「そうですね、色々思いますけど、まずはなんとか終われそうでよかったなぁ、と」

 もちろんまだ終わってないですけど、と彼は呟く。

 再度、時計を見る。七時五十九分。針がゆっくり進んでいく。できることはないが、やはり緊張はしてしまう。イズリさんも落ち着かない様子だ。八時になった。三十秒経過する。まだですかね、と彼は言う。わからない、と私は答える。一分が経過した。

 あれ?


「どうなってるんですかこれ!」

 スタッフ室に入るとデモトさんが狼狽えていた。周りのスタッフも慌てている。

「それが、サモナーが突然止まって」「修理は?」「いまサポートに電話してますがなんとも」

 客席がざわつき始めた。私は壁に貼られたイベントのポスターに目をやる。


 ”未体験の花火とビールを。午後八時開始。”


 時計を見ると八時三分。焦れ始めるころだな、と思った。

「イズリさん、杖あります?」「もちろんです」「詠唱は?」「いつでも。ただこの人数だと、イメージ共有が心もとないですね」「では私も一緒にやりますか」「先輩が振るの初めて見るかもです」「OK、じゃ準備を」

 私とイズリさんは連携を整理し、彼は会場のほうへ向かう。私は端末から上司への通話ボタンをタップしていると、デモトさんに声をかけられる。

「ワークスさん!サモナーってすぐ修理できたり?」

「いえ、その製品は弊社の責任範囲外の認識です」

「責任って、今んなこと言ってる場合じゃ」

「言っている場合です」私はデモトさんを見据える。予算スケジュール対応、言いたいことは山盛りだが、まずは課題解決が優先だ。「ただ、当社の責任範囲で対応することはできるかと」

「というと」

「今から私たちの臨時詠唱で広告を出せるかと思います。ただ、緊急で対応範囲外ですので、別途予算いただきますが……」

「そんなのいい!いくらかかってもいいからお願いします!」

 デモトさんが焦った様子で頼んでくる。私は電話をとる。

「……ということですので、各種契約書類お願いしていいですかホッタさん」

「了解ですよ。実施よろしくね」

「承知しました」

 いつでも電話を、と言って実際出てくれる上司はありがたい。私はデモトさんに向き直る。

「では、料金については後ほど。……後は我々、ガイソーワークスにお任せください」


 戻ると、イズリさんが準備を終えていて、会場の中心に陣取り、マイクをどこからか用意している。

「イズリさん、完璧です」

「いえ」

 彼の額には汗が滲んでいて、終わったら労おうと思った。

「イズリさんメインで、私が挟みます」彼は頷く。

 私は久しぶりの詠唱に少し浮かれる気分だった。やれるかな、やれるでしょ。

「始めましょう」

 時刻を見ると八時十分。お客さんのざわめきはピークに達していた。

 イズリさんは、右手に杖、左手にマイクを持ち、詠い始める。


『定時を二時間過ぎたころ、肩が重い、明日も仕事でまだ呑めないな、終わらない仕事、始まったから終わるよ、と言い聞かせて今日もようやく』


 声が会場に響き渡る。聞いた人々が、それぞれの疲れを思い出せるように。お客さんは次第に静まっていく。イズリさんは穏やかな調子で、染み込んでいくような声色で詠唱を続ける。杖が揺れ、エーテルのさざ波が生まれる。私はその波に乗せるように言葉をつなぐ。


『呑めないころはどうしてたかな、大人を見上げていればよかった、思い返すと寝れなくて、目が開いても真っ暗で、続いてしまう明日に』


 ふっ、とライトが消える感覚。エーテルが満ちる中で私たちは同じリズムでゆらぐ。


『俯いたり謝ったりずっと下ばかり見て、まるで重力が働く地球で生きて』

『この先ずっとこんな感じかな、ごまかして』

『ようやく終わって帰り、寄ったコンビニで見つけたビールを見て思い出す季節、そういえば夏、袖をまくって今日はこれで打ち上げ』

『プシュと開けた瞬間、空から球が落ちて』


 イズリさんが詠う。私はプシュ、と音を出してあげる。上手ですね、という目で彼が見てくるから、だろ、という目で返す。


『黒い大きな球、落ちてくるそれは、口につける瞬間に目線の高さ、飲む瞬間に弾け、パッと炸裂した球は火花に。拡散する琥珀色の光』

『飲み込まれ、海に浮かぶようで』

『通り過ぎた光は、視界の消失点まで辿り着き、やり遂げたように重力に逆らってゆらゆらと空へ上がって』


 エーテルの海の中で私たちは空を仰いでいた。

 私は昔の光景を思い出した。近所の花火大会、親が最前列の席をとってくれた。花火が上がる中振り返った。たくさん人がいて、そろって花火を眺めていた。あの時、みんな魔法にかかったみたいって思ったんだっけ。


『ぱらぱらできらきら』

『自然と見上げていた、このまま自分も浮き上がっていけそうで』


 終わっちゃった、じゃなくて、あー終わった、ってスカッとする花火。

 上がったら下がるだけ、なんて思わせないように、重力に縛られていることを一瞬でも忘れられたら、素敵でしょ。


『その光は、消える、と思った瞬間、しゅわ、と弾ける、それは炭酸飲料』

『そういえばこの缶の名前は、見るとホウキのマークとビールの名前』

『そのままじゃないか、と私は』

『遅れて、どん、という音が響いた』


(……詠い終わった)

