第41話 エンカウント(向井祥子視点)

「失礼しまーっす。遠越さーん、可愛い妹分がお見舞いに……って、え、す、すいません、その方お亡くなりになったんですか? まだ若いのに、ご愁傷様です」


 ショートカットのその子は、薄手のシャツにオーバーオールという幼さが残るファッションをしながらも、どこか大人びた春風の様な爽やかさと共に入室してきた。


 最初は、この子は一体何を言っているの? とも思ったけど、ボロボロに泣いている私と琴子さんを見れば、それもしょうがない事なのかな? と思い直す。しかも、菜穂ちゃんも手を握って突っ伏す様に眠っているから、傍から見たらご臨終の状態かもしれない。


「バカ、高野崎さんは死んでねぇから。不吉なこと言うな」

「ごめん、だってそうにしか見えなかったから」


 正直な子なんだなって思うのと同時に、ちょっとだけ笑いがこみ上げて来ちゃった。

 いや、さすがにご臨終は酷い、怒ってもいいぐらいなんだけど、俊介さんは無事だし。

 

「遠越さん、その子は?」

「ああ、古河さんはお初だったかな。一ノ瀬の妹の、一ノ瀬詩ちゃんだよ」

「詩です、さっきは失礼な事を言ってしまい、本当にすみませんでした」


 ぺこり頭を下げる、一ノ瀬さんという方の妹の詩さん。

 うん、ごめんなさい、誰だかさっぱりです。


「祥子さんが分からないって顔しているので、補足です。一ノ瀬さんも私の先輩にあたる人でして、どうやらこのお二人は既にお知り合いの様ですね。初めまして詩さん、私、古河琴子と申します」

「わわ、ご丁寧にありがとうございます。一ノ瀬詩です、大学生やってます」

「あ、じゃあ私も……向井祥子と申します、楓原幼稚園の先生やってます」

「え! 幼稚園の先生さんなんですか⁉ すごーい! じゃあ、ピアノとかも弾けたり!?」

「弾けて歌えないと、幼稚園教諭試験に合格しないですから」

「そうなんだ、じゃあ詩には無理だなぁ。詩はボーカル専門だからなぁ……っていうか、その幼稚園の先生さんが、どうしてこの場所に? どのようなご関係で?」


 はう、そうだよね、気になるよね。 

 琴子さんは職場の同僚だし、菜穂ちゃんは娘さんだし。

 

「ご関係と言われると……その」


 なんて言うのが正解なんだろう? 内縁の妻? なんて言ったら後で俊介さんに怒られそうだし、押しかけ女房が一番ピッタリなのかもだけど、なんかそれヤダ。

 あ、思えば私だけ一番関係性薄いんだ。

 え、うそ、どうしよう、凄い嫌な事に気付いちゃった。

  

「別に、もう遠越さんにバレてるんですから、隠す必要ないじゃないですか。詩さん、私達二人して、高野崎さんに惚れちゃった口なんですよ。それで、二人一緒に同棲生活している所です」


 おぉ……すごい、琴子さん思いっきり暴露してる。

 

「二人一緒に同棲……え? ルームシェアみたいな?」

「それとは違うわね。だってあの部屋2LDKですもの」

「寝る部屋も一つ、食事をする部屋も一つ……かな」 

「え、え? え⁉ それって、それって夜とかヤバくないですか⁉ だって常に3――」

「おい詩、あまり調子乗るな。大人なんだから、それぐらい分かってんだろ」

 

 分からないで下さい。

 残念な事に俊介さん、貞操概念高いのか、一度も抱かれた事ありません。

 でも……普通に考えたらそうよね、なんで手を出さないのかな。

 もう最悪、日替わりでもイイって思っちゃう時だってあるのに。


「そんな事、結婚前にする訳ないじゃないですか、はしたない。ねぇ祥子さん?」

「…………え? あ、はぁ…………え? もしかして、琴子さん、男性経験」

「ある訳ないじゃないですか。未婚ですよ?」

 

 おうっふ、今時こんな子いたんだー! 貞操概念バカ高い人達ばかりだなおい!

