第47話 新しい『父ひとり、娘ひとりに、母二人』※古河琴子視点
俊介さんの退院が週明けの月曜日に決まったと、祥子さんから弾む声で連絡が入った。
ちぇ、どうせなら私が一緒に聞きたかったのに。
でも、当番制みたいな感じで回してたから、しょうがないかな。
「いま、この催事場って入れるのかしら?」
「あ、はい、展示品によっては非常に高価な物もございますので、触れる際は係の者にお声がけ頂くよう、宜しくお願い致します。本日が最終日となっております、この機会を逃さぬよう、十分に吟味して頂ければ幸いです」
私と俊介さんとで受注してきた重合百貨店での催事の仕事も、既に最終日だ。
何もかも初めての事がいっぱいで、周囲の人達に沢山迷惑を掛けちゃったけど。
でも、それでも自分の力で成し遂げた事が、本当に嬉しい。
「古河さん、撤収の業者が既に待機してるみたいっす」
「遠越さん、ありがとうございます。あとは現場監督さんが指示してくれますから、私達がする事はほとんどないと思います。遠越さんもお疲れ様でしたね、後の撤収作業は私に任せて大丈夫ですので、先にあがって下さい」
俊介さんから聞いたけど、遠越さん、入院二日目の日に再度病室に行って、その場で俊介さんに土下座したらしい。相当に焦ったって俊介さん言ってたけど、でも、心の底からの謝罪を邪険になんて出来ないよね。
根っこは良い人なんだろうな。
喫茶店に呼び出した時も、遠越さんだけは静かだったもんね。
一ノ瀬さんは、ちょっと怖かったけど。
「了解っす……なんか、寂しくなるっすね」
「寂しく? なんでですか?」
「だって、この仕事終わったら退職するって、前に言ってたじゃないっすか。俺、古河さんともっと沢山仕事したかったっすよ。高野崎さんからも沢山学ぼうとは思うんすけど、一番最初に間違いに気付かせてくれたのは古河さんっすから……やっぱり、俺的に退職は」
「しないですけど?」
被せるように返事をしたら、遠越さんきょとんとしてる。
「え? だって、退職して高野崎さんのとこに行くって」
遠越さんの疑問ももっともだ、確かに数週間前まで、私はそのつもりだったのだから。
でも、私の考え方は変わってしまった。
あの日、祥子さんから二人だけで話しがしたいって言われた、あの日の晩に。
★入院初日の夜★
「考え方を変えて欲しいって、どういう意味ですか」
菜穂ちゃんを寝かしつけた後、私は祥子さんの意見に棘のある態度で返していた。
入院初日のどたばたを終えて、ようやく落ち着こうとした矢先のこと。
「じっくりとでもイイんだけど、俊介さんを元の職場に戻してっていうの、そこの部分どうにかならないかなって」
「なりませんよ? でも、言いたい事は理解できます。菜穂ちゃんと離れるのは俊介さんとしては本望ではないでしょうし、菜穂ちゃんとしても俊介さんと離れるのはきっと嫌に決まっています」
「でしょ? それが分かっているのなら、話は早いと思うんだけど」
今日の俊介さんと菜穂ちゃんを見れば、誰だって理解出来る。
離れたくない、心配させたくない、その気持ちは痛いほど理解出来るけど。
私はソファーに座りながら、伸ばしていた足を組んで祥子さんを見やる。
「分かっていても、です。私の中の俊介さんは常に輝いているんです。誰にも負けない、他の追随を許さないままにトップを突き進む俊介さん……彼には、そういう場所の方が似合ってるって、そう思いませんか?」
「でも、それで俊介さんは一度失敗してるんだよ?」
「それは江菜子さんが悪いんです、俊介さんは何も悪くありません」
その為に、今こうして私がこの家にいるんじゃない。
俊介さんを心配させないために、菜穂ちゃんが寂しがらない為に。
頑として譲らない、まさに水掛け論。
その為に辞表を提出したし、準備だってしてるんだ。
ここまで語ると、祥子さんは声のトーンを少しだけ下げる。
目を伏せて、胸元に握った拳はどこか寂し気な印象のまま口を開いたんだ。
「……じゃあさ、聞くけど」
「どうぞ? 何を言われても変わらないと思いますけど」
「琴子さんはさ、俊介さんがもし退職したとしても、一緒に居たいって思う?」
退職? 俊介さんが? そんな選択肢、彼が選ぶはずがないじゃない。
実際に働いている俊介さんを知らないから言える言葉なんだ。
私は短いながらに間近で見てきた、本社にいた時も、営業所に移った時も。
あの人から仕事を奪ったら、何も残らないじゃない。
そんな俊介さんを愛せるかどうかで言ったら、愛せないにきま――――あれ?
私……愛せないの? 俊介さんのことを?
