第68話 狭い家だと温泉が恋しい①

「ただいま帰りうぉーっと! また一人増えたんですかこの家!」


 凪さんを見て驚く詩さん、まぁ、そりゃ驚くよね。

 菜穂を膝の上に乗せて一緒にテレビを観ていた凪さんは、詩さんを見てぺこりと会釈する。

 

「詩さんお帰りなさい、姉の古河凪です。今日から一緒に住むことになりましたから、宜しくお願いしますね」

「え、琴子さんのお姉さんですか! わはー! 私、一ノ瀬詩っていいます! 大学生してまして、来年から琴子さんの後輩になる予定です! 宜しくお願いします!」


 キッチンにて料理中の琴子さんが説明すると、詩さんは即座に受け入れてくれたけども。

 現状でLDK一間に五人か、そしてここからもう一人追加されるんだよね。


 午後七時、毎日毎日こんな時間まで、幼稚園って大変なんだな。 

 玄関から音が聞こえて来て、皆の視線がそちらへと向く。

 ジャージ姿にトートバッグを三個も腕に掛けた祥子さん、我が家の二人目のママのご帰宅だ。


「はぁー疲れました、夏休みは研修が多くて大変……あら、どちら様ですか?」

「琴子さんのお姉さんらしいですよ? 姉妹そろって美人さんですよねー!」

「へぇ、琴子さんのお姉さん……あれ? 琴子さんってお兄さんじゃなかったでしたっけ?」


 さすがは祥子さん、物覚えがいい。

 

「実は、諸事情により女である事を隠して生きてきた。向井祥子さんですよね、古河凪と申します。妹共々、末永く宜しくお願いしたい」


 凪さん、祥子さんの前へと行ったかと思うと、おもむろに立膝をついたじゃないか。

 そして動揺する祥子さんの手を取り、手の甲にキスをする。 


「え、え⁉ あ、は、はい! 向井祥子と申します!」

「お噂通り、秀麗な方ですね」

「そ、そんな、秀麗だなんて!」


 凪さん、某歌劇団の男役バリの甘いマスクと声色じゃないか。

 そして祥子さん、なぜ貴女は僕という男がいるのに、頬を赤く染めるのでしょうか。

 

「なんだ高野崎、嫉妬でもしているのか?」

「別に、凪さんは女性なんですから、嫉妬なんかしませんよ」

「はは、嘘が下手だな高野崎は。そんなので私の良い人が見つけられると思っているのか?」

「良い人は自分で見つけてくださいね、あくまで今は練習の為にここにいるんですから」


 え? え? と目を見開いて、僕と凪さんを見比べる祥子さん。

 とりあえず何かムカっとしたから、祥子さんの手を引っ張って僕の横に座らせることに。

 

「え、ちょっと、俊介さん」

「僕はもう、誰かに愛する人を奪われるのは御免なんだ」

「そんな、奪われる心配なんて微塵もないんですから。安心して下さい」


 無駄に凪さんがイケメンなのがいけないんだ、あの人が本気を出したら負けそうな気がする。

 そうでなくとも、無職に片足突っ込んでいる僕としては、色々と不安な事が多い。

 現状を打破しないといけないのに、何も思い浮かばないとかもうね。

 


「お風呂、さすがに狭くないか?」

「狭いって言うか、大人は一人しか入れませんよ?」

「そうか……なぁ高野崎、もし良かったら温泉行かないか? 少し車を走らせばウチのグループが経営している温泉があるから、そこなら無料で利用できるぞ?」

「おんしぇん!? なほいくー! パパ、おんせんだよおんせん!」

 

 温泉かぁ、いいよね、温泉。

 足が延ばせる湯船とか最高なんだ。

 サポーターも外せるようになったし、どうやら貸し切り風呂もあるみたいと言うことで。

 骨折にも良さそうだと、皆で温泉に向かう事に。


 車の運転は昼間僕を運んでくれた、黒服のしげ兼継かねつぐさん。

 僕と祥子さんと琴子さん、詩さんに凪さんと菜穂の計六人。

 昼間の車じゃ全員乗れないからって、大型バスに乗り換えてやってきてくれた。

 

