第52話 退院、そして始まる四人での生活と、しなくてはいけない大事なこと
病院の自動扉が開く度に、熱気が院内に入り込んでくる。
外の熱さは尋常じゃなさそう……でも、この太陽のギラギラした感じがたまらなく好きだ。
夏、七月に入り、ようやく僕は退院する日を迎えることが出来た。
入院した頃は長袖でもうすら寒い感じだったのに、今は半袖一択。
外で待つのは厳しいから、待合室で待機すること五分ちょっと。
「パパー! おむかえきたよー!」
ああ……声を聴いただけでどんな表情で迎えに来ているのかが想像出来てしまう。
服装はどんなのだろうか? 祥子さんと琴子さんの二人で菜穂のコーディネートをしたのだろうから、可愛らしいのは間違いないとして。麦わら帽子は鉄板だよな、上はタンクトップもありか? もしくは可愛らしいトップス、そして下は半ズボンかスカートか。
楽しみにしながら菜穂の声がする方を振り返る。
さてさて、ウチの天使ちゃんの服装は――――ワンピースにレギンス! 可愛い!
「菜穂ー! お迎えありがとうねー!」
「うん、なほ、ちゃんとおうかえきたー!」
……あれ? なんか、ちょっとだけちゃんと喋れるようになってる?
成長したって事なのかな。娘の成長が早い、良い事なんだけど、ちょっと寂しい。
「なんでお迎えに来たのにしょげてるんですか」
ワンピースにレギンスという、菜穂と同じ服装の祥子さん。
親子ペアルックって感じで、微笑ましいし可愛らしい。
「祥子さん……いや、菜穂がちゃんと喋れてるなって思ってさ」
「ああ、それはアレです、毎日私たちと沢山お喋りしてますから、次第にちゃんと喋れていくものなんですよ。会話の基本は両親とのおしゃべりにあります。会話の少ない家庭だと、他の人との会話すら出来ない子になってしまいますからね」
ほほぅ、なるほど。
それはつまり、昔の僕が原因ともいう訳か。反省。
「菜穂ちゃん、幼稚園での出来事を毎日ちゃんとお話ししてくれるんですよ」
こちらはベージュの八分丈パンツに、身体のラインが出るピチッとした半袖姿。
仕事着の時の琴子さんも好きだけど、私服もやっぱり素敵だ。
「琴子さん……会話相手になって頂き、ありがとうございます」
「あはは、いいんですよ、私たちも菜穂ちゃんとのお喋り楽しんでますから。車まわしてきましたから、荷物積んじゃいますね」
退院とはいえ、僕はまだ松葉杖が必要な身だ。
二人がこうして助けに来てくれることに、感謝しかない。
★
「そういえば野芽さんの件、聞きました?」
「健二の? いや、何も」
車を走らせながら、運転していた琴子さんが話題を振ってきた。
実際のところ、あれから健二がどうなったのかなんて、全く分からず仕舞いだ。
「野芽さん、楓原営業所を出入り禁止になったんですよ」
「え、出入り禁止? なんでまた」
「ほら、野芽さんって営業支援に来てたじゃないですか。だけど何の成果も挙げないままでしたので、車載カメラを反対向きにして、江原所長が野芽さんの行動を監視してたらしいんですよね。そうしたら外出の度に誰と会ってたみたいで、もう江原所長カンカンですよ。お前が女に会う為に給料払ってんじゃねえんだ! って、営業所中に響き渡るぐらいに叫んでましたから。多分、来期の人事で課長職も降格なんじゃないかって噂です」
女に会う……か、多分それ、江菜子だろうな。
結局江菜子は慰謝料を払うつもりはない、というか、アイツ的には支払い済みの一点張りで。
まぁ確かに一度は支払ったのは間違いないんだから、もういいやって諦めたけど。
「――んむ」
「ダメですよ、江菜子さんのこと考えたら」
「祥子さん……だからっていきなりキスは」
「だって、お仕事の話は全然分からないし、最近なんか寂しかったので、つい」
猫みたいに甘えてきて、何だか可愛い。
助手席から後部座席に移動した祥子さんは、そのまま隣に着席して微笑む。
「飲み会の日だって仲間外れにされてたみたいで、結構寂しかったんですからね? 菜穂ちゃんを一人にさせられないですから、しょうがないんですけど」
「……じゃあ、今日は久しぶりに家で三人で飲みますか」
とはいえ僕は骨折の治療中なので、主にお茶になっちゃうけど。
この前の飲み会も顔を出しただけで一杯も飲んでないし。
でもまぁ、少しぐらいなら大丈夫、かな?