それは、違うと、思う。
「私はね、どんな俊介さんでも、愛し抜く自信があるよ。なんでここまで惚れちゃったのか、自分でも良く分からないんだけど。でも、今回の事故の時に心の底から思ったの。生きてて良かったって。もしこのまま彼が動けなくなったとしても、二度と仕事が出来ない身体になったとしても、私はそれでも俊介さんの側に居たい。一緒に笑っていたい。……琴子さんは、違うの?」
どくんって、心が揺れる感じがする。
今回の事故で、場合によっては俊介さんは亡くなっていた可能性だってあるんだ。
運が良かっただけ、それでも骨折しているのだから、後遺症だって残るかもしれないのに。
私はまだ、自分のワガママを俊介さんに押し付けようとしてるの?
散々言われていた言葉なのに、
もう、失敗したくない。
私が、一番俊介さんを理解できる人だったんじゃないの?
沢山の失敗をし続けた私こそが、誰よりも理解しなくちゃダメだったのに。
なのに、私は自分の理想像を勝手に押し付けて、ずっと迷惑を掛け続けてきて。
人として何も成長していないのは、私――
「琴子さん、私ね、思うんだ。彼は主夫になるべきなんじゃないかなって」
「主夫……ですか?」
「うん、私も一応教職だしさ、それなりに稼いではいるから。だから、私が稼ぎ頭になって、彼には家を守って貰おうかなって、そんな事まで考えてたりするんだ」
エプロンを着けて菜穂ちゃんを抱っこした俊介さんが、おかえりって言う。
結構、様になってそうって、思わず笑いそうになっちゃった。
「なんですかそれ、俊介さんを主夫になんて……勿体ないですよ」
「勿体ないなんて、そんなの誰が決めたの? それを言うなら、琴子さんの退職の方が勿体ないんじゃない? 今日会った遠越さんだっけ? 彼だって言ってたじゃない。初めて一緒に仕事する琴子さんに挨拶がしたかったって。普通そんなの思わないよ? 遠越さんから言わせたら、琴子さんが退職する事だって、勿体ないって言うに決まってるよ?」
「そんな事ないんです、私は逃げちゃったダメな人間ですから……。失敗ばっかりしちゃって、反省しても反省しても同じ様な失敗を繰り返しちゃって、それで結果が異動命令だったんですから、本当、救いようがないんですよ」
印刷ミスだとか、アポイントのミスだとか、迷子とか。
いま思い出しても泣きたくなるくらいに、私はミスを繰り返したんだ。
失敗しない様に焦っちゃって、どんなにやってもやり足りなくて。
「人間なんだから、失敗くらいするでしょ?」
「……そんな、軽く言わないで下さいよ」
「軽く言うよ? 私なんて上げたらキリがないもん。俊介さんだってきっとそうよ? 失敗しない人間なんていないの。でもね、今の琴子さんなら、昔出来なかった事も、ちょっとは出来るようになってるんじゃないかな」
昔出来なかった事が、今は出来るようになっている。
初めての受注に、初めての資料作成。
顧客の笑顔を間近に感じられたのも、全部が初めてだった。
「どう? 思い当たる節、あったりしない?」
「……ありました、けど。でも、俊介さんいたから」
「今はいないよ? これからしばらくはいない。俊介さんがいない状態で、今の仕事乗り越えられるかどうか。それが終わってからの判断でも良いんじゃないかな? それでもし今の仕事が上手くいったら、さっきの話、検討してみてよ」
「さっきのって、俊介さんを主夫にする事ですか?」
「うん、俊介さんってママがいて、菜穂ちゃんがいて……たまに私と琴子さんがパパになったり、ママになったりするの」
「なんですかそれ……父ひとり、娘ひとりに、母二人って感じですか?」
俊介さんがママか、ふふっ、何だか似合いそう。
心配性だし、家事とか精一杯頑張っちゃってたし。
「あはは、それそれ、そんな感じ。楽しそうじゃない? なんだかんだで私達仲良いし」
「仲が良いのは認めますけど……でも、それは俊介さんが納得するかどうか」
「そこは納得させるのよ、私達二人掛かりでさ」
「ふふっ、俊介さん、驚いちゃいますね」
「それには先ず、もっと惚れさせないとかなぁ、お見舞いの時の服装とか――」
止まらない祥子さんの話に、私はただ笑顔で頷くばかりで。
俊介さんを輝かせるんじゃなくて、私がもう一度輝く未来。
そんなのも、俊介さんなら受け入れてくれるのかな……受け入れて、くれるよね。
だって、私達が愛した人なんだから。
★現在★
「ありがとうございました、今回は本当に勉強になりました」
「いやいや、私達としても本当にありがたかったです。急な営業だったかもしれませんが、オプレンティアさんが声を上げてくれてなかったらと思うと……また、宜しくお願いしますね」
俊介さん、私、一人でもやり遂げられたよ。
ううん、一人じゃない、遠越さんや他の人達の協力もあっての事だけど。
でも、私……もっと、頑張れそうな気がする。
報告しないと、えっと、俊介さんの連絡先は――って、野芽さんから着信?
なんだろう……そういえば、野芽さんにも幾つか聞きたい事があったんだった。
江菜子さんの口から、なんで野芽さんの名前が出てきたのか。
一人で行っても大丈夫かな……大丈夫、だよね。
同じ会社の上司なんだから。
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