第43話 最善の答え

 頭が痛い、どこかずっとぼんやりする。

 どこにいるんだ僕は? 確か、僕は車を運転していたはず。


 そうだ、僕は運転していたんだ、そして事故を起こしてしまった。

 遠越君はどうなったんだ、僕が運ばなきゃいけない機材は。


 重い、瞼がこんなにも重く感じるなんて生まれて始めてだ。 

 眠ったというよりも、時間が飛んだ感じ。

 とても気持ちが悪い、横になっているのにふらつく感じがする。 


 眉間を震わせながらゆっくりと瞼を開けると、ぼんやりと周囲の景色が見えてきた。

 白い天井に、白い布団、ベッドにいるのか。

 他には――


「いっ、つ……」


 ――首を動かそうとしたら、物凄い激痛がした。

 しかも、曲がらないように首に何かついてるのか?

 足も動かないし、胸も痛いし。

 一体、僕はどうなっているんだ。


「……あ、あ! 俊介さん! 琴子さん、俊介さんが目を覚ましましたよ! 分かりますか!? 私、向井祥子です! 分かりますか!? あ、口も切れてますから! 動かすのは目だけで大丈夫ですからね!」


 ぼんやりとした視界に映るのは、祥子さん、かな。


「大丈夫、だよ。少し、くらいなら、喋れる、から」

「ダメですよ、無理しちゃダメです。良かった……本当に良かった」


 僕の手を握り、額に当てる。

 震える手、落ちる涙。

 いつもの僕なら、起き上がって気丈に振舞えるのだけど……どうやら、無理らしい。

 

「俊介さん」

「琴子さん、も」

「はい、ずっと側にいました。安心して下さい。まだ麻酔が抜けたばかりですから……沢山休んで大丈夫ですからね。仕事の方は野芽さんが代わりに片付けたそうです、それに遠越さんも無事です。俊介さんが助けてくれたんだって、何回もお礼してましたよ」


 助けたというよりも、僕の不注意が原因だろうに。

 そっか、色々と鮮明に思い出してきたけど、遠越君は無事か……良かった。


「俊介さんが起きたら連絡欲しいって、野芽さんも遠越さんも言ってましたけど、さすがに今日は止めておきますね。あと一時間もしたら私たちも病室を出ないとですし」

「……スマホで、会話ぐらい、なら。出来そう、だけど」

「ダメです、無理しないで下さい。それよりもほら、菜穂ちゃんにも声掛けてあげて下さい。昨日心配でロクに眠れなかったのか、ずっと手を握って眠ってたんですからね?」


 菜穂? 確かに手を握られている感触はあったけど、菜穂がこんなに静かにしてるなんて思わなかった。いつもなら僕がどんな状態でも「ぱぱ!」って飛び込んでくるのに。


 起き上がることも首を動かすことも出来ないから、目だけを胸の方へと向けると。

 ははっ、本当に菜穂がいた。

 まん丸な瞳を大きく開いて、じぃーっと僕を見てる。


「菜穂」


 頬の力を抜いて、菜穂の名を呼ぶ。

 僕の最愛の娘、いまの僕は、菜穂の為だけに生きていたい。

 そう思い、名を呼んだ菜穂だったのだけど。 


「ぱぱ、ぱぱ……ぱぱっ、ぱ、ぱ、ひっぐ、うぇ、うええぇ、うええええぇぇっ!」


 僕の手を握って、それでも優しい菜穂は、包帯が巻かれている場所は触らないように泣いた。

 普段、僕の前じゃ泣かない菜穂の号泣に、ただただ焦るばかりで。

 どうしていいかも分からないままでいると、祥子さんが僕の手を菜穂の頭に乗せる。


「撫でてあげて下さい。お父さんの手には、安心が詰まっているんですから」


 安心……菜穂は今日、父である僕が居なくなってしまうかもしれないという、最大の恐怖と戦っていたんだ。母を失い、父である僕までいなくなってしまったら、菜穂は一体どうなる? たった一人で、見知らぬ土地で生きていかないといけなくなるんだ。

 

 父のぬくもりも、母のぬくもりも知らないままに。 

 まだ四歳の娘の菜穂が、たった一人で。


「ごめん、ごめんな、菜穂」


 守らないといけないのに、一体僕は何をしてきたんだ。

 菜穂を泣かせないために、精一杯生きないといけないのに。

 僕は、咄嗟の判断で自分の命を捨ててしまえる、愚かな男なんだ。

  

