第51話 話しの落としどころ。
さすがに会社の打ち上げの店は不味いだろうとし、近くの別の店へと入店する。
車椅子の僕が行ける場所なんて限られているから、段差の少ないカラオケ店だ。
「カラオケって、歌でも歌うんすか?」
「そんな訳ないだろ。他の人に聞かれたくもないし、ここなら静かに話が出来る。で、申し訳ないんだが遠越君、席を外してくれないかな?」
「え⁉ 俺、ここまで来て当事者じゃないんすか⁉」
「残念ながらね。ああ、その代わり江原所長に、しばらくしたら戻りますって言伝、お願い出来ないかな?」
「別に、構わないっすけど。……野芽さん、さっきの続き、もしやるんだとしたら俺、容赦しないっすからね」
遠越君の脅し文句に、健二はただ頷くばかり。
こんなに頼りになる男だとは思わなかったな。
この数か月で一番成長したのは、間違いなく遠越君だろう。
遠越君がいなくなり、室内には僕と琴子さん、健二の三人だけになった。
とはいえ琴子さんは僕の後ろにずっと隠れているから、対面しているのは僕と健二のみ。
「なにはともあれ。健二、琴子さんに謝罪しろ」
女性に手を出すなんて、絶対にあってはならない事だ。
男の拳は誰かを守る為にある、それこそ、遠越君のように使わないと。
「……本当に、すいませんでした」
座っていた椅子から下り、両膝を床に付けて額を擦り付ける。
大の大人が土下座までして謝罪する。
それでも、これで許されるのなら安いもんだ。
「琴子さん」
「え? あ、は、はい、私は別に、結局のところ叩かれてませんし。それに、私も言いすぎちゃったかなって部分も多々ありますので……でも、野芽さん。もう二度と、あんな事しないで下さいね」
「天地天命に誓って」
「……ん、もう。分かりました、私の方はこれで良いです」
本当は許したくない、健二は僕の大事な人に手を出そうとしたのだから。
でも、被害届うんぬんの話は、被害者の裁量によって決まる。
琴子さんが許すのならば、もうそれ以上は何も言えない。
「だ、そうだ。良かったな、健二」
許されたとしても、頭を上げるつもりはない、か。
自分自身が許せないのか、僕達の顔を見たくないのか。
どちらにせよ、聞かなくちゃいけない事は沢山ある。
「健二……お前、江菜子に一体いくら支払ったんだ?」
「……なんで、お前がそんな事を俺に聞くんだ」
「頼まれたからだよ、もう勝手に罪を償うのはやめて欲しいってさ」
「…………筑紫か、一体いつの間に」
ここまで語ると、下げっぱなしだった頭を健二はようやく上げた。
疲れた顔をしていて、なんだか以前の健二とは別人のような顔つきだ。
健二は椅子に座ることはせずに、床に正座したまま語り始める。
「俺が、お前達を離婚させたようなものなのだからな、現に江菜子は未だにお前のことを愛している。他の誰が誘っても見向きもせずに、お前に会えるからって、俺の戯言にまで付き合ってくれていたんだ。俊介、お前だってそうだろ? あの場に俺がいなかったら、離婚なんて選択をしなかったはずだ」
僕は馬鹿だったから、単純だったから。
健二の行動全てが、善意だと思い込んでいたんだ。
だけど本当は違う。
あの時から、健二は悪意の塊だった。
「お前達の幸せを壊したのは俺なんだよ、だから償いが必要だった」
「勘違いだよ、それは。自惚れと言ってもいいぐらいだ」
それでも、あの時あの場所で共に戦ってくれた事に関しては、感謝しかない。
「僕達の幸せを壊したのは健二じゃない、浮気をした江菜子と、その相手。それと、家族を放置してしまった僕自身だ。健二が入り込む余地なんて、どこにもないんだよ」
「だが」
「確かに!」
敢えて大きな声で健二の言葉を遮った。
イニシアティブは取らせない、ここは黙って僕の言葉を聞いて欲しい。
「あの時、僕が一人だったら江菜子との離婚を思いとどまったのかもしれない。でもね健二、それは【たられば】の話だ。今の僕は微塵も江菜子との復縁を考えていない。今の僕は――」
背後にいる琴子さんを引き寄せて、健二に見せつける様にキスをした。
突然のキスに驚いたのか、琴子さんは赤面しながら目を白黒させる。
「――、見ての通り、琴子さんに完全に惚れているんだよ。それともう一人、今も家で菜穂と一緒にいる、祥子さんの事も愛している。向井祥子さん、既に知っているんだろう? 病院で江菜子と散々言い争いしたみたいだからね」
「……高野崎、お前」
「酷い言い方に聞こえるかもしれないが、江菜子と僕は完全に終わったんだ。それにいつまでも健二が付き合う必要なんてどこにもない。……それと、先の質問の答えがまだだったね。健二、お前、江菜子にいくら支払ったんだ」
