第63話 閑話 五人での日常

 ――月曜日、午後六時半、高野崎家。


 この時間だと祥子さんはまだ幼稚園から戻らず、詩さんも外出から帰ってきていない。

 菜穂はいつものテレビに夢中になり、琴子さんはキッチンにて全員分の夜ご飯を作る。


 帰宅してすぐに作り始めるから、エプロン以外は仕事着のままの琴子さん。

 だけど、その表情はどこか怒りが込められていて、正直近寄りがたい。

 僕は、事実上二人だけのこの時間を利用して、琴子さんに謝罪する事を決意する。


「琴子さん」

「はい」

「あの、ごめんなさい」

「どうしたんですか、急に謝ったりなんかして」

「昨日のこと、まだ気にしているのかなって思いまして」

「別に、私は気にしてませんよ? 私と菜穂ちゃんが祥子さんのご両親と顔合わせしている時に、祥子さんに抱き付かれながら詩さんと乳繰り合ってたのなんか、気にもしてないですから」


 それ絶対に気にしてる言い方じゃないか。

 あの時は完全に油断してたんだ。

 映画を見る為に部屋を薄暗くしていたのも、要因の一つに違いない。


「くっついたまま眠る祥子さんの熱にあてられて、うっかり俊介さんは眠ってしまったんですよね。そして隣にいた詩さんも眠ってしまい、なぜか下着を着用していなかった詩さんの服はいつの間にかどこかに行き、上半身裸になった詩さんの胸を揉みながら、俊介さんは眠っていたと。何十回も説明を受けましたから、大丈夫です」


 全然大丈夫じゃない感が半端ない。

 今だってまな板に包丁が入りそうなぐらい勢いが凄いし。

 お味噌汁だって味噌が混ざらないまま投入されているじゃないか。

 

「そもそもなのですが、なぜ詩さんまで同居生活をしているのですか?」

「え? それはほら、皆いる時に決めなかったっけ?」


 ダァンッ! という破砕音と共に、琴子さんの包丁を持っていた手が止まる。


「なし崩し的な感じでしたよね? 私と祥子さんはいいんです、それなりの覚悟と決意を持って俊介さんの家に来ましたから。詩さんは違いますよね? 住む家が無くなったからこの家に住まわさせて欲しいと。これ、本当にこの意見のままの状態だと思っているんですか? 親御さんに確認の連絡とかしました? そもそも一ノ瀬さんの妹さんなんですよね? 一ノ瀬さんに先に連絡を取るのが普通の考え方じゃないんですか? ねぇ、俊介さん、まさか貴方、詩さんまで自分の虜にしようとか考えてませんよね?」


 包丁を僕の方に向けて喋らないで欲しいです。

 死んだ魚のような眼をしながら僕を見ている琴子さん。

 なぜか整っていたはずの前髪がたらりと垂れてきて、どこぞやのヤンデレみたいに見えます。


「もちろん一ノ瀬君には連絡したさ。そうしたら彼、申し訳ないけど僕が大丈夫なら、詩さんの事をそのまま預かっていて欲しいって言ってきたんだ。それに詩さん、大学とかは地元にあるみたいで、どちらかというと社会勉強の為にこの街に来てるみたいなんだよね。だからそんなに長期間じゃないし、来年からは後輩になるんだし、この街のことを知るのもいい機会かなと」

「俊介さん」

「はい」

「御託はいいんです。私が一番知りたいのは、先の言葉の最後の部分です」


 先の言葉の最後の部分? 

 なんだっけ。


「詩さんまで自分の虜にしようとか考えてませんよね? の部分です」

「え? あ、そんなこと言ってたね。……そんなことある訳ないでしょ」

「本当ですか? 最近の詩さん見てると、俊介さんの事が好きなんじゃないかって、勘ぐってしまう場面が多々見受けられるのですが? おっぱい揉んでたりとか」

「僕に詩さんのおっぱいを揉んだ記憶はない」

「誰もいないのに家に入れてたりとか」

「あれはポストの鍵を詩さんが勝手に使ってるだけだ」

「最近寝てる時に、菜穂ちゃんを囲んで詩さんと眠ってるとか」

「最初は琴子さん、僕、祥子さん、菜穂、詩さんだったじゃないか。目が覚めたら僕、菜穂、詩さんで、琴子さんは部屋の隅でミノムシみたいになっていて、祥子さんは廊下だったけど」


 畳に敷いた布団じゃなかったら、この二人はベッドから転落してるんだろうなって思う。

 祥子さん以前はロフトで寝てたんだよな? 何回か落ちてるんじゃないのか。


「まったく、ああ言えばこう言う」

「質問に対して真実で返すだけだよ。僕のモットーじゃないか、嘘だけはダメだって」

「そうかもしれませんが……とにかく、私だって不安に感じる事はあります。祥子さんはいいんですけど、詩さんにまで手を出したら、それはもう浮気です」

 

