第60話 お義父さん、娘さんと家を僕に下さい
「4LDKで二千五百万か、駅からも近いし、ここら辺が狙い目なんだろうな」
土曜日、菜穂とお義母さんたちとのお出掛けを目前に控えたお休みの日。
団地のポストには結構な頻度で中古新築の戸建てチラシが投函されている事があり、僕はその中の一枚を見ながら一人ごちる。
頭金に一千万は用意出来るけど、そこからはどうあがいてもローンだな。
試しにウェブ試算、僕は楓原営業所から動かないと想定して。
固定金利のボーナス入れて、ぽちぽちしてから三十五年ローンにすると。
……月々四万五千? え、こんなに安くなるんだったら団地住まいより遥かに安いぞ。
ボーナス時も余裕で払えるし、適当に言ってみた言葉だけど、動く価値はありそう。
「俊介さん、この前の話、結構真剣に悩んでる感じですか?」
大き目のダボTシャツに家着用短パンを穿いた琴子さんが、僕の横にちょこんと座った。
「そうだね、今だって五人でいるけど、結構狭いでしょ?」
今の今だって、寝室に琴子さんと僕がいて、リビングには菜穂とピアノの練習している祥子さんがいて、キッチンには詩さんがいる状態だ。
プライベートな空間と言ったらトイレぐらいしかないし、そのトイレだって団地だから音が結構な頻度で漏れ聞こえてきちゃうから、何も出来ないに等しい。
「トイレでする事なんて、一つしかないじゃないですか」
「まぁ、たまには一人になる時間も欲しくなったりするもんじゃない?」
「別に私は、俊介さんが隣にいれば後は何でもいいですけど。……俊介さんも、一人になりたい時って、あったりするんですか?」
「んー、どうだかな。そう言われると一人になりたいって思わないかな。でもさ、一戸建てだったら祥子さんのピアノだって聴ける訳だし、結構良い感じにならない?」
ピアノ練習中の祥子さん。
イヤホン付けて周囲には何の音も聞こえてこないけど、間違いなく腕前はプロ級だ。
菜穂と一緒に歌いながらピアノを弾いてる時も上手だったけど、クラシック系も有名な曲なら大抵弾けるらしい。なんでもない休日のお供には最高すぎる祥子さんのピアノは、イヤホンなんか勿体ないって思うんだけど……でも、ここ団地だからね。残念。
「そうですね、戦場のメリークリスマスとか聴いた時にうっとりしましたもん。2LDKのコンサート会場になりましたよね」
「でも、即座に五月蠅いってクレーム来て、演奏禁止になっちゃったし」
「確かにもったいないですよね。うーん、お父さんに相談してみるのもアリかもしれないですけど、お父さんどうでるかな」
お父さんに相談?
琴子さんのお父さんって、あの化け物水産の社長さんでしょ? お爺ちゃんは会長だし。
本当なら、琴子さんのお相手さんは、古河水産を継ぐ人じゃないとダメなんだろうな。
「そういえば聞いてなかったけど、琴子さんってご兄弟とかは」
「いますよ? 兄が一人おります」
「あ、そうなんだ。それは初耳、じゃあ実際でも妹だったんだね」
だとすると、古河水産はそのお兄さんが継ぐ感じかな。
それもそうか、箱入り娘を一人暮らしで就職なんかさせないよね。
「そうですけど……俊介さんは?」
「あれ? 言ってなかったっけ? 僕、一応妹がいるよ」
「え、そうだったんですか。だからですか、なんとなく雰囲気がお兄ちゃんって感じがするの」
「そう? そんな感じ出てた?」
「結構出てますよ、お兄ちゃん感」
「そうなんだ、あんまり自覚はないかな。ああ、でも、前に琴子さんから妹プレイとか言われた時に、ちょっと拒否反応出てたのは間違いないかな」
さすがに実の妹に欲情するほど猿じゃない。
身内ってどうしてああも性欲が完全にゼロになるんだろうね。
妹の裸見たところで「ふぅん」としか思わないし、特別感はゼロだ。
「それは知りませんでした。次からは気を付けます」
「いや、さすがに琴子さんのことを妹とは見れないから。だから、安心して甘えても大丈夫だよ?」