「あ、もう準備出来てますから。今日は退院パーティですよ」
「ぱぱー! なほもね、かざりつけてつだったんだよー!」
「え、菜穂が飾りつけ!? そっか……記念に写真撮らないとだ!」
チャイルドシートで僕を見る菜穂……本当に僕の娘なのかなってぐらいに可愛い。
天使が生まれてきて本当に良かった。パパ、一生菜穂に尽くすからね。
「写真で思い出しました。俊介さんが入院している間の菜穂ちゃんの記録、沢山残してますからね」
「ほ、本当に!? 見る、全部見る!」
「今日一日じゃ足りないかもしれないです、楽しみにしておいて下さいね」
僕はきっと幸せ者なんだと思う。
普通じゃありえないこの状態なのに、幸せしかないじゃないか。
僕が頑張って、三人全員面倒を見るんだ。
だから一日でも早く身体を治して、現場復帰できるように努力しないと。
★
「さて俊介さん、お酒を飲み始める前に、ちょっと決めたい事があります」
「決めたいこと……? 家事当番とか?」
「松葉杖の俊介さんに、そんなのお願いする訳ないじゃないですか」
ごもっともだ、今の僕に出来ることなんか、何もないに等しい。
現に今だって、椅子に座るだけで精一杯の状況だった。
ご定番となりつつある、菜穂が眠ってからの三人会議。
テーブルの上にはお刺身やお酒が並ぶ中、祥子さんは真剣な表情で語り始める。
「実はですね、私たちって、なんだかんだ言って結構イイ年齢なんですよね」
「イイ年齢って、まだ二十五歳と二十四歳でしょ?」
「そうですよ? よくクリスマスケーキに例えられる女性の年齢のそれです」
「……えっと? 結局のところ、何が決めたいのかな?」
ちょっとの沈黙。
琴子さんに至っては、どことなく眉間にシワを寄せている。
なんだろう、夜の順番だろうか。
それなら入院中に鍛えたあげた自信がある。
足さえ治れば二人同時だってこなせるに違いない。
言い換えれば、足が治るまで待って欲しいって意味なんだけど。
ふしだらな思考回路を巡らせていると、祥子さんからとんでもない言葉が飛び出してきた。
「私たちの、両親に会う日取りです」
どこかピンクな世界を妄想していた僕の脳みそが、一瞬で現実へと引き戻される。
ご、ご両親か、そうだよね、一生一緒なんて言ってるんだから、ご挨拶は必須ですよね。
「どっちが先でも大丈夫なんですけど、このまま黙ってる訳にもいかないんです」
「私たち二人とも引っ越ししちゃったじゃないですか、送った仕送りが戻ってきたとかで、幼稚園にまで連絡がいっちゃったんですよね。で、同棲を承認済みの幼稚園から、私の住まいがバレてしまった訳でして」
同棲を承認済みの幼稚園ってのも凄いところだが、そこからバレるって、あるの?
でも将来、菜穂がそういう状況下にあったら、何がなんでも聞くかな。
んー、相手は実の両親だし、教えることもあるか。
「私の方はまだ両親にバレた訳じゃないんですが……実は、私の実家って名家なんですよね」
しゃなりと肘を抱えながらも、琴子さんは表情を曇らせる。
「俊介さん知ってました? 琴子さんのご実家、あの古河水産らしいですよ?」
「古河水産って……あの、日本全国に店舗がある、あの古河水産?」
古河水産って、漁業素人の僕でも知ってる名前だぞ。
資本金一億、年商四百億とかホームページで見た事ある化け物水産だ。
「ですので、私の方は徹底的に準備してからいかないと、多分大変な事になります」
きゅっと肘を抱える手に力を込めて、不安げにする琴子さんだけど。
いやいや、そんな箱入り娘的な子に、僕は手を出しちゃったわけか。
しかも祥子さんと二人同時という、世間一般じゃ絶対に受け入れられない状況下で。
あ、これ、多分、殺されるパターンだ。
浮気しても殺されるし、このまま愛が実っても殺される。
いや、既に実ってるな。
そしてバッチリ収穫もしている。
「あれですよね、動かぬ証拠でも作っちゃえばいいかなって気もしますよね」
「そう、ですね。二人同時に妊娠とか……俊介さん、どうでしょうか?」
キリっとした表情で言わないで欲しい。
どうでしょうかじゃないよ。
そんなことしたら僕、琴子さんのお父さまの手に掛かってお刺身になっちゃう。
〆る時は痛くしないで下さい、イカのように真っ白になりますので……。
――
次話「暇な女子大生の誘惑と大事件」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます