第64話 古河家

 七月下旬、祥子さんのメンタルも持ち直し、琴子さんの疑惑も晴れてから数日後。


 菜穂の通う楓原幼稚園も夏休みへと突入し、毎日を一緒に過ごすようになったある日のこと。

 僕の姿は久しぶりの職場である、株式会社オプレンティア楓原営業所の前にあった。


 松葉杖が必要とはいえ、一応歩く事は可能なんだ。

 このままずっと休み続けるのも良くないとし、職場復帰を試みるも。


「別に高野崎の手が必要なほど忙しくはねぇから。まだ病院通ってんだろ? 相手の保険で休業損害貰える身なんだから、大人しく半年くらいは休んどけって」


 江原所長にこう言われ、まぁ確かにその通りだよなと引っ込む事に。

 久しぶりに会社の近くまで来たから、琴子さんと待ち合わせして近くのレストランにてお昼。

 家ぶりの琴子さんだけど、仕事中の彼女に会うのは、なんだか胸がときめく。


「正直なところ、僕が復帰したところでって感じなのかな。そういえばあのプロジェクトってどうなったか、琴子さん聞いてる?」

「あのプロジェクト……ああ、あれはもう本社に一任しちゃいました。もともと全国規模のお仕事でしたし、俊介さんがいない楓原営業所でどうにかなるお仕事でもなかったですしね。今は重合百貨店のお仕事を継続的に頂いているのと、不動産会社で開催するイベントを新規で受注しています。あと最近で大きいのは、プロサッカークラブと契約を結べたことですかね」

「え、プロサッカークラブって、J1?」

「J2ですね、ホームグラウンドの時のみのお仕事なんですけど、スタジアムの入場から運営まで、結構任されてますよ」


 へぇ、それは凄いな。スタジアム運営ってイベント会社の花形みたいなものだけど、かなりの人間と時間を使うから、滅茶苦茶大変だけどその分お金も良いって話だし。


「えへへ、私一人で取ってきたんですよ」

「……え、琴子さん一人で?」

「厳密に言えば、スポーツが趣味の遠越さんも一緒でしたけど」


 ただただ凄いな、僕が居なくなってからの方が売上いいんじゃないのか?

 琴子さんと遠越君の二人が育ってきたから、僕がいらないって、そんな感じでもあるのかな。


「他にも最近あった変化だと、来月から私が正式に営業部に転属になるぐらいですかね。経理の穴埋めに一ノ瀬さん入るみたいですけど」

「え、そうなんだ、おめでとう」

「ありがとうございます。面白いんですよ、一ノ瀬さんの机、江原所長の横なんです」


 注文したスパゲッティをクルクルしながら、琴子さんは微笑む。


「あ、今日挨拶した時に、そういえば隣に一ノ瀬君いたね。何かあったの?」

「監視されてるみたいです。一ノ瀬さん、前はパソコンのゲームで遊んでたみたいでして、それを江原所長が絶対にさせないって。でも、多分理由違いますよね。はい、あーん」

「あーん……あ、美味し。付き合ってるから、離れたくないって感じかな」

「恋人同士で机を横にして働くって、なんかいいですよね」


 あの二人だと、女王様と下僕のイメージが僕にはあるけど。

 とりあえず、当分復帰はしないでも大丈夫そうかな。


「……あと、ちょっと言いにくい話にもなるんですけど」

「……事故を起こした人間を、元のポジションで使うのかって話?」


 俯きながら。琴子さんはこくりと頷く。

 まぁそうだろうなとは思っていたけど。

 江原所長が半年休めって言ったのは、そこら辺の意図も踏まえての事だろう。

 僕が復帰した所で、元の席は無さそうだな。


「大丈夫ですからね」

「……?」

「もし、俊介さんが復職出来なくても、私と祥子さんとで二人を養えますから」


 不安げな表情をした琴子さんが何を言うかと思ったら。

 その優しさに、思わず苦笑してしまうよ。


「ありがとう。でも、そうなったら逆に、二人には申し訳なくなってしまうね」

「いいんです、本当に、気にする必要なんてどこにもないんですから」

「……」

「俊介さんがいたから、私は成長することが出来たんです。恩返しする番なんですよ……そろそろお昼の時間終わりますので、会社に戻りますね」


 琴子さんは立ち上がり、僕の頬にキスをしてからレストランを後にした。

 僕はというと、冷めたドリアを前にして、今後のことをぼんやりと頭の中で構想する。


 今のオプレンティアには、もう僕の居場所はない。

 そもそも自分で望んだことでもある、菜穂の為に会社の命に背いて異動したのだから。

 

 遅かれ早かれ、こうなることは確定だったのだろう。

 だとすると、このままだと本当に二人のお世話になる可能性だってあるのか。


 それは、男の矜持が廃るな。

 果たしてそんな僕の姿を、菜穂が、二人が望むのか。


「……考えたって、答えが出る訳じゃないし。そもそも復帰が出来ないって訳でもないんだ、休業明けにもう一度、江原所長に相談すればいいか」


 誰にも聞こえない様にひとりごちていると、先程まで琴子さんが座っていた席に、スーツ姿の男性が突然座った。


「すいません、相席宜しいでしょうか」

「……えと、いや、僕ももう席を立ちますので」

「大丈夫ですよ、高野崎さん。貴方に用があって来たのですから」


 僕に用があって来ただって? 見た感じ某少年探偵に出て来る黒ずくめの男って感じだけど。

 夏真っ盛りのこの時期に上下黒のスーツにネクタイなんて、クールビズのクの字もないな。

 

