第50話 真相の裏

 入院生活の途中、院内でリハビリに苦しんでいた四週目くらいの時だ。

 

「すいません……高野崎さんって、いますか?」


 静かに病室入ってきた一人の女の子の姿があった。

 聞けば、一ノ瀬君の妹さんだと、その子は語る。


「詩さんか……一ノ瀬君にはあまり似てないね。それで、急にどうしたの?」

「あの、先日ちょっと小耳に挟んだというか、興味本位で聞いてしまった事がありまして」


 詩さんが話してくれた内容は、事故の翌日、僕がまだ麻酔から覚める前の出来事だった。

 元妻を名乗る女性が病室まで来て、祥子さんと琴子さんと言い争いをしていたのだと。

 

「結構、凄い声だったので、他の病室の人達も気になっちゃうくらいでして」

「そんな事が……それで、詩さんはそれを僕に教えに来てくれたの?」

「あ、いえ、その話の中で、野芽さんって名前が出てきたんですよね。お兄ちゃんから野芽さんの名前は結構聞いていたので、一応知ってはいたのですが――」


 そこから語られる内容は、僕が知らない、野芽と江菜子の関係性を示すものだった。

 江菜子はどうやら、野芽から僕が入院したと知り、わざわざ足を運んだらしい。


 確かに顔見知りではあるはずだ、離婚調停の場で実際に会っているのだから。

 でも、わざわざ入院しているかどうかを教え合う仲じゃなかったはず。


 しかも、この病室に来た理由も意味不明だ。

 僕や菜穂じゃなく、琴子さんに会いに来ただって?

 

 頭の中がごちゃごちゃになっていると、詩さんがひょんな提案を出してきた。

 

「私、その野芽って人のこと、調べてみましょうか?」

「……え? 調べるって、どうやって?」

「ふっふーん、暇と時間を持て余している貧乏大学生の私を、舐めないで頂きたいですね」


 いきる所じゃない、要は探偵の真似事をして、野芽の後をつけるという事だろう。

 でも詩さんなら、野芽に顔が割られていないし、尾行すれば何か証拠を掴めるかもしれない。

 話しを聞く限りでは野芽におかしな点が多い……試してみる価値はあるかな。


「まいどありー!」

 

 最初から小遣い目的だったのだろうか?

 詩さんは景気の良い声を上げたあと、早速野芽の尾行を開始する。

 

 これが意外に本格的だった。

 

 随時送られてくる野芽のプライベート写真の数々に、僕は舌を巻いた。

 しかも写真を見る限り、野芽が気付いている様子はない。

 芸能ゴシップもこんな感じに撮られるのかな……確かに、普通の女子大生が自分を隠し撮りしているなんて、つゆにも思わない。

 もし思っているのだとしたら、相当な自意識過剰だと苦笑いされて終わりだ。


「……これは?」

「あぁ、その人は野芽の恋人って感じですね」


 砕けた笑顔を野芽に見せるその女性に、僕は見覚えがあった。

 この人は確か……そうだ、琴子さんとアウトレットに出かけた時に、野芽と一緒にいた人だ。

 ショートボブに結構良いスタイルの女性だったから、何となく記憶に残っている。


「どうします? 連絡取ってみます?」

「……え? そんなこと、できるの?」

「だってほら、一応探偵ですから? ああ、でも、高野崎さんの名前を出さないと、さすがに怪しまれちゃうんで、そこだけご了承願いたいんですが……いいですか?」


 そんな程度の事でこの女性と会う事が出来てしまうのかと、疑問に思っていたのだけど。

 思いの他、それはあっさりと実現する事になった。

 僕の名前を出したら、向こうから話がしたいと言ってきたらしい。

 祥子さんと琴子さんがいない時間にセッティングをお願いして、僕は彼女と面会する事に。


皆依里みなより筑紫つくしと申します」

「高野崎俊介です。病室まで来て頂き、誠にありがとうございます。今回来て頂いた理由なのですが」

「……健二さんが、江菜子さんと繋がっている件について、ですよね」


 ぽつり、ぽつりと語りだした皆依里さんの言葉は、僕の知らない健二の姿だった。


「草葉江菜子さんと健二さんは、家が隣同士の幼馴染だったそうです。それはもう、兄妹みたいに仲が良くて、将来は結婚するんじゃないかって、周囲から散々言われていたとか」

「その話は、誰から」

「本人です。余りにも嬉しそうに語るものですから、私の方も疑ってしまったんですけどね」

  

