第71話 親世代での恋物語②

 ――八月上旬、某県某村。


 心地よい、まるで京都の裏道を歩いているみたいな感覚に襲われる。

 石畳に竹林、セミの鳴き声が響き渡る小道を、祥子さんと二人、ゆっくりと歩く。


「暑いのにごめん、松葉杖だとどうしても遅くて」

「大丈夫ですよ、俊介さんも無理しないで下さいね」


 花飾りのついた白い帽子に、ベージュのワンピース……いや、パーティドレスなのかな? フロントにボタンが三つ縦についていて、ウエストの部分はキュッと絞られ、下のスカート部分は膝下程度のミモレ丈に収まっている。


 素直に綺麗だと思う、こんな人が僕の横にいてくれる事に、感謝しかない。


「それにしても、本当に私で良かったんですかね……未だに不安なんですけど」

「大丈夫だよ、むしろ僕一人で行く方が、きっと不味い結果になる。琴子さんと営業しに行った時にも感じたけど、女性と会う時には女性が側にいた方が、断然会話がしやすくなるしね」

「じゃあ、俊介さんと一緒に仕事する時って、こんな感じなんですね」

「そうだね、大体こんな感じだよ」


 一緒にいるのが相当に嬉しいのか、周囲に誰もいないのを確認すると、祥子さんはハムッと唇を重ねてきた。


「……食べられたかと思った」

「えへへ、食べてもいいんなら食べちゃいます」

「祥子さんに食べられるのなら、諦めるしかないかな」

「あはは、琴子さん聞いたら怒りますよ?」

「じゃあ、やっぱり二人一緒じゃないとダメだな」


 今頃家で何してるのかな、菜穂と詩さん、そして凪さんと琴子さん。

 四人で家じゃ暇だから、どこかに遊びに行ってるのかも。

 

「……あのお家、ですね」

「……うん、じゃあ、行こうか」


 杜若家の表札がある、ここで間違いない。

 古河家のような純和風な家造りだけど、サイズはその半分以下だ。

 平屋の一戸建てと言えば聞こえはいいが、築五十年は経過してそうな木造一戸建て。

 おもむきがあるというには、少々年季が入り過ぎていると感じる。


 呼び鈴もないな……扉は昔ながらの引き戸か。

 隣家まで歩いて百メートルは離れてる田舎だと、こんな感じなのかな。

 玄関横の庭には、子供用の黒い自転車が砂埃にまみれておいてある。

 子供がいたのか……しかも、相当前に。

 

「俊介さん」

「うん、ちょっと呼んでみようか」


 引き戸に触れると、どうやら鍵は掛かっていないらしい。

 ガラガラと軋む音を立てながら戸を開き、ほの暗い玄関へと声を掛ける。


「すいません、私、古河家の紹介で来た高野崎なのですが。……杜若茜乃さん、いらっしゃいますか?」


 しーんとした感じ、返事がない。

 鍵も掛けずに出かけたのか、不用心だな。

 このまま中に入るのも気が引ける、一度出直そうかと考えた、その時だ。


「あの、ウチに何か用ですか?」


 いつの間にか背後に立っていた男性。


 丸い眼鏡に優しそうな瞳、天然パーマなのかな? くしゃっとした髪型がどこか特徴的なその人は、薄緑の長袖ワイシャツに緩いズボンを着用し、下はサンダル姿でその場に立ち、不審者を見る目で僕達を睨みつける。


 年の頃は、多分、祥子さんや琴子さんと同い年くらいだろう。

 まだ二十代、けれどもその表情にはどこか陰りを感じ、年齢よりも老けて見える感じだ。


「訪問販売なら全てお断りですけど」

「いや、すいません、僕達この家にお住まいの、杜若茜乃さんに会いに来たのですが」

「母さんに? 珍しいですね、どのようなご用件でしょうか?」

「えっと、古河凪からの紹介なのですが」


 凪さんの名前を出した途端、その男性は一歩引いて直角にお辞儀をした。


「ふ、古河家からのご来客でしたか! 失礼を誠に申し訳ございません! 私、杜若茜乃の息子、杜若伊佐いさと申します! 今すぐ母さんを呼んできますから! 少々お待ちくださいませ!」