 浮気って言葉が、やけに胸に突き刺さるのはなんでだろう。


「浮気だけはしない、絶対だ。もし一瞬でも詩さんに心動かされる事があったら、その事も正直に全部、琴子さんと祥子さんに話をする」

「……話をして、どうするんですか」

「……考えてなかったから、分からない」


 琴子さん、無言のまま冷蔵庫からお魚取り出して、爆音と共に頭と身体を真っ二つにした。


「俊介さん」

「はい」

「もし私達のこと裏切ったら……ただじゃ済まないですからね?」


 なんか、デジャブを感じる。

 前に祥子さんからも似たようなこと言われなかったっけ?

 と、とりあえず、今はここまでにしておこうかな。

 ちょっと、ちびっちゃったし。



「いっただきまーす! ……って、なんか今日のお野菜、ぶつ切りですね?」

「野菜のゴロゴロ炒め? 琴子さんにしては斬新な料理ですね。あ、でもお魚美味し」


 僕のお皿には見覚えのある魚の頭が立ってますけどね。

 野菜炒めにもまな板が混入してますし。

 どうしよう、今日のご飯、まともに食べれるの白米だけだ。


「ぷはー、あーお腹いっぱい、ご馳走様でしたっと。すみません御三方、ちょっと今日汗かいちゃったんで、一番風呂ちょうだいしたいと思います」


 ぺこりお辞儀をすると、詩さんは北側四畳半の部屋へ行き、そのまま浴室へと姿を消した。


「食べるの早いなー、詩さんって何か、行動の全部が早いですよね」

「そうですね……あ、ほら、菜穂ちゃん、お魚さん食べないとダメですよ」

「なほ、おさかなさんの、ほねきらいなの」

「もう全部取ってありますよ、はい、あーんして」

 

 確かに、菜穂のお皿の上にある焼き魚は既にほぐしてあって、骨があるようには見えない。

 他にも菜穂が火傷しないようにお味噌汁を冷ましてあったりとか、気配りが凄い。


「なんか、琴子さんって本当にママって感じしますよね」

「そうですか? 祥子さんだってママって感じがしますよ」

「にへへ……そうかな。あ、じゃあ私、お皿洗っちゃいますね」


 ママが二人で、最高に幸せな食卓なんだけど。

 僕のお皿の上に地獄絵図があるのは、何故なんだろう。


「にゃはー! スッキリしました! すいません琴子さん、化粧水貸してください!」


 出るのも早い、烏の行水かよってぐらいの速度で出てきて――――


「「「服を着ろー!!!」」」


 三人同時に叫ぶ。

 詩さん、タオルで頭拭きながら、素っ裸の状態でリビングまで来たぞ。

 

「え? だって詩、家だと基本裸なんですよ。裸族ってやつですかね」

「さすがの私でもそんなのしないよ? 下着ぐらいは穿こうよ詩さん」

「えー暑いし面倒ですよぉ、いいですよね俊介さん?」

「さすがにそれはダメだ」

「えー、そうかなぁ、みんな裸になってればいいのに。気持ち良いですよ?」

「大の字にならないの、化粧水でも何でも貸すから、早く四畳半の部屋行って」

「あざまーす!」

「……あ、詩さん最近私の化粧品とか勝手に使ってない? なんか個数減ってる気がするんだけど、ねぇってば――」


 四畳半の部屋に向かった詩さんを追いかけて、祥子さんも部屋から姿を消す。

 急でびっくりしたよ、本当に。

 で、ものの数分で戻ってくる訳だ。さすが倍速世代。


「詩さん、今後は裸でうろつくの禁止ですからね」

「かしこまです、どうも家だと思っちゃうと、気が抜けるんですよね」

「気が抜けてても、好きな人の前で裸になんてならないでしょ?」

「そりゃそうですよ、なる訳ないじゃないですか。それは痴女って言うんです」


 リビングの絨毯の上でごろんと横になって、詩さんはテレビを観始める。

 ランニングシャツに短パン姿……まぁ、さっきよりはマシだけどさ。


「……ふぅん」

「あれ、どうしたの琴子さん」

「ん? ううん、何でもないです。俊介さん、そのご飯、作り直しましょうか?」

「え? いいの?」

「さすがに酷い状態だと思いますので、あはは、これじゃ食べれないですよね」


 な、なんなんだ、なぜ急に笑顔になった。

 でもまぁ、いいか、二人が笑顔になった方が、絶対にこの家は上手くいくから。


――

次話「古河家」

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