第69話 狭い家だと温泉が恋しい②

 温泉に入って、足を延ばしてのんびりと縁に頭を乗せる。

 家の風呂じゃできない醍醐味って、やっぱりここにあると思うんだ。


 微粒子泡のお風呂っていうのかな、雲みたいな湯気と細かな泡で白く濁った様に見えるのだけど、手で揺らすと泡がなくなって下まで透けて見える。

 この風呂が結構好みで、僕はそこにゆったりと浸かり続けるのが好きだ。

 しかもこの風呂まで源泉かけ流しっていうんだから、本当に立派な施設だよ。


「やっぱり温泉って気持ち良いですね」

「祥子さん……そうですね、こうして貸し切りで入るのも、また乙な感じがします」


 隣に浸かる祥子さん。

 このお風呂だと首から下が見えないから、意識せずに会話が出来て良い。

 頭に巻いたタオル、そこから見えるうなじがまた艶っぽくていいな。


「家に帰るなり凪さんがいて驚きましたけど、まさか琴子さんのお姉さんだったなんて思いませんでした。それに、話には聞いてましたけど、本当に凄いお金持ちなんですね。こんな大きな施設がグループ会社の一つだなんて、驚きです」

「前に伝えましたよ、名家ですよって」


 ちゃぽんと僕の隣に座る琴子さん。

 菜穂の相手を詩さんと凪さんに任せて、琴子さんもようやく一息つけるみたいだ。


「それにしても、お姉ちゃんも酷いことしますよね。俊介さんに対して別れろだなんて」

「家を守る為に必死だったみたいだから、しょうがないんじゃないかな」

「それだって事前に説明があっても良いと思うんです。言ってくれれば、私だって色々と対処出来たかもしれないのに」

「女だって隠してたからな、そこには至れないさ」


 琴子さんの横に凪さんも座り込んで、四人で温泉にちゃぽんと。

 

 菜穂と詩さんがどうしてるのか見てみると……裸で滑る滑り台がやたら楽しいのか、何往復も滑りまくってるな。他にも滝に打たれてたり、寝湯で横になってたり、菜穂のことは詩さんに任せて大丈夫そう。


「それにしたって二十八年間は長すぎると思います、よく今まで隠しきれてましたね」

「ふふっ、実の妹が気付いていなかったんだぞ? 周囲の人間が気付くはずがないさ」

「確かに、僕も最初分かりませんでしたからね。でも、違和感はありましたよ?」

「そうなのか? やはり高野崎の審美眼は大したものなのだな」


 服に着られている感じ……これは多分、男装が故の錯覚だったのだろうな。

 コスプレなんかもそうだけど、男装の場合、骨格から修正しないとダメなパターンもある。

 肩パットとか腹巻とかでバランスを取るらしいけど、凪さんはそこまでしていなかった。

 柔らかな曲線と雰囲気は、そう簡単に変えられるものじゃない。


「でも、なんで凪さんだけずっと男として育てられないといけなかったのかな?」


 祥子さんが僕をはさんで凪さんを見ながら質問する。

 ぐいっと近寄るから湯船の中では密着状態だけど……今は真面目な話だから我慢。


「それは家柄だと」

「だとしてもだよ。だってどうやっても家を継げないんだよ? 男装した凪さんが女の人と結婚したって、世継ぎは生まれないんだから意味ないと思わない? 同性婚も認められつつはあるけど、それって結局、古河家お家断絶待ったなしの状態って事でしょ?」


 祥子さんの言いたい事は分かる。

 凪さんが男ではない以上、最終的には継ぐ人がいなくなってしまうのは確定だ。


「ちなみになんですが、もし琴子さんの相手が決まった場合、凪さんはどうするつもりだったんですか? その人に古河水産を継がせるんですよね?」

「……死ぬつもりだったよ。それしか方法があるまい?」 


 結局自分がいる以上、継がせる訳にはいかないもんな。

 凪さんの考え方なら、確かにそれが最善だと考えてしまうか。


「お姉ちゃん、死ぬって、それ本気で言っているの?」

「私がいたら、琴子の旦那に稼業を継がせられないからな」

「そんなのダメに決まってるでしょ、そんなくだらない理由でお姉ちゃんが死ぬなんてなったら、私、古河家潰しますからね」

「嬉しいことを言ってくれて……でも、もう大丈夫だよ。いざとなったら私含めて、高野崎のお世話になるからな」


 なんですと。

 

