第48話 虎穴に入らずんば虎子を得ず ※古河琴子視点

 重合百貨店の催事も先日終了し、今日は顧客への挨拶だけ。

 そんな時に野芽さんから呼び出された私は、指示された場所へと一人向かった。


「飲み屋さん……打ち上げかな?」


 野芽さんに呼び出されたのは、駅近くの居酒屋さんだった。

 午後五時半、結構早い時間だけど、もう既に季節は夏真っ盛り。

 浴びる様にお酒を飲む人達もいれば、夕涼みを兼ねて飲んでいる人もいたり。

 そろそろ七月だもんね、ビアガーデンとかも俊介さんと行けたら楽しそう。


「おう、古河さん、こっちこっち」


 結構大きめのお座敷には、野芽さんと一ノ瀬さん、それに遠越さんと江原所長の姿まで。 

 見れば、他の席にもウチの会社の人達の姿もあるし。


 こんな状況だと、江菜子さんの話題はふれないかな。

 とりあえず、遠越さんの隣が一番安全と判断。

 これはイコールで野芽さんの隣でもあるんだけど、まぁ良し。


「お、なんだよ古河ぁ、アタシの隣は座れねぇってのか⁉」

「所長の隣は最終的に爆心地になりそうなので、お断りします」


 前々からお話は伺ってますからね、所長は飲み始めると見境なくキス魔になるって。

 そんな人の横なんか、座れるはずがないじゃないですか。

 

「野芽さん、今日はお誘い頂き、本当にありがとうございます」

「お誘いもなにも、これは古河さんへのサプライズ的な慰労を兼ねた打ち上げだよ。なぁに、ウチの新人が頑張ったんだ、打ち上げの一つや二つやってあげないと、商売の神様から怒られちまうってもんさ。おーい! こっち、生追加ねー! って、頼んじゃったけど、古河さんビール平気?」

「大丈夫です、結構これでもお酒強い方なんで」

「お、そうかい、なんだ古河さんも結構いける口だったんだな」


 特に最近は、一緒に毎晩飲む人がいるせいで、更に強くなった気がします。 

 なんて、言えないけど。

 

 祥子さんの存在を知っているのは、遠越さんだけ。

 その遠越さんも俊介さんを思ってか、他の誰にも喋ってはいないみたいだし。

 このまま隠し通させていただこうかな。


「でも寂しいよね、仕事も出来てお酒も強い古河さんが、退職しちゃうなんてさ」


 皮肉めいた感じでものを言うのは、野芽さんを挟んで座る一ノ瀬さんだ。

 彼には喫茶店の時に退職しますって伝えただけで、その後は何も接点がなかったりする。

 けど、遠越さんには伝えてあったのにな。

 二人、意外と仲悪かったりする? 


「そのことなんですけど……江原所長、宜しいでしょうか?」

「んお? ああ、いいぜ。ほれ、これだろ?」


 みんな集まってるんだから、発表するには丁度いい。

 江原所長がバッグから取り出した茶封筒を、人がいっぱいの座敷を一人受け取りに。 


「ありがとうございます、所長」

「ん、アタシは受理しただけだからな」

「処理はしてないって事ですもんね……ふふっ、本当に感謝です」

「高野崎に散々言われてたってのもあるんだよ。まぁいいだろ、ほれ、皆に発表しろや」


 小声で所長とちょっとだけお話して、にひひって二人で笑顔になって。

 上座に立つと、なんだなんだと皆の注目が集まる。


 誰かの前で話しをするのも、もう段々と慣れてきた。

 手にした茶封筒をしっかと持って、この場にいる全員に聞こえるよう話をする。


 これは、今の私から、過去の私へのプレゼンだ。


「えっと……まず、このような場を設けて頂き、誠にありがとうございます。お陰様で重合百貨店様とのお仕事は、本日無事終了する事ができました。途中、担当であった高野崎課長が事故で入院するというハプニングもありましたが、無事最終日を終える事が出来ましたのも、ひとえに皆々様のご協力があっての事だと思います。本当にありがとうございました」


 挨拶を終えてぺこり頭を下げると、周囲から拍手と掛け声が幾つか上がった。

 でも、私の発表はまだこれからが本番、身体を起こして、息を吸って。


「それで、実のところ私、退職するつもりでいました。何人かには既に伝えてあったのですが、退職して、ある人のサポートに回ろうって、そう思っていたのです。ですが、今回のお仕事を無事終える事が出来て、その考え方が変わりました。もちろん、私一人だけではこの考えに辿り付けなかったのだと思います。色々な人に相談して、色々な事があって。結論を申し上げますと、私、古河琴子は、株式会社オプレンティアに残り、これからも頑張って努力していきたいと思います! 最終的な目標は、今この場にはおりませんが、高野崎さんみたいな営業が出来る人になる事です! その為にも、皆々様からのご指導ご鞭撻のほど、なにとぞ宜しくお願いいたします!」