「なほねぇ、こわかったの、うえええええぇ! ぱぱ! しんじゃ! うええええぇぇ!」

「そう、だよぁ、ごめんな、ぱぱ、もう、大丈夫だから、もう、菜穂のこと、一人にしないから」

「うぅ、やぐぞぐなの、ぜったい、やぐぞぐなのぉ! なほ、なほも、いいごに、ずるから!」

 

 止まらない涙は、ここが病室だとか、迷惑だとか、そんな思いを亡失させる。

 後悔しかなかった、最愛の娘に、最大の恐怖を与えてしまった。

 痛いくらいに菜穂を思い、そして涙する。

 もう二度と、菜穂を泣かすまいと誓った、あの日の様に。



「それじゃあ、また明日来ますからね」

「あり、がとう、仕事の、方は?」

「口を動かすとまた痛みますよ、指は動くんですから、まとめてメールで返事くださいね。ちなみに、祥子さんは明後日の月曜から一週間有休を使うそうです。私も入れ替わりで有休を使って、俊介さんのお見舞いに来ますからね。必要なものとかあったらメール下さいね……それと」


 琴子さんはベッドで横になっている僕に近づくと、触れる程度に唇を重ねる。

 潤んだ瞳で僕のことを優しく包むようにハグをした後、もう一度。


「本当に、無事で良かったです。俊介さん」

「……うん」

「えっと……」

「……?」

「…………やっぱり、退院したらにします。愛してますからね、俊介さん」


 一体、何を言おうとしたんだろう?

 それにしても琴子さんから愛してるって、初めて言われたような。


 廊下からぱたぱたと菜穂の歩く音と、祥子さんの足音が聞こえてくると、琴子さんは残念そうな表情をして僕から離れる。 


「トイレ終わりましたよ、琴子さんもどうですか?」

「あ、はい、じゃあ私もちょっと外しますね」


 入れ替わりで、今度は祥子さんが僕の横に座った。

 菜穂もトイレにいき「あー! しゅっきりしあー!」と叫んだ後は、スマホ動画にかぶり付きだ。


「……なんだか、今日の祥子さん、綺麗ですね」

「え? そんなこと、ないですよ?」


 白基調の柄ものワンピースに、耳にも大きなイヤリング。

 口紅もラメが少し入っているのか、キラキラとした唇をしているじゃないか。 

 服装も普段着ではなく、ピンクの袖がついたプリーツドレスまで着込んでいて。

 どこかのパーティでも行ったのかな? 

 といった服装をした祥子さんは、そっぽを向いて頬をぽりぽりと。


「ふへへ、でも、ありがとうございます。私、俊介さんから褒められるの、一番好きです」

「僕、の方こそ、ありが、とう。菜穂、のこと、おねがい、します、ね」

「はい、大丈夫です。痛そうですから……あまり喋らないで下さいね。あ、でも、俊介さん」

「……?」

「キス、とか、しても平気ですか?」


 ついさっきしたばかり、とは言えない。

 痛まないように静かに頷くと、祥子さんは遠慮がちに僕の唇に触れる。


「良かった、また、キスが出来ました」

「……そう、だね」

「ずっと、ずーっとしたいです。菜穂ちゃんだけじゃない、私だって俊介さん居なくなったら泣きますからね? 菜穂ちゃん以上に泣きますからね? 今だってかなり抑えてるんですからね? 分かってますか俊介さん?」

「あは、はは、うん、わかってる、よ」

「分かってないです、うぅ……もっと分からせてやりたいです」


 でも、我慢しますって言いながら、祥子さんは先ほどと同じように、優しく唇を重ねた。

 良い香りだ、祥子さんの頬の香りは、どこか安心する感じがする。 


「あ、そろそろ琴子さん戻ってきそう……さみしいな。お泊り出来たら良かったのに」

「そう、だね」


 もしこの部屋の空いてるベッドを使っていいって言われたら、間違いなく全員お泊りだ。

 そうなったら毎晩楽しいんだろうな、でも、全員僕のベッドに入ってきそうな気もする。

 一つのベッドに四人とか、想像しただけで大変そうだ。


「ふっ、ふふ」

「なにか、面白い事でもあったんですか?」

「いや、なんでも」

「そうですか、でも、本当に……元気そうで良かった」


 ぎゅっと抱きしめたあと、最後は菜穂の頬にもキスをして、三人は病室を後にする。

 去り際の二人の目が涙に潤んでいたのを見て、僕はもう一度心の底から反省をするんだ。


 考えないといけない。

 ここまで僕のことを思ってくれる二人に対して。

 最善の答えを。



「琴子さん、帰ったら少しだけ時間を頂けますか?」

「いいですけど、何でしょうか?」

「これからについて、です」

「……分かりました、菜穂ちゃん寝かしてからなら、いくらでも」

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