4話:未来、今、過去

 馬車は二時間ほどで止まった。馬車が停止してからしばらくして、「降りろ」と短く命令される。命令されることにも慣れたものだとジュリアスは不意に、いまの自分の立場をおかしく思った。

「……何を笑っている」

「別に。自分が畜生のようなものだと理解しただけだ」

「そうか。それは何よりだ」

「お前は、」

 背を向けたシルヴィオに、馬車から降りたジュリアスは話しかけた。

「命令するのに慣れているな」

 嫌味ではなく、思ったことをジュリアスはそのまま言った。シルヴィオは「だからなんだ」と不機嫌そうに言い、そして、

「無駄口を叩くな。それと、フードは目深に被れ」

 またしても命令を下した。ジュリアスは大人しく従いながらも、どこか違和感、いや既視感を覚えていた。

「シルヴィオ。僕は、お前と面識があるような気がする」

 ジュリアスはそう言った。だが、シルヴィオは何も言わなかった。御者台から降りて近づいてきたザミルの方へと顔を向け、声を潜めて言った。

「集落の長に会いたい。できるか?」

 シルヴィオの問いにザミルは「来な」と短く答えた。

 馬車は、集落を横切り、集落の中央から少し外れた位置にある屋敷の脇に止まっていた。屋敷の前には見張りらしき槍を持った男が立っていたが、ザミルがその前に立つと、さっと脇に退いた。

 ジュリアスはザミル、シルヴィオの後ろについて屋敷に入った。――屋敷、といってもジュリアスからすれば貧相にも見えたが。しかし、他の集落の家よりかは、幾分かマシな大きさだった。集落の家屋は、本当に人が住んでいるのか疑わしくなる様相だった。レンガ造りの壁は欠け、屋根は崩れかかっていた。

 しかし、マシと言ってもやはり貧しい暮らしなのだろう。屋敷は集落の長のものだというのに、その中に設えられた家具は少なく、装飾の類は一切無かった。絨毯も敷かれていない広い部屋には大きめのテーブルがひとつ置かれており、あちこちに見える傷が年季をうかがわせた。そんな居間らしき部屋で三人を出迎えたのは、初老の男だった。髭を生やしているが、それは威厳ではなく無精さを感じさせるものだった。目元には深いしわが刻まれ、頭は禿げ上がっていた。

「ザミルさん、そしてお連れの方々も……どうぞ、こちらへ」

 椅子に座るよう勧められ、各々が適当な位置に座った。そして集落の長、クラークが座るや否や、ザミルが口を開いた。

「こちらの要請に、答えるつもりはあるか」

 あまりに唐突で、かつ性急な問いだった。クラークは顔をしかめ、それからゆっくりと首を振った。

「ザミルさん……確かに我々はユラ族に恩義があります。あなた方のためなら尽力するとも、古い誓約を交わしました。しかし……いま、我々の生活はいま、とても苦しい。作物も魚も、随分と持って行かれてしまいました」

「持って行かれた? 野盗でも出たのか?」

 ジュリアスが思わず口を挟むと、シルヴィオが鋭い視線を送ってきた。余計なことを言ったかとジュリアスは首を竦めたが、クラークはほっとした様子で表情を緩めた。

「いえ、砦の連中にです。彼らは税だと言って我々から食料を奪っていきます。この辺り一帯を守ってやるという名目ですが、彼らの行いにより、我らの生活は厳しいものになりました……」

「馬鹿な……各地の砦には、十分に糧食を送っているはず……」

「これが現実だ。連中には十分な蓄えはあるだろう。そして、その上で貧しい者から奪う。長よ、このまま行けば待っているのはフラブ族の飢え死にだ。だからこそ戦わねばならない。このままでは、戦う力すら奪われるぞ」