「高野崎の言葉で私は目覚めたんだ。何年も前に捨て去ったはずの女心が一瞬で開花したあの言葉を、私は生涯忘れる事はないだろう」

「……俊介さん、お姉ちゃんになに言ったんですか」

「いや、僕は事実をそのまま伝えただけで」


 琴子さんもぎゅっとくっついてきたから、湯船の中はかなりヤバイ状態に。

 二人とも柔らかすぎなんだよな、温泉美肌効果とか抜きにして、艶めきが半端ない。

 二の腕に当たる二人の胸の感触とか、指先から伝わる太ももの感触とか。

 

 ……あと、もう一個感触があるんだよね。

 凪さん、こちらに身体を向けて、足だけ延ばしてません?

 僕のスネ辺りを誰かの足がさっきから摩っている感触があるんですけど?


「とにかく、祥子さんの言う通りだと、僕も思います」


 このままだとピンク色の世界になっちゃうから、一旦停止させる。


「私の言う通り?」

「ええ、家柄的に凪さんが女であることを隠すにしても、二十八年間は長すぎる。途中でカミングアウトしてもいいと思うんだ。古河家を追放されるかもって母親である富木菟とみづくさんは考えたのかもしれないけど、凪さんの人生を考えれば追放だって止む無しだと思わない?」


 子供が小さい頃ならば、どうしてもお金の問題や世間体のために、無理してでも婚姻状態を保持したいと考えるのは致し方ないことだ。でも、凪さんと琴子さん、二人が成人した今もなお男装させる理由が、僕には見出すことが出来ない。


「俊介さん……私の母は、そんな優しい人ではありません」

「そうだな、母上なら自分の権力保持の為に、私達を当たり前のように犠牲にするだろうな」

「そんな人なんですか、富木菟とみづくさんって」


 無言のまま二人とも表情を曇らせる。

 名家が故のプライド、嫁いできた以上、絶対に奪われたくないという権力欲か。

 

「だとすると、凪さん、茜乃あのさんという人物について教えていただけませんか」

「……どうして高野崎が茜乃さんの名を知っている」


 うお、凪さんのキツネ目がちょっとだけ開いた。

 糸目の人が目を開く時って、何かちょっとだけドキっとする。


「……まぁ、高野崎ならいずれ知ることになるのだろう。不問にしておく」

「どうも」

「あの、お姉ちゃん、茜乃さんって、誰ですか?」


 あ、琴子さんも知らないんだ。

 重さん、かなり重要なことを教えてくれてたんだな。 

 つまり、あの人も今の古河家を……凪さんを救いたいということ。

 期待には応えないとだな。

 

「琴子が知るはずもない、あの人は琴子が生まれる前に古河家を去っているからな。ただ、この話は長くなる。そろそろ湯船から上がらないか? のぼせてしまいそうだ」


 言うと、凪さんは湯気を身体に纏いながら立ち上がり、僕へと手を差し出す。


「足が痛むのだろう? 肩くらい、女の私でも貸してやる事ができる」

「結構です」

「遠慮する必要なんかあるまい」

「ダメです、今は立てません」


 だって、いきなり凪さん立ち上がるんだもん。

 ガン見しちゃったよ、それにさっきからずっと二人くっついてるし。


「…………あ、俊介さん」

「ダメ、口にしないで」

「ふふっ、この温泉の名前通りの状態になりそうですね」


 琴子さん微笑んでるけど。

 子宝の湯だっけ? あ、まさにこの湯船がその名前なんだ。

 なんか説明書きがあるな、えっと――


【効能:この湯に浸かった男女には、元気な子宝を授ける】


 ――え、凪さんも浸かっちゃったんだけど?