無理やりに唇を奪われた琴子さんは、キスが終わったあと何回か僕の背中をぽかすか叩いてたけど。金銭の話になった途端に、その手を止めて静かに野芽の動向を伺い始める。
「……二百万、江菜子が俊介に支払った金額そのままだ」
「分かった。じゃあこれ、琴子さん、健二に渡してくれる?」
二百万か、筑紫さんが見せてくれた通帳はもっと減ってたけど。
多分、慰謝料の他にいくらか江菜子に資金援助してるんだろうな。
「え、俊介さん、このお金って」
「江菜子からの慰謝料は、江菜子から貰わないと意味がないんだ。ああ、健二、流石に額が額だからな、一筆書いてもらうぞ。それと……加害者ぶって江菜子を甘やかすのも、金輪際止めにするんだ。もう全部知ってるんだよ、江菜子に渡したのは二百万だけじゃないよな?」
口にはしたものの、さすがに、そのお金まで僕は面倒を見ないけど。
他にも、なぜここまで江菜子に執着するのか気になるところではあるが。
返事もないし、もうこれ以上、健二に対して何かを言う必要はない。
僕がすべきことは二人との生活であり、菜穂と一緒にいることだ。
「出ようか、琴子さん」
「あ、でも、用紙は」
「そこは、健二を信用するよ。色々とあったけど、仕事では本当に頼りになる奴だからさ」
渋い顔をした琴子さんだったけど、この場は健二を一人にしてあげた方が良い。
僕が復帰出来ない以上、まだまだ健二には活躍してもらわないといけないからね。
支払いを済ませてからカラオケ店から出ると、琴子さんに押されながら皆がいるであろう居酒屋へと向かった。
実際こうして車椅子で移動すると、バリアフリーのありがたさが身に染みて良く分かる。
段差がないって素晴らしい、小石一つで車椅子って動かなくなるもんな。
「そういえばなんですが」
「うん」
「一ノ瀬さんも、どちらかと言うと俊介さんの敵なんですよね」
「そうっぽいね」
「さっき野芽さんが、祥子さんの事をあちこちに言いふらすって脅して来たんですよね。意味ないって伝えましたけど。もしかして一ノ瀬さん、野芽さんがダメになっちゃったからって、代わりに動いたりとかしませんよね……?」
そんな事まで言ってたのか健二の奴。
やっぱり、遠越君に徹底的にやらせても良かったのかも。
「一ノ瀬君のことなら心配ないさ」
「どうしてですか?」
「僕がここまでどうやって来たと思う?」
「え? 病院から一人でタクシーで……って、結構厳しいですよね。ということは、誰かに押してもらってたんですか?」
「そういうこと、今頃、一ノ瀬君には最強の敵が側にいるんじゃないかな」
★現時点、居酒屋
野芽と古河、遠越の三人が居なくなったというのに、酒の席はよりヒートアップしていた。
原因は一人の乱入者によるものだ、社員の身内ということで急遽参加が許された人物。
「おー! なんだ一ノ瀬の妹飲みっぷりいいなぁ!」
「あははー! ありがとうございますー! 不甲斐ないお兄ちゃんに代わって、私一ノ瀬詩が全部引き受けますからねー! ほらお兄ちゃん、スマホなんかいじってないで、飲んで飲んでー!」
既に詩の前には空になったジョッキが数個並んでいる。
それでもまだまだ余裕とばかりに生ビールを手に取り、兄へと一緒に飲もうと誘うのだ。
「は!? 僕は自分のペースで飲むからいいんだよ! っていうか何で詩がここにいるんだ!」
「いいでしょ別にー! あ、やっだー! 所長さんのグラス空いてるじゃないですかー!」
「おー! 気が利くなぁ! サンキュー! ほれ、チューしてやるぞチュー!」
「きゃー! ほっぺにチューされちゃったぁ! お兄ちゃんもチュー!」
「やめろ! 妹にチューなんかされたって嬉しくもなんともない!」
「お、じゃあアタシなら喜ぶってことか?」
ゆらり、ゆらりと、江原の赤い髪が煌めきを増した。
古来より化け物退治には酒が用いられるという。
ヤマタノオロチしかり、酒呑童子しかり。
酒はその人の正体を暴くのだ。
酒の場は無礼講とは、よく言ったものである。
「しょ、所長? いや、さすがにそれは、ぱ、パパ、パワハラじゃ――――ん、んむ!?」
とりあえず言える事は、今の一ノ瀬達也には、野芽のことなんか微塵も考える余地はないという事だ。野芽に店舗へと戻るよう指示されたものの、近くで見張っていた所を妹である詩に見つかり、なし崩しに結果として酒の席に戻らされ、浴びるように飲み続ける。
翌日、一ノ瀬が目覚めた時には、隣には裸の、赤い髪の女がいたらしい。
その後の一ノ瀬がどうなったのか、詳細は不明だ。
――
「次話 退院、そして始まる四人での生活と、しなくてはいけない大事なこと」
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