 シルヴィオの言葉にも、クラークは渋い顔をしていた。「戦うと言っても」と、深い溜め息を吐く。

「我らはもう、地に根付いた民になってしまった。ユラ族のように戦う術は、もはやほとんどありません」

「それでも、やらねばならん」

「ザミルさん……無茶だ。我らは……」

 ザミルは返事を待たなかった。席を立ち、いままでになく長い言葉を吐き捨てる。

「それが、かつて船を自在に操り、水戦において負けなしと唄われたフラブ族の言葉か。フラブ族最強の槍使いと言われた男の言葉か。失望したぞ、クラーク。ユラはもはやフラブの友ではない」

「ザミルさん! それはあんまりじゃあないか、あなた方との交易が無くなったら、我々は本当に破滅してしまう!」

「どの道、フラブ族はこのままならば滅ぶ。この地に残るのは、ヴェヌスタリスの犬だけだ」

 ザミルは、そのまま屋敷を後にした。ジュリアスが呆気にとられてそれを見送っていると、クラークがぽつりと言った。

「……ザミルさんは、ユラ族の戦士。いまは交易商人として振る舞っておられるが……その性根はやはり変わってはおられなんだか」

「戦士……確かに、商人には見えなかったが」

「彼はかつて、巡邏の部隊に逆らい、一族郎党を殺されているのです。ユラ族は氏族単位で放浪する民……ザミルの氏族、ドジェの一族はもはや彼だけとなってしまわれた。だというのに、まだ彼は……」

「だからこそだろう」

 クラークの言葉を遮るように、シルヴィオが言った。その目はザミルが去った方を向いたままだった。

「もはや彼を突き動かすのは、生者の都合ではない。死者の無念のみだ」

「…………」

「だが……復讐は死者への報いにもはなむけにもならん。喜びも悲しみも、生者にのみ存在するのだからな」

 シルヴィオの言葉に、はっとしてクラークは顔を上げた。

「私はザミルと同じ復讐者だ。私たちは生ける者のために生きてはいない。貴方が生きる者のために動くというのなら、どう振る舞うべきか……十二分に考えることだな」

「わ……私は……」

「我々には時間が無い。日の出の後に答えを聞く。しかし……覚えておいてほしい。貴方がどのような決断を下そうと、ファレン砦にて我々は戦う。その余波で、ここがどうなるか……その保証は致しかねるがね」

 そう言うと、シルヴィオは踵を返して出て行った。ジュリアスはというと、もはや口もはさめずザミルやシルヴィオの話を呆気に取られて聞いていた。雰囲気に飲まれ、シルヴィオの後を追うのもワンテンポ遅れてしまった。

「……理屈では分かっているのです」

 そのおかげか、ジュリアスはそんなクラークの呟きを耳にした。

「この冬を、もしかしたら越せないかもしれない……いえ、確実に餓死者が出るでしょう。来年の春、そして次の冬には、フラブ族は滅んでいるかもしれない。なればこそ、私たちは槍を取らねばならんのです」

「では……何故ザミルに、シルヴィオにそう言わなかったのだ? 戦うなら、話をすぐにまとめた方がいいのではないのか」

「分かってはいるのです。しかし、私は戦場が恐ろしいのです……私は確かに、腕に覚えがありました。しかし勇気に欠けているのです。ザミルさんや、シルヴィオさんのようにはなれない」

 シルヴィオ、と聞いてジュリアスは首を傾げた。

「……シルヴィオ……お前の耳にも届くほどの人物なのか? 彼はいったい、何者なんだ?」

「ご存じ、なかったので? あの方は、西のマルスィアンとの戦争で多大な武勲を挙げられ、その併合に尽力されたローイ家のご子息です。確か……その武功を認められ、王家の剣の指導者となられたとか……」

「ローイ家……ああ、そうか! そうだったのか……!」

 何故忘れていたのか。思わずジュリアスは叫び、クラークは目を点にしていた。が、ジュリアスにとってはそれどころではなかった。クラークがいることも半ば忘れて屋敷を飛び出した。そして、馬車の前でザミルと何やら話し込んでいたシルヴィオに、大声で呼びかけた。