 感覚が戻る。ここはビアガーデン。時刻は八時三十分。イズリさんを見るとはあ、と肩を落としていた。

「お疲れ様です」

「先輩も、です」

 効果は上々のようだ。会場から、広告のやつ、という注文がちらほらと聞こえる。

「残念なお知らせを」私は彼に言う。

「なんですか」「まだ仕事終わってません」「うへえ」

 予想通りの反応に私は笑う。緊急対応は後々なあなあで済まされないように早めに費用の書類を先方に渡さないと、と伝える。

「……でもまぁ、オフィス戻ってからでいいですし」

 私は、席に置いてあるメニュー表を見せる。

「一杯だけやっていきましょうか」

「いいんですか?」

「いえ、良くないですけど」私は笑う。

「ただまあ、数少ない裁量の使い所かな、と」

「先輩」「なんですか」「つまみも欲しいです」イズリさんは真顔でねだってくる。

 頼んだビールが缶でくる。二人で乾杯、とぶつけてグイとあおる。

 彼の缶を持つ手の小指が立っていた。さすがに指切りをする気にはなれないが。

「イズリさん、わかっているとは思いますが」「はい」「業務時間中のアルコールはご法度です」「はい」彼はぐい、とまた飲む。私も飲む。

「なので、今回のこれは、内緒で秘密ですから」

 彼はにや、と笑って頷く。約束ですよ。


 6.

 数日後、定時過ぎのオフィスで私はイズリさんと二人で作業に追われていた。

「なんでこんなに仕事あるんですか、この会社」彼が言う。

「こないだの花火の案件が好評だったみたいで、名指しで仕事きちゃったんですよね……それも数件」

「好評なのはありがたいんですけど、負担も上がるのはちょっと」

「そういうもんです」私は笑う。

「先輩、最近、なんか楽しそうですね」

「そうですか?」

「なんか、最初に会った時はもっとこう、下り調子でした」

「……そうですね、最近、裁量の使い方を覚えたので、楽しくなってきたかも」

 業務時間に飲むビール、なんてボーナスタイムは相当限られているが、それを許せる立場なのは楽しいものだ。

 とはいえ、業務量は一向に減ってくれない。仕事を終わらせる魔法が欲しいが、こればかりはエーテルではどうにもならない。魔法でどうにかなるのは気分だけ、とは誰が言ったのだったか。

「ニオさん、イズリくん、今大丈夫?」

 ホッタさんがのんびりとやってくる。

「どうしました?」私が答え、イズリさんも手を止める。

「いや、半分雑談なんだけど、どっちかっていうと良い話」

 そう言って近くの椅子を寄せて座り、まずはしょーもないところから、と始める。

「この前の案件で使われたサモナー覚えてる?あの故障の原因がわかって」

「なんだったんですか?」

「高温多湿」

 はい?とイズリさんと二人で返してしまう。

「開発元が寒いところでしょ?そこより暑い国を想定した環境テストが甘かったらしくて、そこに今夏の最高気温の日に使っちゃったもんだから誤作動起こしたんだと」

 今後使う時は実地検証挟まないといけないね、とホッタさんは一人で納得したようだった。

「あれがうまく動けば楽になると思ったのに、仕事」

 イズリさんがぼやくと、上司は真面目な顔で言う。

「そうでもないんじゃない?しなくても良くなったことが増えると、だいたい他の仕事が増えるから」ふしぎだよね、という上司にイズリさんはゲンナリした様子だ。


「それとあと」内緒話のように口元に手をやって「デモトさんの話」とホッタさんは言う。

「名前出しちゃいけないのでは?」私は少し笑ってしまう。

「いや、今は大丈夫かも」そう言ってホッタさんは顛末を話してくれる。

 なんでも、花火の案件のことを鼻高々に社内でしゃべり散らし、魔法なんてちょちょいのちょいだとさも自分一人の仕事のように言いふらしたらしい。

「ただね、あちらの会社さんも魔法のことよくわかってないからさ、ホントにデモトさんがやった、って思った人も大勢みたいで。簡単なんでしょ、って大量にできもしない仕事が回ってきちゃってるみたいで、さっきウチに泣きついてきた」

「……へえ」私はKOされたデモトさんを想像し、社会人として笑いを堪えた。

 まあできる範囲で費用上乗せしようとは思ってるけど、とホッタさんは続ける。

「あの調子だと彼の評価も下がっていく一方だと思ってる。そのうち別の人に変えられるんじゃないかな」

 他の会社のことだから知らないけどね、と付け加えた。


「最後、これは提案」ホッタさんは私たちを見て言う。「来週、打ち上げ行かない?会社のお金で」

 やった、とイズリさんは言う。お店探してくれる?とホッタさんは言い、早速と後輩は社用端末を片手にフロアを出る。予約の電話を取りにいったようで、気が早いなと思う。

「慣れてきたみたいだね」

「はい、優秀ですごく助かってます」

「ん?ああいや、ニオさんのこと」

 管理職上がり立てだからクサクサしてないかと思ってたんだけど、と言うので、最近はマシです、と返すとホッタさんは笑う。

「ついでに、役職持ちの極意を少し」

 ホッタさんは悪巧みをするような顔で言う。

「部下と一緒に悪いことしたり、約束をしてそれを守ると、仲良くなれて、一緒に仕事がしやすくなる」

 私は驚く。

「……ホッタさん」

「ん?」

「それ、やってました」

 先を越されたか、とホッタさんは笑う。

「打ち上げ楽しみだねぇ」

「はい、とても」

 ホッタさんは嬉しそうに喋る。「あのビール売れてるみたいで、その辺のお店でもよく見るんだよね、それも楽しみでさ、飲むぞーって感じ」

「血圧気にされてませんでしたっけ」

「いや、最近下がってきてるから」

「下がったら上がるだけですよ」

 イズリさんが戻ってくる。打ち上げが楽しみなのか浮かれた調子で、重力がないみたいだな、と思った。

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