第53話 暇な女子大生の誘惑と大事件

 退院してから数日、セミの鳴き声がそこら中に響き渡り、団地内の公園で立ち話をする奥様方の姿も見なくなった頃。うだるような暑さの中、いってきますと元気な声を残し、菜穂を連れて祥子さんは幼稚園へと行き、琴子さんもクールビズな服装で会社へと向かうようになった。


 琴子さんは営業の上二人、つまりは僕と健二が抜けてしまった穴を埋めるべく奮闘しているみたいだし、祥子さんは幼稚園の夏休み目前と言う事で、園児のプールやイベント行事で毎日が忙しいらしい。

 

 菜穂が帰ってくる度に「プールたのしかった!」とニコニコ笑顔で教えてくれるのだから、僕としては一緒にプールに行けないのが残念でならない。


 せめて生活費の足しにと思い、週一回のリハビリ以外はリモートで仕事に参加したいと思っていたのだけど、パソコンの前に長時間座る、これが思っていた以上に足に負担がかかるので、結局無しにしてもらった。


 以前医師に言われていたけど、大腿骨の骨折って完治までに一年はかかるのだとか。

 骨のくっつきが遅い上に、リハビリをしくじると一生後遺症が残る可能性もある。

 とはいえずっと横になってる訳にもいかないから、起床して少しは身体を動かしたり。

 

 まぁ、要約すると暇だ。

 する事も出来る事もないのだから。


 二人のご両親に顔合わせするにしても、即決即断で出来る話でもない。

 色々と思慮を巡らせてはいるものの、動かない足を前にすると、少々思考が鈍る。


「こんにちわ! ポストの鍵使って入りますよー!」


 そんな暇な時間だと、喋る相手がいるだけでもありがたいと思ってしまう。

 一人ぼっちだった僕の家にやって来たのは、一ノ瀬詩さん、一ノ瀬君の妹さんだ。

 

「お、また横になってますね!」

「そりゃ横にもなるよ、他に出来る事ないし」

「にゃはは、それもそうですね。あ、これ、お土産のシュークリームです。全員分ありますので、冷蔵庫に入れておきますね!」


 あの件以降、時折、詩さんは僕の家に来るようになった。

 僕達の関係に興味を持った、とか本人は言っているけど、実際はどうだか。


「勝手に人の家の冷蔵庫を開けるんだ」

「だって、私が来ましたよって報告入れておかないと、後が怖いじゃないですか」

「後が怖いって……別に詩さんとは何もないでしょうに」

「何もなくても煙が上がっちゃうのが、恋愛の怖い所なんですよ~?」


 何もないのに燃え上がったら、それは超常現象だし冤罪っていうんだ。

 けれども詩さんには健二の件で貸しがある以上、無碍むげには出来ない。

 当たり前の様に隣に座ってシュークリームを頬張っていても、僕には拒否する事も――


「できるから」

「何がですか?」

「いや、なんで隣? 僕一応布団で横になっているんですが?」

「あ、パンツ見えてました?」

「見えてないし見てない」

「そっか、お小遣いゲットのチャンスだと思ったのになぁ」


 なぜに僕が詩さんの下着を見てお金を払わないといけない。


 視界に入る詩さんの服装は、白デニムのミニスカートに、何かしらのロゴが入った半袖Tシャツといった今風の恰好をしている。寝ている僕の真横で三角座りをしているのだから、確かに角度的には見えちゃいそうではあるが。


「あ、やっぱり見たいんですか?」

「見ないよ。と言うか、今日は何しに来たのさ」

「暇なんですよ、本当に。高野崎さんの家に来れば何かあるかなって」

「大学生なんだから、バイトすればいいだろうに」

「いやいや、私こう見えて拘束されるの苦手なんですよ。猫ですから」


 にゃん♪ って手を丸める詩さん。

 この子なら居酒屋でもどこでも接客業なら大成しそうなもんだけどな。

 社交性やコミュニケーション能力は、多分僕以上に高い。

 そして天性の美人さんでもある、更に性格も良いのに、勿体ない。


「大学四年だっけ? だったら卒論とか、研究とかで忙しいんじゃないの?」

「別に忙しくはないですよ? そこら辺、詩はきちんとする人ですので」


 見た目とは違い、真面目なのは分かる。

 この子は徹底して管理するタイプの人間だ。

 