「……甘えるだけでいいんですか? 本当は違うんじゃないんですか?」
つーって、目を細めた琴子さんのしなやかな指が、僕の胸を筋肉にそってなぞる。
段々と下に向かう指は、僕の下腹部辺りと近づき、ズボンのゴムの部分で止まった。
何気ない会話とのギャップ。
琴子さんの蕩ける表情を見て、僕は腕を彼女の首へと回し、ぐっと距離を縮める。
最近の琴子さんとのキスは、祥子さんとする時よりも性的な欲望をそそるさまが増していた。
甘い唾液に、自分から絡めてくる舌は、行為を覚えたてで嬉しい様子すら感じさせる。
でもね、そこでおしまい。
何故なら菜穂の視線を感じたから。
「菜穂、おいで」
名前を呼ばれると、菜穂はとてとてとやってきて、ころんと横になった。
夫婦の仲の良い所を見せるのは、情操教育にとても良い。だけど、性教育はまた別だ。
特に女の子はそちらの方の目覚めが早いとも聞くし、その点は僕達を見てではなく、祥子さん琴子さんから直にお話をして、『約束事』として認識して貰わないといけない事なんだ。
「これじゃ、確かに一人の時間が欲しくなちゃいますね」
「一人って言うより、二人の時間かな。……いや、三人かな」
「祥子さんも一緒にって約束ですもんね。うん、分かりました」
「分かりましたって、何が?」
赤らめた頬のまま、濡れた唇をしずしずとぬぐい取る。
乱れた服のままぺたりと座り、微笑みながら琴子さんは提案した。
「私、お父さんに相談してみます」
「相談って、何を」
「家です。お父さん、いくつか資産運用の為に賃貸の戸建てを所持してるんですよ。マンションよりも長期的に借りてくれて、人を見てから貸し出せるから、戸建ての方が良いんだって言ってました。確かいくつか余ってたはずなので、その内の一件を譲って頂けないか相談してみます」
ちょっと、住む世界が違いすぎ頭が追い付いていかない。
お義父さん、娘さんと家を僕に下さいって感じ?
「さすがにそれは」
「実の娘のお願いですから、いけるかと」
「いやいや、だって僕達まだ顔合わせすらしてないし。そもそも許されるかどうかも分からないんだから、いきなり家くださいはどうかと思うよ? 図々しいにも程があるよ」
物事には順序ってものがある。普通に考えて家をくださいって言うのは、相当に成熟した関係じゃないと土台無理って話しだ。そもそも成熟しきってても無理だろう、あるとしたら遺産という形になるんじゃないかな。
「甘いですよ、俊介さん」
そんな話をしていると、パタンとピアノの蓋を閉じた祥子さんが振り向く。
「俊介さんは、菜穂ちゃんが何かおねだりしてきた時に、どう思いますか?」
「菜穂がおねだりしてきた時? そんなの、速攻でその願い叶えるに決まってるじゃないか」
リビングから寝室へとやってきた祥子さんは、上半身を壁にもたれかかっていた僕を跨ぐようにして、すとんと座り込んだ。
「そうですよね? 実の娘のお願いって、お父さんって存在には特に突き刺さるものなんです。私だって色々とありましたけど、結局全部許してくれたのはお父さんでした。借金全額支払うって決めたのもお父さんですし、きっと今の状態だってお父さんなら許してくれます」
それはまだ、明日のお出掛けが終わってみないと何とも言えないんだけど。
「それにですよ俊介さん、戸建てを購入するとなると、少なくとも八桁万円の出費が発生するんです。それを全額菜穂ちゃんの養育費、果ては将来私達との間に生まれる子供達に充てる事が出来るとしたら、どれだけ助かると思いますか?」
「それは、僕だって働いてるし、祥子さんも琴子さんも働いているんだから、何とか工面できるんじゃないかな」
「ですから! 甘いんですよ俊介さんは!」
ぐっと肩に乗せられた手に力が籠る。
祥子さんの大きな胸が顔にどんどんと近づいてきて、それに伴ういい香りが。
「俊介さんの現状を見て下さい、事故はある日突然起こるんです。今は三人働いてますけど、二人同時に出産ってなったらどうするんですか? 異動を拒否してる俊介さんの給与が下がる可能性を考慮しましたか? お金の苦労は誰よりも分かってるつもりなんです、なんていったって払いきれない状態にまで追い込まれたんですからね!」