「実は、私は古河家に雇われた者になります」

「古河家って……琴子さんの」

「ええ、お嬢と同棲なさっている高野崎さんなら、私が何を言いたいかお判りになるかと」


 粛清か、強要か。

 良いとこの娘さんだからな、ご両親がただ黙っている訳がない。


「それで、僕はどこに行けばいい?」

「話が早くてとても助かります。私どもと同行して頂ければ、それで結構でございます。足を痛まれているのでしょう? 車を回してありますから、どうぞご安心なさってください」 

 

 家だと常に誰かの目があったからな、僕がこうして一人外出するところを狙ったのか。

 だとすると、琴子さんには聞かれたくない話の可能性が高い。


 ……でもまぁ、廃るはずだった男の矜持を見せるには、丁度いい機会とも言えるか。

 祥子さんも琴子さんも僕の為に努力したんだ、僕が頑張らないでどうするよ。



 レストランを出ると、そこには黒塗りの高級車が停車してあった。 

 レクサスLS……一千万クラスの高級車だ、その場に存在するだけで圧が凄い。


 まるで僕がその車の所有者であるかのように、男は僕の為に扉を開いた。

 社長とかお偉いさんが受ける接待を、僕が受けているような錯覚。

 一体どれほどまでに金持ちなんだよって、心の中で愚痴る。


「目隠しとかしないで大丈夫なんですか?」

「そういった指示は受けておりませんので、どうぞ楽にして下さい」


 逆を言えば、指示さえ受けていれば目隠しでも何でもすると。

 怖い連中だな……でもま、自衛の為の実力行使ならば、それぐらいもアリか。


 高額所得者は、まさに歩く身代金だ。

 自分の身を護る為の手段としてこういった人間を雇う事も、往々にして考えられる。


 努力した結果金持ちになったのに、その努力の部分を見ずに結果だけを求める愚かな連中から身を護る方法は、いくら考えても相手が常に斜め上をいくからな。


 どんなに偉くてもどんなに金持ちでも、一対一になれば俺は殴り殺せるんだ……そんな考えをもったバカ者が、世の中に一体何人いることやら。


「到着しました、扉を開けますので、少々お待ちを」


 どこまでも続く塀に、やたら大きい門扉は、個人の家で設けるには豪奢がすぎる。

 細かな砂利が敷き詰められた駐車場には、一体何台の車が停められる事か。

 どこぞやの神社やお寺なんかよりも遥かに大きいぞ。

 

 そして、車を降りて目に飛びこんでくるのは、和風の家……超ド級の大きさだ。

 一見すると高級旅館にも見えなくない庇の大きい瓦屋根に、枯山水造りの庭。

 植樹も景観を意識した配置になっていて、ある種の統一性を感じる。


「どうぞこちらへ」

   

 男の手を借りながら門から玄関までのアプローチを進む。

 灯篭や石像で出来た猫などが目を楽しませるが、よく見れば至る所に監視カメラの姿も。

 意外にも玄関をくぐると洋風な造りをしていて、大きめの上がりかまちにどこか安心する。

   

「こちらのお部屋でお待ちください」

  

 玄関入ってすぐ右側の部屋、商談ルームとでもいった感じの造りの部屋に通される。

 柔らかな絨毯に木製の棚にテーブル、座り心地が異常に良いソファか。


 この木製の家具って、もしかしてマホガニー製の家具で統一してあるのか?

 さすがに家具の目利きまでは出来ないから、なんとなくの感覚だけど。

 でも、想像の百倍ぐらいお金持ちの家って事だけは、嫌ってほど理解できた。

 

 そして待つこと数分。


「失礼する」


 先のスーツ男が扉を開けて中に入ってきたのは、僕と同い年くらいの男性。

 ワイシャツにスーツベスト、細身なスラックス。 

 フォーマルな服装をしているが、何故だろう、彼には少々の違和感を感じる。

 服に着られている感覚とでも言えばいいのか、営業目利きの僕の目が、何かを伝えていた。


「ああ、掛けたままで結構。高野崎さん、突然のこと、どうか平にご容赦願いたい」

「いえ、琴子さんのご家族ですから、どのような形であってもお受けいたします」

 

 席に着く前に頭を下げ、そしてソファへと深く腰掛ける。

 一つ一つの所作が素晴らしいな、面接だったら百点だ。


「そうですか、では改めまして。古河琴子の兄、古河なぎと申します。さっそくなのですが高野崎さん、妹とどういったご関係なのか、ご説明をお願いできますでしょうか?」


 古河凪さん、僕のお義兄さんになる人でもある訳か。

 癖のあるセミロングを全て後方へと流し、後ろで一本に縛っている。

 前髪を少しだけ残していて、それは鎖骨辺りまで届くほどに長い。


 シャープな顎先に睫毛の多い狐目は、どこか中性的な印象を与えてくる。

 ポーカーフェイス、表情からは感情が読み取れないタイプだ。


「琴子さんと僕は、恋人同士の関係にあります」

「恋人?」

「はい、琴子さんから告白され、今は同棲生活を送っております。ご存じかと思われますが、先日僕は事故を起こし、一ヶ月ほど入院していたのですが、その時にも琴子さんに助けていただき、彼女の深い愛を知ることが出来ました」

「では、高野崎さんとウチの妹は、紛れもなく恋人関係にあると」

「……はい、その通りです」

「そうですか、では、こちらの女性は?」


 言葉と共にテーブル上に置かれた写真の数々。

 それは琴子さんと僕、そして祥子さんを隠し撮りした写真。


「もう一度お聞きしますよ高野崎さん。ウチの妹と、どういったご関係なのでしょうか? まさか、この写真に写る向井祥子さんとウチの妹、二人とも恋人だなんて、ふざけた事は言わないですよね?」


――

次話「違和感の正体」

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