「あ、いや、そんな、私達は古河家の者ではありませんので、かしこまらないで下さい」

「しかし!」

「大丈夫ですから、僕達は、茜乃さんとお話がしたいだけです」


 突然の豹変っぷりに、僕も祥子さんも驚きを隠せなかった。

 ようやく落ち着いてくれた伊佐さんを見て、二人目を合わせて、ふぅと一息。



「粗茶ですが、どうぞ」

「ありがとうございます」


 外側から見ると古めかしい感じだったけど、室内は結構小奇麗な感じだ。

 とはいえ、柱には伊佐さんの身長を掘った傷があったり、隠しきれない年月はあるものの。

  

「畳とか、手入れした感じがありますね」

「うん、それにこのテーブル、多分、古河家で見たのと同じ物だと思う」


 マホガニー材、かな。これだけで相当な価値があるぞ。

 この室内だけで言えることは、少なくとも古河家の何かがあるという事だ。


「お待たせして申し訳ございません、私、ちょっと足を悪くしてまして……あら、貴方も松葉杖をついていらっしゃるんですか?」

 

 伊佐さんに支えられながら現れた女性は、この民家には似つかわしくない、見た目若く可愛さが残る女性だった。僕の松葉杖を見て微笑む感じは、どことなく祥子さんのお母さん、真理子さんを彷彿とさせる。


「二ヶ月ほど前に事故をやらかしまして……ご挨拶が遅れました、私、高野崎俊介と申します」

「向井祥子と申します」

「あらあらご丁寧にどうもありがとう。ごめんなさい、招待状に返事はしたのだけど、来訪者の相手は全て伊佐に任せていたものでして。……改めまして、杜若茜乃と申します。それで? なぜ貴方達が古河家の招待状をお持ちになって、わざわざ遠方の我が家まで尋ねられたのですか?」


 足の短い椅子に座った茜乃さん、白髪交じりの髪をくるりと巻いてかんざしで留め、着物を着用して佇む様は気品すら感じられる。


「茜乃さんに、聞きたい事があって参りました」

「……私に?」

「はい、海縁さんについてです」


 僅かな沈黙、茜乃さんは視線だけを動かして僕達を見定める。

 値踏み……かな? ややもすると目を伏せ、そして無為に口角を緩めた。


「あの人の話をする前に、まずは貴方達について教えて頂けないかしら?」


 人に物を訪ねる場合、まずは自分から。

 祥子さんと手を繋ぎ、僕は全てを茜乃さんへと語った。

 


「……そう、古河家の次女である琴子様と、祥子さんとで貴方をね」

「はい、僕達は稀有な出会い方をしてしまい、そして今に至ります。祥子さんと琴子さん、僕はどちらをなんて選ぶことは出来ない。いや、二人と生きることを選択しました。それを海縁さんに認めてもらいたく、少しでも情報が欲しいと思い、足を運んだ次第です」


 風鈴の音がどこからか聞こえてくる。

 簪でまとめてあった髪がいつの間にかほつれ、それを茜乃さんは静かに耳に掛けた。

  

「では、祥子さんが、私になる可能性があるということね」

「……え、私が、茜乃さんにですか?」

「ええ、だから凪さんは琴子さんではなく、貴女をここに寄こしたのでしょう。……少しだけ昔話をさせて下さい。馬鹿な女と、それに付き合ってくれた優しい男性のお話です」


 そういうと、茜乃さんは伊佐さんへと目くばせし、彼は居間を後にした。

 三人だけになった室内で、茜乃さんは湯呑を一旦口へと運ぶ。

 ことり、という音を立てて湯呑を置くと。

 一呼吸おいてから、茜乃さんは昔を思い出すように、どこか遠い瞳で語り始める。


「昔ね、私と富木菟とみづくは、琴子さんと祥子さんみたいな関係だったの。当時、私は古河グループの関連会社で事務仕事をしていてね、来訪しにきた海縁に一目惚れしてしまい、そのまま何とか惚れて貰おうって努力してしまったの。富木菟さんの方は、別会社のご令嬢でね。海野ホテル系列のお嬢様で……だけど、とても気さくな方だったのよ」