「なんだ、私との子が欲しいのか? 高野崎が望むのならそれでも構わんぞ?」

「いえ、丁重にお断りいたします」

「ふむ、考えたんだが」

「何をですか」

「高野崎と私がくっつくのが、古河家にとって最善なのではないか?」


 ……あ、なるほど。って、それじゃダメでしょ。


「ちょっとお姉ちゃん⁉」

「凪さん、それは聞き捨てならないです!」

「まぁ、私は理解ある花嫁だからな。妹と祥子、二人の間に子供がいても、私は構わんぞ」

「お姉ちゃんが良くても、私はダメです!」

「そうですよ凪さん! 俊介さんとの子供は、菜穂ちゃんと私たちだけで十分です!」

「ははは、そう言ってくれるな。言わば高野崎は私の命の恩人でもあるからな、望まれれば好きにさせたくなるのが、女心というものだろう?」


 いや、それはどうかと。

 というか凪さん、裸のまま仁王立ちしないでいただけませんか。

 琴子さんも祥子さんも立ち上がって言い争いしてるし。

 

 立ちっぱなしだよ本当にもう。


――――


★おまけ「詩ママと菜穂」★


 温泉の中のスライダーとか、信じらんないぐらいに楽しい。

 裸だよ? 裸でスライダーとか、もうテンション上がってヤバすぎ。

 本当は高野崎さんと一緒だったらもっと楽しいんだろうけど、何かお話してるみたいだし。

 詩はこのまま菜穂ちゃんと遊ぶのが一番かな。


「うたねーね」

「ん? どした?」

「うたねーねは、なほのママにならないの?」

「あー、どうだろうなー、多分ならないんじゃないかなー」

「そっかー、なほ、うたねーねもママだとうれしいのになー」

「……じゃあ、パパに内緒でママになってあげよっか?」

「え、いーの⁉ うたねーねも、なほのママになってくれるのー⁉」

「うん、いいよ。でも、祥子ママと琴ママの前じゃ、内緒ね」

「わかった! うたママ!」

「…………あは、なんか嬉し。それじゃ次はどこいこっか?」

「なほね、つぎはおへやいってみたい!」


 お部屋? あ、確かになんか角の方にお部屋あるね。

 この温泉施設凄いなー、泡ぶろに寝湯、打たせ湯に滝壺と露天に立ち湯まである。

 室内の方にもサウナと岩盤浴もあるみたいだし、詩、ここで何時間でも遊ぶ自信あるよ。


 転ばないように菜穂ちゃんと手をつないで、角にあるお部屋へと向かう。

 なんだこれ? 扉ついてるし、中はサウナって訳でもなさそう。

 室内は薄暗いし、なんか音楽も聞こえてくる。


「なんだろねここ、菜穂ちゃん入ってみる?」

「おばけさん、いない?」

「おばけさんはいないと思うなー、とりあえず入ってみようか?」

「うん、うたママ、なほのて、ぎゅーしてね」


 小さいお手てだな、菜穂ちゃんって本当に可愛い。

 高野崎さんとの子供って、こんなに可愛い子が生まれるのかな。


 江菜子さんだっけ? チラッとだけ見たけど、あの人との子供でこんなに可愛いんなら、私との子供とかどうなっちゃうのかな? ……なんて、怖いからやめとこ。


「あ、うたママ、ベッドがあるよ?」

「ベッド? ウォーターベッドかな……あ、ここ、ダメだ」

「シャワーに、へんなかたちのおいす? ねぇうたママ、このおへやなに?」

「あ、菜穂ちゃん、このお部屋お化けさんいるって書いてあるよ!」

「えー! おばけさんいうのー!」

「早く逃げよっか! それいけー!」

「きゃー!」


 あっぶなー、そっか、ここ子宝の湯だもんね。

 貸し切り露天風呂だと、そういう気分になっちゃうから準備してあるのかな。

 これじゃ子作りの湯じゃん。


 ……高野崎さんも、こういう場所でするのかな。

 その時は誰とするんだろう……ふふっ、なんか、想像するだけで楽しそう。


「あ、うたママ、パパたちでるみたいだよ」

「あ、本当だ。じゃあ菜穂ちゃん、詩ママはおしまいね」

「えー、なほ、うたママがいいなぁ」

「だーめ、祥子ママと琴ママが怒っちゃうよ?」

「……そかー、なほ、ざんねんだー」


 ありがとね、菜穂ちゃん。

 私はさすがにあの輪の中には入れないよ。残念だけどね。

 

――

次話「親世代での恋物語①」


※明日も朝七時に投稿します。

 最終日、宜しくお願いします。

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