第4話 失踪

 頼仁がそれを聞いたのは早朝、水場にて顔を洗っていた時だった。

 女性教官の川崎に呼び出された頼仁、喜直、和孝、忠佳は何かやらかしたのかと互いに目配せしあったが、川崎は淡々と朽月と九条朔弥を知らないかと尋ねた。

 年齢は四十半ばの川崎は若い頃に日本皇国最大の内戦も経験しており、逞しさでいえば、加賀地以上に軍人らしい雰囲気をしていた。


「問題はそれだけではない。軍の研究している薬が盗まれた。このままでは、あの二人に容疑がかかる。お前達、本当に何も知らないんだな」

 この五人組には競争心を植え付ける他に、何かあった場合連帯責任をとるという役回りがある。

 つまり、一見最も近い仲間に見えてその実、お互い監視の役目も備えているのだ。


「いえ。知りません」

 染井和孝が代表をして答えた。

「なるほど。染井、そこで腕立てをしてみろ」

「え、お、俺だけ……?」

 和孝が言われた通りに地面に手を付いた瞬間、ぐっと川崎は和孝の髪を掴むと無理やり顔を上げさせた。


「本当に知らないのか? お前の一族、あの研究に関わっているんだろ?」

「ひっ……知りません。自分は本当に知らないです!」

 和孝がそう叫ぶと、川崎教官はじっとその顔を睨んだ後、いいだろうと手を離した。

「九条兄弟についてはこちらの方で処理をする。お前達はいつも通り訓練と授業に身を入れろ。緘口令を敷くが、もしも勘付いた者がいたら噂はもみ消せ。いいな?」

 そう言って川崎は建物内に戻って行った。


 和孝は冷や汗を拭った。

「こわ……さすが官軍からぬえと呼ばれた女鉄砲撃ち……」

「あの二人に限って、そんな事するわけないだろ」

 喜直も渋い顔をする。

「何故川崎教官はお前にだけ詰問したんだ。何か知っているのか」

 忠佳は和孝に尋ねた。

「多分、俺の一族が医者で研究関係者だからじゃねーの? 知らんけど」


「機密の薬のか?」

 頼仁は鋭く尋ねた。和孝は顔を歪める。

「何で機密の薬って出て来るんだ。知られてたら、機密じゃねえぞ」

「軍の研究を視察した兄からその存在を聞いている。わざわざ緘口令を敷くなんて、そうだと言っているようなものだろ」

 和孝は観念したように息をつくと、声を潜めた。

「俺だって直接関わってるわけじゃないから、存在しか知らねえけど……まあ、そうだな」

 頼仁は自分の知っている情報を整理する。


「九条朔弥は表向き教官補佐だが、その裏では軍の研究協力の為にこの基地に来ているんだ。そしてその軍の機密の薬が盗まれたって事は……」

「え……じゃあ藤子と兄ちゃん相当まずいんじゃね?」

「処理と言っていたな。処遇ではなくて。そして朽月は京都組の一人。俺達にも何らかの処分がかかる可能性が高い」

 忠佳は忌々し気に呟いた。


 ふと昨夜の彼女のふらつきを頼仁は思い出した。

「あ、そういうことか!」

 何故気付かなかったんだ、という自分への叱咤と勘違いに頼仁は頭を抱える。

「頼仁?」

「藤子はきっと巻き込まれたんだ。昨日の夜、様子がおかしかった。ふらついていたし、今思えば……」


 おそらく彼女は薬を盛られたのだ。

 そういえば初めて朔弥と邂逅した時、暴れた男を抑えるのに薬を使っていた。

 薬の種類に詳しくないのでわからないが、朔弥がそういった物を持ち出す事が出来る立場なのは間違いない。

「でも、このままじゃ藤子も共犯の疑いがかけられるよな……」

 喜直の最悪の事態の予想に、和孝はいや、と呟いた。


「薬を使われたなら、それが無実の証拠になるんじゃないのか。薬が体に残っているうちに血液を採取して遠心分離機とかで成分分析出来たら……」

 医者一族ならではの知識と発想に、頼仁は驚いて顔を上げた。

「鎮静目的で体に害のない量なら、薬の半減期が十二時間で覚醒、完全に抜け切るまでに一日ってところだな。早いに越したことはない」


「じゃあ、俺が探しに行って来る」

 頼仁は考える間もなく言った。

 おそらく軍の上層部が動くだろうが、それを待っていると薬の成分が体から抜けてしまうかもしれない。


「待て。これ以上こちらまで連帯責任を負わされてはかなわない」

 忠佳は頼仁を睨んだ。だが、頼仁も言い返す。

「結局藤子の冤罪が晴れなかったら、同じだろ⁉」

「考えろ、もっと効率の良い方法を。教官も巻き込めばいいだろう。お前にはその力があるはずだ」

「力……?」


 すると和孝はぽんと背中を叩いた。

「行け、頼仁。時間がないんだ。教官への説得は、俺達の方でなんとかするからさ」

 喜直も頷いた。

「俺は使った薬の証拠がないか探しておくよ。空の瓶とか、証拠は一つでも多い方がいい」


 基地を囲む塀の前に頼仁は走ってやって来た。

 そして目ぼしい近場の木の枝に自分の襟巻を引っかけて両端を持つと、一気に幹を駆け上った。

 拍子に襟巻が枝に引っ掛かり一部裂けてしまったが、気にしている余裕はなかった。枝葉が折れないように体重を乗せると、塀の上に飛び乗る。

 誰もいない事を確認して一部破れた襟巻を巻き直すと、軽やかに塀を飛び降りた。


 道端に降り立った頼仁は、馬やそれらしい足跡を探してみたが、乾いた砂地に手掛かりはほとんどない。

 だが、朔弥が意識のない藤子と機密の薬を基地から持ち出すのなら、馬か共犯者の迎えが必要だろう。

 頼仁が考えを巡らせていると。


「おや、こんな所に未熟な士官候補生が一人いるではありませんか」


 背中から氷塊が滑り落ちたような感覚に頼仁は襲われた。

 振り向くと、加賀地教官が獲物を見付けたような目でこちらに近付いていた。

 その手には先程木に引っかけて裂けた襟巻の切れ端を持っている。

 加賀地はゆったりとした動作で頼仁を塀の傍まで追い詰めた。

 一つ一つの動作は優雅なのに、隙が見えず、頼仁は逃げ出す事が出来なかった。

 そして逃げても意味がない事もわかっていた。


「朝の日課はどうしました? 今はお掃除の時間では?」

 加賀地は頼仁の頬に手を添える。

「大事なお仲間が消えたあなた方は、まだ罰が欲しいとお見受け出来ますねえ」

 ぞっとするほど冷たい目だったが、頼仁は逸らさずに答えた。


「……その仲間の冤罪を晴らす為だ。藤子は朔弥に睡眠薬か何かを飲まされている。早く助けに行かないと」

「なるほど。優しいですねえ」

 そして加賀地は頼仁の顎を掴むと、ぐっと顔を寄せた。

「取引をしましょう。この条件を飲んで下さったら、私はあなたの勝手な行動の処罰は致しませんし、何より朽月の一助となる事が出来るかもしれません」

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