無駄に根拠が強いな。
それと共に、祥子さんの目から生気が無くなってる気がするんですが。
「地獄なんですよ、毎日毎日追い込まれて、電気も点けれなくて。あ、このままじゃ私、多分売り飛ばされるなって思うところまで追い込まれ――」
「ストップストップ、菜穂も聞いてるし、その話はそこまでにしておこうか」
「……そ、そうですよね、あは、あはは、私、なに言ってるんだか」
むぅ、この前の暴露話は、開けちゃいけない祥子さんの扉を開いちゃったのかな。
でも、そんな祥子さんでも僕の愛した人には変わりはない。
目の前にあった大きな胸にそのまま顔を埋めて、ぎゅーっと抱き締める。
「あ、ちょ、俊介さん」
「いいんだよ、抱き締めると人は落ち着くから」
「そ、そうかもですけど……その」
ぎゅっと抱き締めていると、祥子さんの鼓動が伝わってくる。
落ち着くし良い匂いだし、本当、安心するよ。
「私もくっつこうかな」
「なほも、なほもぉ!」
「あ、何してるんですか詩に皿洗いさせて! いちゃつくんなら詩も混ぜるといいんです!」
みんながぎゅーっと抱き締めてきて、祥子さんわたわたしてるけど。
やっぱり皆がいると楽しいな、何もしてないのに笑顔で一杯だ。
「あはは、なんか、大きい家を買ってもこうしてそうですね」
「確かに、結局一つの部屋に集まって、皆でくっついてそうだね」
「そうかもしれませんね……でも」
くんずほぐれつの状態から、一人抜け出した琴子さん。
「でも、菜穂ちゃんも大きくなったら、やっぱり一人の部屋が欲しくなりますよ。私、聞くだけ聞いてみます。そもそも俊介さんから教わった事ですよ? 仕事において、聞くのはタダなんだから、どんどん聞いた方がイイって」
それは新人から先輩への接し方であって、両親にはあてはまらなそうだけど。
「それに、いきなり家を下さいは言いませんって。まずは顔合わせ、ですよね」
にっこりと微笑んだ琴子さんは、もう一度僕に抱きついてきたんだ。
琴子さんとのご両親の顔合わせ……絶対に成功させないとだな。
まずその前に、祥子さんのお父さんとの顔合わせなんだけど。
――
次話「彼女は僕だけの人形になる」
――
おまけ「メンヘラっちゃう彼女」
「俊介さん」
「ん? 祥子さん?」
「琴子さんとのキス、なんか凄くなかったですか」
「え、見てたの。っていうか、そもそも聞こえてたの?」
「フェロモン臭がしましたんで、直ぐに気付きました。最近私とは軽いキスしかしないのに、琴子さんとはあんなに濃厚なキスをするんですね。やっぱり俊介さん、私のことちょっと嫌いになったんじゃないんですか。それもそうですよね、あんなふざけた過去を持つ女のことなんか好きになんかなれないですよね。好きになってごめんなさいでももう俊介さん以外考えられないし最近喋っちゃったから不安で不安でしょうがなくてでも一緒にいるのにくっつくだけで安心できないしいつになったらエッチ出来るのかも分からないし情緒不安定になってきちゃってピアノ弾いてても隣に俊介さんいないし唯一の取り柄だったのに即でクレームきて禁止になっちゃったし私のすること全部裏目になってるみたいでどうせ私なんてって思うんですお母さんにも私だけは何かお説教されちゃったしどうにもこうにも嫌われる事が多いみたいで琴子さん以上に人間関係苦手で苦手過ぎて本当もう狭い世界だけで生きていきたいって思うんですけど――んっ」
「――――っ、……どう? 落ち着いた?」
「落ち着き、ました」
「不安になんかなる必要ないよ、僕はずっと一緒にいるからさ」
「……優しいですよね、俊介さん。私、早くもっと安心したいです」
これは、荒療治が必要かなぁ……。
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