「重さんすまない、シホウの湯へと向かって欲しいのだが」

「かしこまりました。それにしてもお嬢、その服お似合いですね」

「……な、何を急に、なんだ重、気付いていたのか」

「もう私も古河家に長いですから。ようやく、変わる時が来ているのかもしれませんね」


 へぇ、意外とこの黒服さん話が分かるかもしれないぞ。

 こういう家に近い人を取り込む事が出来れば、新鮮な情報を得る事が出来る。

 敢えてガイド席へと座り、彼と話し込みながら温泉へと向かう事に。

 

 バスなんてほとんど乗ったことが無かったから、菜穂が叫んで大喜びだ。

 女性陣は全員後ろの方でワイワイしている今の内に、情報収集しないと。


「古河家の現在の当主である古河海縁かいえんさんは、非常に厳しいことで有名です。我ら黒服の間でも海縁さんに付く場合は、気を引き締めて行かないとダメなんです。なにせたった一回のミスで首が飛んでしまった仲間が、過去に何人もおりましたからね」

HPホームページを見ると、現在の取締役社長が海縁さんでしたけど、会長が存続していますよね? 古河大漁さんって書いてありましたけど」

「大漁って書いて、たおって読むんです。大漁たお会長は、最近は余り姿を見なくなりましたね。聞いた話ですけど、なんでも会長は裏社会にも通じているらしく、あのお屋敷には日本刀が飾られていて、それで実際に人を斬った事もあるとか」


 人間のお刺身かよ、冗談じゃなくてマジであり得るところだったのか。

  

「まぁ、どんな噂にも尾ひれがついてしまうものです」

「そうですよね……他に何か情報はありませんか? 奥様とかは」

「奥様ですか? 実はあまり大きな声では言えないんですが、古河家には奥様が二人いるという噂でしてね。一人は凪さんと琴子さんの母親である、古河富木菟とみづく様。この人が正室であり、表向きの奥様となっています。もう一人の存在は……すいません、詳細までは不確かなのですが、茜乃あの様と呼ばれる女性が別邸宅にお住まいとの噂です」


 妻が二人? でも婚姻しているのは富木菟さんだけか。 

 顔合わせするとしたら富木菟さんの方になるのだろうけど……茜乃さんの方も気になるな。

 

「そろそろシホウの湯に到着します。また何かありましたら、お答えできる範疇であればお答えしますので、こちらに連絡をください」

「名刺……あ、すいません、いま返しの名刺を持っていないものでして」

「いえいえ、古河家の人達の名刺を頂くなど、滅相ございません。受け取って頂くだけで結構ですよ」


 重さん、本当に良い人だな。

 どうやら彼は温泉には入らないらしく、バスにてお留守番をするのだとか。

 それが黒服の仕事なんだと凪さんに言われ、やむなしと重さんを置いて行く事に。


 職務を全うすべき男の仕事を、勝手に奪ってはダメだよな。

 重さんには重さんのプライドがある、どんな仕事も尊重しなくては。


 で。


「あの……なんでここに、皆いるのかな?」

「パパー! なほといっしょにおんしぇんはいるのー!?」


 ちょ、ちょっと待って、菜穂も裸だし、詩さんも裸で走り回ってるし。

 祥子さんや琴子さんも凪さんまで全員裸なのですが。


「え、え⁉ 俊介さんここ女湯ですよ⁉」

「え⁉ いや、僕からしたら男湯だったはず!」

「別にいいじゃないっすかー! 詩、裸の方が好きですし!」

「そ、そうですよね。俊介さん、ちょうどいいのでお背中流しましょうか?」

「琴子さん結構受け入れるの早いね⁉ っていうか、え、マジでどうなってるの⁉」


 脱衣所までは普通だったはず!

 何故に暖簾をくぐると男女一緒の温泉になっているんだ⁉


「なんだ知らなかったのか高野崎、この温泉は子宝の湯と書いてシホウの湯と読むんだ。夫婦や恋人たちが貸し切って入る、まぁ俗にいう貸切露天風呂って奴だな」

「貸し切り露天風呂……確かに、他の人達はいないみたいですけど」

「だから裸であっても気にするな、裸の付き合いは大事だと、男の友人に良く言われたものだ」

 

 気にするなって言われても、それは無理ってもんでしょ。

 祥子さんと琴子さんならいざ知らず、詩さんと凪さんは不味いって。

 

「俊介さん」

「はい」

「私達以外を見たらダメですからね」

「あ、はい」


 なんてこった、まさかこんな展開になるなんて。

 は、そうか、だから重さん入らなかったんだ。

 とりあえず、もう目を瞑っておこうかな。

 見たら目ん玉潰されそうだし。


「俊介さん」

「……はい?」

「結構、大きいんですね」


 何を見ているのかなー!? ダメだよくっつかれたら、だって、柔らかいし良い匂いだし!

