2話:王家の真実

 食事を出した老婆は、話を始める前に己の名を明かした。

「あたしはマギス。薬師のマギスさ……さて、王様。貴方様には、我々に従ってもらうよ。逆らったらどうなるか……もうローイの坊主から聞いたかもしれないけれどね」

 平然と脅しをかけてくる老婆を見ながらも、ジュリアスの意識は食事に向いていた。牢獄で出されたものと大した差はない、具があまりないスープと、煮込まれて形が崩れた雑穀の二品。しかし、湯気が立っているというだけで、宮廷で出された料理に並ぶほどの食欲がかきたてられた。

「……従うと言っても、何をさせるつもりなのだ? 残念ながら、彼からは具体的な話は何も聞けなかったもので」

 皮肉を込めてシルヴィオを見たが、その顔は無表情のまま変わらない。マギスはふんと鼻を鳴らして笑った。

「坊主は昔から不愛想で人づきあいが苦手なんだ、許してやっておくれ」

「許しを請われるようなもんじゃないだろう。余計な世話だ」

「ひひ……しょうがない子だ。まあ、坊主のことはいいとして……そうさね、まあ長い話になる。食べながらお聞き」

 促され、ジュリアスはスプーンを手に取った。

「貴方様にしてほしいことを、簡単に言おう。王様、貴方様には、いまの王家を滅ぼしてほしいのさ」

 ジュリアスはスープの一滴もすくわないうちにスプーンを持つ手を止めた。「なんだって?」と聞き返すと、マギスは笑いながら同じことを繰り返し言った。

「王家を滅ぼし、いまの王制を破壊し、その血を絶やす。それが我々の望みさ」

「……それは、僕の家族や親族を皆殺しにしたうえ、僕に死ねと言っているように聞こえるが。そんなことに従って、僕に何の利益がある?」

「苦しむことなく死ねる、というのは時に幸福なことだ。そのようなおぞましいものを見ずに生きて来たお前には、信じられない光景だろうがな」

 またしても冷たい沈黙が立ち込めたかに思えたが、そこでマギスが口を挟んだ。

「まあ、そう脅しなさんな……大げさに言っちゃあいるが、王様に死ねと言っているわけでは無いのさ。むしろ、貴方様には死んでもらっちゃ困るんだ。呪われた血を絶てるのは、その血から生まれた者だけなのだから」

 ジュリアスは、その話をスープを飲みながら聞いた。スープは塩気が利いていた。薬草だろうか、不思議な味がするが不味くはない。それに、味はともかく、一口で体の芯から温まる。二口目を口に付け、雑穀の粥にスプーンを突っ込んだところで、マギスが話を先に進めた。

「抽象的で何の話か分からないと思っただろう?」

 ジュリアスは頷いた。横にいるシルヴィオの視線が鋭くなったように思えたが、分からないものは分からないのだ。

「坊主は信じちゃいないだろうが、貴方様は何も知らずに生きて来たのだろうね。ならば一から話そうじゃあないか。王家の罪悪についてね」

「……罪悪と言うが。シルヴィオは王家が重税を課し、宗教や民族を弾圧していると言っている。そのようなことは聞いたことが無かったが、本当にそんなことが、僕の目の届かないところで起きていたのか?」

「ああ、それもあるさね。けれど……呪いは、罪は、その副産物でしかないのさ」

「副産物?」

 スプーンを動かす手がまた止まる。それ以外の罪業となると、どれほどにおぞましく恐ろしいものなのだろうか。想像もつかず、ジュリアスは固唾を飲んでマギスの言葉を待った。

「ヴェヌスタリスの王家は、全てを美しく糊塗ことするのさ」

「……美しく……糊塗?」

「それは生来の呪力。五感の全てを望むように書き換える、幻惑の魔法なのさ。国民の大半は魔法にかけられ、自分たちは素晴らしく典雅な都に生きていると錯覚している。しかし……呪いが生来のものならば、それに生来抗する力を者もまた存在するものでね。そうした者どもをあらゆる手段で封じ込め、呪いに魅了されたものだけを集めて国としている……それがヴェヌスタリスの真実の姿なのさ」

 にわかには信じがたい話に、ジュリアスは絶句した。そのような話を聞いたことは無いのはもちろんのこと、自分にその力があるとも思えなかった。しかし、それを見透かしたようにシルヴィオが横から口を挟んだ。

