第5話 兄の協力

 鳥辺野基地は鴨川を挟んだ京の東の地に存在している。

 基地から御所などが存在する中心部は一時間あれば充分に辿り着く距離だ。

 頼仁が向かっていたのは九条邸だった。

 朔弥と藤子の実家である九条邸は御所の近くに存在する。


 洋館と昔ながらの木造建築が立ち並ぶ碁盤の目の通りを駆け抜け、目的地へと頼仁は向かった。

 日々の訓練の成果かこの距離を余裕で走り抜けることが出来、頼仁はほどなくして九条邸に到着した。

 九条邸の本邸は御所とよく似た伝統的な造りをしている。


「九条朔弥に用がある。通してもらいたい」

 すると応対した屋敷の使用人は胡乱げな顔をした。

「失礼ですが、どこの使いものでしょう」

 使用人の反応も当然である。破れた襟巻に、簡素な軍服姿の少年を警戒するなという方が難しい。


「軍の命令で鳥辺野基地から派遣された秋津という」

「それならば軍からの正式な書状を見せてもらいたく存じます」

「緊急のため、それはない。だが俺は、嘘はついていない。この菊の御紋に誓おう」

 頼仁は護身として持っていた懐剣を見せた。

 菊の御紋の入ったそれを見せ、使用人は顔色を変えた。


 九条家の家格から言えば、たとえ頼仁の正体を知らなかったとしても、菊の御紋は皇室関係者、もしくはそれに近い特権を持つ者だけが所持を許される事がわかるはずだ。

 だが。


「申し訳ございません。ですが、書状のない者を通すわけにはいかないのです」

 丁重に、だが確固たる意志を持って使用人はそう告げた。

 やはりそうか、と思ったものの、こうなるのは予測圏内だった。

 頼仁は破れた襟巻を手に取ると、嫌な思い出を振り払うようにそれを外した。

 そして次の手段へ移るべく、御所の方へと向かった。



「それで頼仁はこちらに戻って来たというわけか」

 御所の若宮御殿にて。座していた信仁は弟の話に耳を傾けると頷いた。

「九条家に踏み込むために、書状の発行を願いたく存じます」

「丁寧に物騒な言い方だねえ。頼仁らしいけど」


 藤子を探しに行こうとした時、忠佳は頼仁にこう言った。お前には力がある、と。

 それは頼仁の努力で身に付けたわけではない、生まれてもっての権力、威光だ。

 今はそれを最大限利用するしかない。


「それと、以前乱暴な物言いをしてしまい、その節は大変失礼致しました」

「ちゃんとごめんなさいが出来るようになったんだね。偉いぞ」

 信仁は悪気なく微笑まれ、頼仁は一瞬沸き上がった苛立ちを必死で抑えた。


 信仁は立ち上がると、文机の方へと移動した。そこにはあらゆる書類が整頓された状態で積まれていた。

「私も気になっていたんだ。そもそも今の国庫の中で一番割かれているのが軍事費だ。これが内訳になっている。ところがそこに、実験に当てられる研究費が記載されていないんだ」

 頼仁が渡された紙の束にざっと目を通す。

「機密の実験ならば、公には出来ない金銭が動いているはず。そして調べて浮上したのがこの貿易会社だ」

「この貿易商が何か?」


「九条朔弥の後ろ盾になっていると思われる」

「っ⁉ ですが九条朔弥はそもそも九条家の一員。後ろ盾など……」

「利用をしているのか、されているのかはわからない。だが、この貿易商に関して元々良い噂をあまり聞かない。今回彼が引き起こした事で、背後にある組織を洗い出せるのなら、それに越した事はない。それがきっと、彼を救う事にも繋がるよ。彼、視察の時に少し話したけれど、とても良い青年だったから」


 信仁は文机の引き出しから螺鈿の箱を取り出した。

 その中から取り出したのは御印であった。

 それは帝と東宮のみが持つ事を許される判子で、ありとあらゆる書状の最終決定を担う物だ。

「簡易式の物になるけどすぐに用意させるから、その書状を持って行きなさい。そして一段落したら、頼仁に大事な話があるんだ。それを聞いてほしい」

 兄の意外な申し出に頼仁は驚いた。

 だが、悩んでいる時間はない。頼仁は是と了承した。



 書状を持って訪れた頼仁に、九条家の屋敷の者は丁寧に応対した。

 九条家の長男、陽昌ひろまさは朔弥の名を聞くと表情を曇らせた。

 軍人らしい精悍な顔つきの朔弥とは違い、彼はいかにも物腰柔らかく京の文化人らしい印象だった。

「……おそらく彼らは本邸には戻らないでしょう。朔弥と藤子は庶子であるため、自ら家を出ましたから」

「藤子も九条朔弥も……?」


「ええ。私達は異母兄妹です。朔弥の母は侍女、藤子の母は芸者であったため、二人とも引き取られはしたものの……肩身の狭い思いをしていました。特に、朔弥は幼少期、正妻の母に辛く当たられていましたので……」

 歯切れが悪い。身内の恥をさらすようなものなので、当然かもしれないが。

 だが、今知りたいのは二人の居場所だ。頼仁は焦りを抑えながら尋ねた。

「ではここにいるわけではないのだな。他に二人の行きそうな場所に心当たりはないか」

「いえ、私どもは何も……」


 ふと、香の匂いが漂った。覚えのある柔らかいその香りに、頼仁は振り向くと、襖の向こうから頼仁と同じ年頃の少女がこちらの様子を伺っていた。

 良家の子女らしく品のある着物に、藤子によく似たくせのある髪を西洋風の髪留め─リボンで結んでいる。少女は口を開いた。

「兄上様、もう朔弥兄様を庇うのはおよしになったらいかがですか」

「桜子!」

 陽昌はたしなめるような声をあげた。頼仁は不躾な視線でその少女を眺めた。

「誰だ?」


「妹の桜子でございます。宮様。お初にお目にかかります」

 桜子は一礼した。

「朔弥兄様のされている事はもう一線を越えています」

「私はけして朔弥を庇っているんじゃなくて、九条家を守るために……」


 桜子は頼仁に鈍色の鍵を差し出した。

「深夜に密かに帰られた兄様が別館におります。朔弥兄様はともかく、藤子姉様だけでも助けて下さりませ。あれほどの優しいお方を、桜子は知りません。宮様にとっても、そうであったのでしょう」

「助かる。礼を言おう。別館はどこだ」

「この本邸の裏手です。元々倉を建て替えた応接用の洋館なのです」


 頼仁は桜子に案内されながら敷地内を素早く歩いていると、ふと庭にある藤棚が目に入った。けして数は多くないものの、紫の花びらが零れ咲くさまは見事なものだった。

 昔、御所で聞いた事がある。藤はその花自身がこうべを下げていても、人から見上げられる尊い花なのだと。

 あの時はそういう話が苦手だったのに、今は何故かそれを思い出してしまった。

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