「何だ、騒々しい……」

 面食らった様子でシルヴィオが振り返った。ジュリアスは堰切って話す。

「忘れていたんだ! 忘れるはずもない名前、忘れえぬはずの顔を! 何故だ、何故……!」

「落ち着け、夜中に大騒ぎするな、うるさい」

「何故言わなかったんだ!」

 完全に取り乱したジュリアスがそう叫んだ途端、脳天に衝撃が走った。猛烈な勢いで振った拳骨に、ジュリアスは痛みに呻きながらその場にうずくまった。

「……どうした」

 ザミルが尋ねる。シルヴィオは大仰に溜め息を吐いた。ジュリアスが顔を上げてその顔を見ると、触れただけで射殺されそうなほどに冷たい視線と目が合った。

「いや。この馬鹿が、思い出さなくてもいいことを思い出しただけだ」

「……っ、思い出さなくてもいいことだと? お前、本気で言っているのか? お前は、僕の――」

「下僕だった」

 言葉すらも、突き刺さるようだった。ジュリアスが愕然としている間も、淡々とシルヴィオは、意図的に言葉の刃を振るっていった。

「お前たち王族の、甘い夢の中に浸され良いように操られる人形となっていた……私にとっては思い出したくもない屈辱的な記憶だ」

「屈辱……そんな、そんな風に思っていたのか? 僕は、お前に剣と魔法を教わった。上に立つ者として相応しい振る舞いも、王としての心構えも……僕は、お前を尊敬し、友だと思っていた!」

 ジュリアスは叫び、そして頭を振った。頬を伝った雫が散って、霜が降りる地面を濡らして、すぐさま凍り付いて行った。


 様々なことが、ジュリアスには信じがたかった。


 ――幼少の頃。ジュリアスには剣と魔法の師がいた。

 といっても、それはシルヴィオではなく彼の父だった。シルヴィオは、彼の父に連れられ王宮を訪れ、偶然ジュリアスと出会ったのだ。そこで、初めてジュリアスは友と呼べるものを得たのだ。最も、十以上も年の離れた相手は、友と言うより、面倒を見てくれる兄のような存在だった。

 シルヴィオは、ジュリアスにとって憧れだった。

 若くして、シルヴィオは既に騎士としての振る舞いを身に着けていた。貴族や王といった人民の上に立つ者は、相応の行いをしなければならないということを常に己に言い聞かせていたような男だった。騎士の、貴族の鑑だった。


 だが、ある日突然、シルヴィオはジュリアスの前から姿を消した。


 ……そして、いまこの瞬間に再会を果たしたのだ。

 だが、そこには再会の喜びはおろか、一切の情が無かった。


「尊敬? 友だと? そんなものは夢物語だ。お前たちヴェヌスタリスの王家お得意の、甘ったるい悪夢だ。お前の父が見せた……あるいは、お前自身が幼心に望んだ夢だ。お前たちは……お前は、その血で私を呪ったのだ」

「そんな……」

「お前もまた夢を見ていただけにすぎん。そうでなければ……いままで、友のことを忘れることなどあり得ぬだろう?」

 ジュリアスは、あまりのことにその場に膝をついた。

 シルヴィオの言う通りだった。シルヴィオがかつての友であることは思い出した。だが、それ以外の記憶は未だ細切れで不確かだった。まるで霧がかかったように、幼少の頃、確かにあったシルヴィオとの思い出の全てがあやふやだった。

「下らないことで時間を取らせるな。泣くだけしかできないなら荷台に上がっていろ、邪魔だ」

 それだけを言い捨てると、シルヴィオはジュリアスに背を向けた。ジュリアスは、しばらく呆然としていたが、やがてゆっくりと立ち上がって、シルヴィオの言った通りに荷台へと入ったのだった。

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