「呪いとは無意識に垂れ流される毒のようなものだ。制御すれば力の強弱こそ出るだろうが、な。そもそも都合の良い夢を見せる呪いが、お前自身に作用しないとも限らないだろう。お前から見たこの国はさぞお綺麗なものだったのだろうな」

 冷ややかに突きつけられた言葉に、ジュリアスはぞっとした。「違う」と思わず口から言葉が出たが、そこから先は続かない。――そもそも、マギスの言った言葉はなに一つ裏打ちの無い、真実かどうか定かではない話だった。そう言おうとしたジュリアスだったが、喉の奥に塊ができたように、言葉が出なかった。食欲も失せ、スプーンを皿の上に落とすように置く。その乾いた音がいやに大きく響いた。

「そんなにも信じがたい話だというのなら、この街はどうなる? 現実に、ヴェヌスタリスの領地内にあるこの掃き溜めのような場所は?」

「それは……そんな……そんなことがありえるのか? 僕が見てきたこと、そのほとんどが偽りの姿だったと……」

「それが幻惑か、あるいは惑わされた民の手によって整えられたものだったのか……あたしには分からないけれどね。もし少しでも疑問に思うのならば、その目で確かめてみるといいさね。ファレン砦、そして他の各地を、その目でね……」

 自分の目で見る。それしかないだろう、とジュリアスは感じていた。ここで目を背けたところで、待っているのは、これまで生きて来た社会への拭い去れない疑念と、シルヴィオが振るう加減の無い暴力だけだろう。

「……分かった。ここは、君たちに従おう」

「よしよし、良い子だ。さて……ファレン砦、だったね。あの場所にはユラ族の者たちが収容されている。彼らは部族の繋がりが強くてね……同族を助けるためなら命すら捨てられるだろうて」

 ユラ族、というのをジュリアスは初めて聞いた。そもそも、ヴェヌスタリスは単一民族の国家だと思っていた。だが、実際は思っていた以上に、多彩な民族がいるようだった。

「で、その命知らずどもはどこにいる」

「彼らはこの、北の雪原を馬で駆けている。今も変わらず……」

「遊牧民なのは知っている。近くに来ている集団はいないのか?」

「さてね、私には分からないさ。ただ、このジャイダに乳や肉を下ろしに来ているユラ族の者がいる。ザミルという男さ……なめし皮のマントを羽織り、鈴の杖を持っている男さね」

 ふむ、と頷くシルヴィオは頭の中でその風体を思い描いているようで、もはやジュリアスへと一切目を向けなかった。ジュリアスは、食欲が無いままではあったが、体を温めようと粥をつついていた。

「それと、フラブ族の集落も尋ねてみるといいさね。彼らは恩のある者を決して見捨てないと聞く……ユラ族は彼らをかつて飢饉から救った。救出にはきっと、力を貸してくれるはずさ……」

「フラブ族か……連中は確か、ファレン砦の手前に隠れ住んでいたな。ちょうどいい。そこを橋頭保にするぞ。そこにユラ族のザミルも連れて行く。この街との商いをしているのなら、親交のあるフラブ族とのやり取りもあるかもしれん。飯を終えたらザミルを探す。ジュリアス、お前は俺が戻るまで待っていろ」

 え、とジュリアスは驚いてシルヴィオに視線をやった。お前も手伝えなどと言われると思っていたのだが、どうやら連れて行く気はないらしい。

「ザミルを見つけ次第移動することになる。体力を回復させておけ」

「僕が逃げるとは、思わないのか」

「逃げたら見つけ出して両足をへし折ってやる」

「……行動を封じるだけなら、片足だけで十分だろう」

 何故そんな、見当はずれな反抗を口にしたのかジュリアスには分からなかった。あるいは、単に会話に飢えていたのかもしれない。牢獄に繋がれていた日々、そこに言葉は無く、ジュリアスは人間としての己を見失いかけていた。だが、返る答えは酷薄で、非人間的なものだった。

「両足を折られても、両手で張って動く者も戦場にはいる。お前にそこまでの根性、いや、死の恐怖は無いだろうが」

「…………そうかもしれない」

 ジュリアスは、ただ肯定して話を終わらせた。何が面白いのか、この殺伐としたやり取りを聞いていたマギスは喉の奥でひひと笑っていた。

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