 伝えるべき事は全部言った、後は自分で過去の自分を払拭すべく努力するのみ。

 深くお辞儀をすると、座敷を割れるような拍手と喝采が包み込んだ。

 江原所長も拍手しているし、遠越さんも諸手を上げてお祝いしてくれている。


 けど……そんな中、野芽さんと一ノ瀬さん。

 この二人だけは、その目を細めているのを、私は見逃さなかった。

   

 江菜子さんの一件で何となく把握してたけど、やっぱり、野芽さんは敵なんだ。

 でも、遠越さんから聞いてたけど、甲野課長に私を売り込んだのは野芽さんみたいだし。


 思えば、全部がとんとん拍子過ぎて、違和感すら覚えなかった。

 経理に配属された私が、自分勝手な理由だけで、俊介さんの営業について行けるはずがない。

 既に根回しがされていたと言う事実。 

 甲野課長にもそれとなく聞いたけど、それは間違いじゃなかった。


 一体なんの為に? 私を営業職に戻そうとする為?

 でも、それをするメリットって一体なに?


 分からないことが分からないままでいるのは、個人的に好きじゃない。

 これから戦わなきゃいけない相手でもあるんだ……だから、胸を張って戦おう。


「野芽さん、このあと、お時間頂いても宜しいでしょうか?」


 虎穴に入らずんば虎児を得ず、私は愚直なまでに意見を野芽さんに求める。

 どのような形にしろ、私はもう俊介さんの身内みたいなものなのだから。


 彼に敵対するのなら、私も敵になる。

 例え相手が、どんなに巨大な存在でも。



「んお? 古河の姿がねぇな、遠越、お前どこに行ったか知ってるか?」

「あれ……いや、全然気づかなかったっす」

「んだよ、せっかくサプライズ用意しといてやったのに」

「野芽さんと一ノ瀬の姿も無いっすね……俺、ちょっと探してきますよ」



「すまないね、今は居酒屋でも全面禁煙が当たり前でさ、古河さん、タバコは?」

「吸いません。将来を考えると、吸うメリットを一切感じませんでした」

「女性は特に……か、妊娠したら絶対禁煙だし、その後も考えたら簡単には手が出せないわな」

「あとは、ただ単に給料が安いってのもあるんじゃないんですか? くひひ」


 煙草の席に立つ野芽さんに連れられて、向かった先は店舗外の喫煙コーナー、灰皿が数か所に置かれたこの場所には、数人の男性の他にも女性の姿もあって、ここでなら乱暴とかは無さそうかなと、ちょっと安心。 


 野芽さんの他にも一ノ瀬さんも付いてきて、相も変わらず皮肉めいた言葉を使う。

 詩さんのお兄さんには見えないな、あの子はあんなにしっかりしてるのに。


「ふぅ――――、それで? お話ってどんな内容で?」

「それは……あの、一ノ瀬さんは外して貰えませんでしょうか? プライベートな内容でして、あまり聞かれて欲しくない内容なんです」


 僕? みたいに自分の顔を指差しした一ノ瀬さん。

 野芽さんが顎でクイッとやると、へいへいと言いながら店舗へと戻ってくれた。

 

「ありがとうございます……早速ですが野芽さん、高野崎さんの元奥さんである、江菜子さんのこと、ご存じですよね?」

「ああ、知ってるよ。離婚調停の場で同席させて貰ったからな」

「なら、高野崎さんとの離婚の理由もご存じなはずですよね? なのになんで、野芽さんは江菜子さんに高野崎さんが入院している病院を教えてしまったのですか? あの時は偶然、たまたま菜穂ちゃんも高野崎さんも眠っていたから何事もなく終わりましたけど、もし起きていたら」

「麻酔が効いてるんだ、起きるはずがないだろう?」


 煙を吐きながら、他の吸い殻で沢山の灰皿へとタバコを押し込む。


「それにしても、あの場に向かわせるのは非常識です。江菜子さんは菜穂ちゃんに対するDVの疑いだってあったんですよ? 場合によっては接近禁止命令だってあり得る状況なのに、なんで野芽さんは」

「江菜子がDVなんかするはずないだろうがッ」


 あの時と同じ目、暗く濁った瞳。

 相手の言葉を遮り、他の論議を許さなくする。

 

『古河、お前、高野崎をどうしたいと思ってる?』


 とても威圧的で、私じゃこんな人と戦えないって、以前なら諦めた相手。

 ……だけど、今の私なら、諦めないで立ち向かえる。

 逃げ出すよりも、戦うことを選択すべきだって、祥子さんが教えてくれたから。

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