 健二が江菜子のことを語る時は、仏頂面に笑窪が出来る程に、楽し気に語ったのだとか。 

 僕と結婚したと知ってからの健二は、自然と江菜子と距離を置いていたらしい。

  

 その時の僕と健二は、営業戦争真っ只中だった。

 結婚式に呼んだとしても顔が出せるかどうか微妙なぐらいに、毎日が忙しかったんだ。

 

 結局、当時の僕は健二のことを結婚式には呼ばなかった。

 江菜子も呼ばなかったのだけど、きっとそれは僕に引け目を感じていたからだろう。

 幼馴染とはいえ異性を呼ぶのは、結婚式とはいえあまり相応しくないのだと。

  

 だから、僕は二人の関係に気付く事が出来ないままに。

 離婚調停の場という、最悪の再会の場所を設けてしまったんだ。


「江菜子さんの離婚を知った健二さんは、彼女が浮気なんかするはずが無いって、散々にぼやいてました。原因があるとしたら、それは高野崎さん、貴方にあるのだと」

「でも、あの時は健二から沢山のアドバイスを受けて、僕は離婚したのに」

「お気づきになりませんか? 最後まで、健二さんは江菜子さんの味方だったんですよ。貴方と別れさせることが、江菜子さんにとっての最善策だと、そう判断したのですから。こうしてお話してみて感じ取れるのですが、高野崎さんはとても優しい方です。もし健二さんがその場に居なかったら、貴方は江菜子さんの浮気を許していたのではないですか?」


 皆依里さんは、第三者だ。

 だけど、その言葉の全てが的を得ている。

 あの時の僕が江菜子を許すかどうか。


 部屋の中を散らかしながら作成した書類の数々に、嗚咽しながら書き込んだ離婚届。

 いなくなった後も散々泣き散らかして、何も手につかなかった日々。

 美化されていたのかもしれない過去を引きずっていた僕が、江菜子を許すかどうか。


 そんなの、あの時の僕一人だったら。

 …………許してしまうに、決まっているじゃないか。


 健二がいなかったら、僕は今も江菜子と一緒にいた。


 この事実を知っただけで、突然の喉の渇きと、眩暈に襲われてしまう。

 今になってまだ、僕はこんなことで悩んでしまうのか。

 

 そんなの、祥子さんと琴子さんへの裏切り行為にも等しい。

 終わらせないといけない……もう、過去のことなのだから。


「高野崎さん、今日、私がここに来たのには、理由があります」

「理由、ですか」

「はい、健二さんを、江菜子さんの呪縛から開放してあげて下さい」


 江菜子の、呪縛?

 分からないままの表情をしている僕に対して、皆依里さんは通帳を差し出してきた。

 通帳の名義は、野芽健二……健二の通帳か? 


「健二さんは、自分の貯えを江菜子さんにつぎ込んでいるんです。以前この病室に来た日がありましたよね? その日がこれです」


 出金五十万、これは、一度に引き出せる最高限度額だ。

 この日だけじゃない、五十万を数日に分けて繰り返し出金している。

 

「まさか、健二は」

「はい、あの人が支払っているのは、江菜子さんが高野崎さんに支払った慰謝料です。自分が離婚させたんだから、その責任を取るんだって言って……私の意見なんかもう、全然聞いてくれないんです。結婚資金として貯めたはずのお金なのに、どうして赤の他人の慰謝料なんかに」


 皆依里さんが今日僕に会ってくれた一番の理由が、これだと理解出来る。

 彼女も僕を探していたのだろう、大事な人の愚かな行為を止める為に。

 

 とめどなく流れ落ちる彼女の涙を、僕は止める事が出来ないままにいた。

 一緒にいた詩さんだけが彼女の背を摩り、そして宥める。


「出来る限りの事はしてみます。いえ、健二の目を覚まさせてみせます。皆依里さんという大切な人がいるのに……あの馬鹿、一体何をやっているんだ」



★打ち上げ前日★


『なんか野芽が古河の仕事記念に打ち上げしたいって言ってんだけどよ、当日これるか?』

 

 新人の仕事の成功を祝うのは、ごく当たり前のことだ。 

 普通なら何も詮索せずにお祝いするのだけど。

 

 皆依里さんの話を聞いている以上、そのままで終わる様な気がしない。

 それに僕はまだ、江菜子の話を何も聞いていないんだ。


 まだ何も、解決できていない。


「……行きます。病気じゃないんですからね、這ってでも行きますよ」

『お、そうか! じゃあサプライズって事にしておくからな!』

「ありがとうございます、では」


 野芽の馬鹿野郎……アイツの目を一日でも早く覚ましてやらないと。

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