 性格は顔、生活は体型、本音は仕草に出るって言うけど、この子はある意味完璧すぎる。

 間の取り方も良い、本当に天性の営業職なんだろうな。


「就活は? どこに入社するのか決めたの?」

「同じ会社ですよ? 来年からお世話になりますので、宜しくお願いします」

「ああ、そうなんだ、ふぅん」


 同じ会社かぁ………………え?


「え、同じって、僕の会社と!?」

「はい! お兄ちゃんに負けない様に、バリバリのキャリアウーマン目指します!」

「うはぁ……本当かよ」

「本当ですよ? この前の飲み会で江原さんに誘われて、二つ返事でOK出しちゃいましたから! お兄ちゃんもいますしぃ、琴子さんもいますしぃ、そ・れ・に……高野崎さんもいるじゃないですかぁ。もう来年度が楽しみで楽しみで! 今から何か事件が起きないかワクワクしちゃいます!」


 僕のほっぺをぷにぷにしながら何を言うかと思いきや。

 何か事件って、そうそう起きないから。


 ……いや、事件は起きているな。

 琴子さんと祥子さんのご両親に会わないといけないという、最大の事件が。


「時に質問なんだけどさ」

「はい、なんでもござれですよ?」

「もし、詩さんがお付き合いをして、ご両親にお付き合いしている人を紹介するとしたら、どんなのを望むかな? 例えば和式がいいとか、こんな事を言って欲しいとか、服装とか」


 祥子さんと琴子さんにも聞いたけど、異性の意見は沢山あった方がイイに決まってる。

 詩さんは二人とはまた違う雰囲気だから、新しい発見があるかもって思ったんだけど。


「え、そ、そんな、高野崎さん、気が早いなぁ、もう」

「別に早くない」

「え! そんな肉食系だったんですか⁉ やっはー、さすがの詩もこれは見抜けなかったなぁ」

「何を見抜いたのか知らないけど、意見が欲しいのですが」


 詩さん、三角座りにしていた足をきゅっと胸に寄せて、その中に顔を埋めてしまった。

 んー、やっぱり難しい問題なのかな。


 状況を鑑みるに、優先すべきは祥子さんなのだろう。既に幼稚園経由で僕の家に同棲しているのがバレている以上、顔を合わすのは秒読み段階に等しい。そして現状をありのままに報告するべきだろう、下手な嘘は僕の信頼を一瞬で地の底に落としてしまう。


 信頼とは、築くために長い時間を要するが、無くすときは一瞬だ。

 特に虚はいけない、信用と信頼を秒で無くしてしまう最悪の悪手。


 だからと言って、現状を何の準備も無しに伝えてしまったら、それはそれで大変な事になるのは間違いない。祥子さんのお父さんに殴られるのは前提として、そこから菜穂の存在と琴子さんの存在を明らかにする必要がある。

 

 果たしてどうなってしまうのか。

 皆目見当が付かない。


 だがしかし、自分で選んだ道なのだから、なんとしても切り開かないと。


「……あれ? そういえば何か静かだな。詩さん?」

 

 ついさっきまで横にいたはずの詩さんの姿が、忽然と消えてしまった。

 考えに夢中になり過ぎて、彼女の意見を無視しちゃったのかな。

 

 まぁ、いいか、別に。

 ん? なんか玄関の方から声が聞こえてくるような?


「あー! 祥子さんのお母様ですかぁ! 私、一ノ瀬詩っていいます! 祥子さんとは仲良くさせていただいております! え? お見舞いですか? 今、高野崎さんは眠っておりまして、やっぱり私が看病してあげないとダメかなって思いまして――」


 おいおいおいおいちょっと待てー!!!!!


――――

次話「精神と時の部屋」

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