 富木菟さんって、琴子さんと凪さんから聞いた限りでは、権力欲に取り憑かれた亡者ってイメージだったんだけど。違ったのかな。


「今思えば、海縁にも迷惑かけていたのかもしれない。でもね、私達二人とも、間違いなく海縁に愛されていたの。この国で結婚出来るのはどちらか一人、だけど、恋人まで一人でなくてはいけないって決まりはないから。それこそ、一緒に海縁の部屋まで行って、押しかけ女房みたいな事もしてたのよ?」

「あはは、本当、私達みたいですね」


 祥子さんは照れ笑いして、茜乃さんも「そうでしょ?」と微笑む。


「海縁に抱かれた回数なんかも競ったりしてね、あの時は三人での未来になんの疑いもなかった。でも、海縁は古河家の嫡男。そしてこの国では海縁と結婚出来るのはたった一人だけ。互いに譲れないし、その頃には友情を超えた何かが既に富木菟と私の中にあったの。だから、私たちは海縁に決めて貰った。そして海縁はこう言ったの、どちらが先に男子を出産するかで、自分との結婚を決めようって」

「……え、それって」

「ええ、貴女もご存じでしょう? 同じ日に抱いてもらい、そしてめでたく二人とも懐妊したの。だけど、先に男児が産まれたのは富木菟さんだった。帝王切開ではなく自然分娩だから、そこに作為的なものは何もない。あと数日、伊佐が早く出てきてくれていれば、今頃私が古河を名乗っていたのでしょうね」


 握っていた祥子さんの手に、力が入る。

 言葉には出せないけど、祥子さんと僕が考えていることはきっと同じだ。 

 凪さんが男装せざるを得ない理由、そして二十八年間も継続していた理由が、これか。

  

「でもね、海縁は結婚こそしてくれなかったけど、私達親子への生活援助は惜しまなかった。伊佐の学費から私の生活費、果てはこの家の全てを海縁は今も出し続けてくれている。だからでしょうね、伊佐は古河家には逆らってはいけないんだって思ってしまうのは。そんなことないと、私は思うのだけど。ねぇ高野崎さん」

「はい」

「私と富木菟とで、海縁の中に差があると思いますか?」


 簡単だけど、重い質問だ。

 だけど、この質問に僕がブレる訳にはいかない。


「ないと、断言できます」


 僕の中に、茜乃さんは海縁さんを見ている。

 二十数年前の自分達と同じ状況下にある僕達を見て、その心を知りたがっているんだ。

 僕の言葉は、そのまま当時の海縁さんを意味する。


「高野崎俊介さん……と、おっしゃいましたね」

「はい」

「貴方が選んだ道は、この国が認めなかった道です。それは海縁が選ばなかった……いえ、選べなかった道でもあります。何をもってしても二人と一緒になると宣言する貴方を、私は、ちょっとだけ羨ましく思います」


 寂しい笑みを浮かべながら、茜乃さんは一筋の涙を落とす。

 一緒にいたかった、愛する人と別れなくてはいけないという、この国の決まりごと。

 順守するには理由がある、罰則まで設けてでも許されないことなのだ。

 だけど、それが個人の幸せをも守っているかどうかなんて、誰も分かりはしない。


「高野崎さん」

 

 別れ際、茜乃さんに呼び止められた僕は、一人彼女から言伝を預かった。


「茜乃さんは、高野崎さんに何を言い残したのですか?」


 出来る事なら富木菟さんに伝えて欲しいこと、それは――


『もう全部許しているから、たまには顔を見せなさい』


 ――人とは、成長する生き物だ。 


 富木菟さんがした事に、茜乃さんは気付いていたのだろう。

 だけど、祥子さんと琴子さんと同様に、多分、茜乃さんも富木菟さんの事を愛していたんだ。


「愛ゆえに……か」

「なんですか、それ」

「なんとなく、だよ」


 帰りの小道で、僕はもう一度祥子さんにキスをした。

 譲れない、僕はどちらかなんて、選ぶことは絶対にしない。


「……ん、電話だ、凪さんから? はい、もしもし」


 そして、ついに訪れる。

 

『父上が、高野崎に会いたいそうだ』


 僕達三人の未来を握る、最大の壁とも言える人との邂逅が。


――

次話「タヌキとキツネの化かし合い①」


※午後六時頃投稿します。

 お付き合い、宜しくお願いします。

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