 そ、そうだ、菜穂のことだけを考えよう。

 菜穂の声だけを聞け、それが一番の精神安定剤なんだから、菜穂の声、菜穂の声。


「きゃはー! なほ、おおきいおふろだいすきー! あわあわー!」

「あはは! 詩もこんなに楽しい温泉初めてです! 菜穂ちゃん、一緒に滑り台いこっか!」

「すべるのー⁉ おふろですべりだいあるのー⁉」

「うんうん、詩も滑ってみたいから、一緒に行こ!」

「なほいくー! あ、ぱぱもいっしょがいい! ねぇぱぱ、いっしょにすべりだいしよ!」


 ダメだ、いま目を開けたらヤバい事になる。

 絶対側に詩さんいるよな? 両サイドに琴子さんと祥子さんがいるのは間違いないとして、凪さんは?


「しかし詩君と言ったか。君は高野崎に肌を見られる事に抵抗が少ないんだな」

「だって詩、もう全裸見せちゃってますから。それにおっぱいだって揉まれてますしねー!」


 僕は詩さんのおっぱいを揉んだ事はない!

 そして凪さんの声もやたら近くにないかこれ⁉


「ほう、高野崎は妹がいるのに、詩君にまで手を出している訳か」

「ち、違いますからね⁉ そこだけは断じて違うと言い張りますよ⁉」

「結構結構、それだけ魅力のある男と言うことだろう。そんな高野崎に美しいと告白された私は、それなりに自信を持っていいという事だな?」


 凪さん、貴女こんな場で一体なにを!?

 あ、僕の両腕を持ってるであろう祥子さんと琴子さんの手に力が!


「えー? 高野崎さんは詩の小さい胸の方が良いって言ってたけどなー」

「そんなの一言も言ってない!」

「ちょっと……聞き捨てなりませんね俊介さん」

「そうですよ俊介さん、小さい方が好きとか、私初耳なんですけど」


 大きいのと小さいのどっちが好きとか、僕は一言も発言した事はありませんが!?

 

「いつまで目を瞑っているつもりですか、ちゃんと目を開けてしっかりと見て、誰のおっぱいが好きなのかはっきりさせて下さい」

「そうですよ俊介さん、俊介さんが好きなら、私頑張って小さくしますから」


 小さくなんか出来るの!? っていうかもう、絶対死んでも目を開けない方が良い。

 開けたら最後、大変なことになるのは確定だから。


「あ、菜穂ちゃんが溺れてる!」

「え、菜穂⁉」


 温泉といえど、立ち湯や打たせ湯がある温泉は、深い場所がある可能性がある。

 入った時の記憶しかないけど、この温泉かなりの種類があったから、もしかしたら。


「ふふ、やっと目を開けましたね」

「え、あ、菜穂」

「ぱぱ、おっき?」


 目の前にちょこんと座る可愛いの。

 そりゃそうだよな、直前まで滑り台行こうって言ってたんだから。


「さ、俊介さん」

「誰が好みなのか、教えてください」


 あ、え? 普通、こういうのって男が覗いて女の子が悲鳴あげるもんじゃないの?

 そもそも見るなって言ってたはずなのに、今は見ろって、ちょっと。

 あ、凪さんのも結構大きいぞ、祥子さんの次くらいに大きいし、形が良い。 


「……ぱぱ、おっき?」

「……わー! 壺湯がある! 菜穂二人で入ろうかー!」

「あ、俊介さん走ったらダメですよ!」

「足がダメになりますから、止まって!」

「骨折してるんじゃなかったのか高野崎!」

「高野崎さんすげー! あはははは!」


 一人一人凝視したら、大変な事になるのは間違いない。

 壺湯って良いよね、娘と二人だけで入る壺湯はまた格別だ。


――

次話「狭い家だと温泉が恋しい②」


※本日22時頃にもう一本投稿して、今日は終わりたいと思います。

 明日がカクヨムコン最終日、作者都合で投稿して申し訳ないです。

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