 あ、いけない、私だけ穢れた感じがしちゃって、何か、ダメだ。

 そりゃあね、高校生の時とか大学生の時とかさ、色々あったからさぁ……うぅ。

 でも、俊介さんはバツイチな訳だから、きっと理解してくれるよね。うん。

 

「はぇ……凄い、世の中こんな人達もいるんだね。でもま、お兄ちゃんが一生勝てないって言ってた人だもんね。顔立ちもいいし、頭いいんだろうし、優しそうだし。詩も結構ちょろいからなぁ、誘われたらにゃんにゃんしちゃいそう」

「冗談でもやめとけ詩、今その人に絡もうとしたら、火傷じゃすまねぇぞ」

「え? ……あ、あはは、冗談ですからね、お二人とも。冗談冗談、そんなマジな顔しないで下さいよぉ!」


 え? そんな顔してた? 一瞬でも敵になるのかと思ったら、即で臨戦態勢入っちゃった。


 若さじゃ絶対に勝てないから、極力近づいて欲しくないって思っちゃう辺り、既に負けを認めてるようなものなのよね。他は負けてるとは思わないけど……でも、俊介さん、若い子が好きとかだったら、ああダメ、変な妄想はダメだからね。


 僅かな間の後、琴子さんの顔をまじまじと眺め始めた詩さん。

 思っていた以上にぐーっと近づいて、それでも見続ける。


「……なんですか? なにか付いてますか?」 

「いや、琴子さんの掛けてるその眼鏡って、伊達メガネなんじゃないんですか?」

「そうですけど……あ、ちょっと」

「えへへ、ちょっと拝借。どう? 遠越さん、似合う?」

「お前なぁ、さっきから遠慮って言葉知らねぇのかよ?」

「知ってるよ? でもさ、いつまでも辛気臭いのってじゃん」


 琴子さんの眼鏡を掛けて、ピースサインしてる詩さんだけど。

 知らなかったな、琴子さんのって伊達メガネだったんだ。


「詩思うんだけど、琴子さんってそんなに可愛いのに、なんで伊達メガネを掛けてるんですか? 外してる方が絶対、百パーセント可愛いですよ?」


 それは私も思った。

 家だと外してるけど、外出する時は付けてるんだよね、あのメガネ。 

 弱視なのかなって思ってたけど、伊達メガネならそれはないか。

  

「メガネ掛けてる方が、男性から誘われなくていいんです」

「あ、そういうこと。無駄なお誘いはノーサンキュー、みたいな?」

「ええ、そうですね。ですので、返して頂けますか?」

「もったいないと思うけどなぁ……はい、ありがと」


 返してもらったメガネを、速攻でかけ直す琴子さん。

 貞操概念っていうか、防御力高い子なんだなぁ。

 そんな子を一途に思わせちゃう俊介さんも、罪な男ね。


「ちなみに遠越さん、遠越さんは検査入院終わったんでしょ?」

「そうだな、高野崎さんのお陰で、軽傷だけで済んだからな」

「じゃあ、そろそろお暇しません? 私達いてもお邪魔な感じですし」


 詩さん、お見舞いにというか、お迎えに来た感じだったのかな。

 検査入院といえど、荷物は多いもんね。

 一ノ瀬さんや家族の方じゃなくて、詩さんが来るって事は……いや、それは考え過ぎかな。

 

「出来たら、高野崎さん起きるまで居たかったっすけど、確か――」

「麻酔が切れるのは夕方だと聞いていますね、もちろん、私達はここに居ますけど」

「俺達がそこまで残ってても、しょうがないか。古河さん、高野崎さん起きたら俺のスマホに連絡下さい。バイクかっ飛ばしてきますんで」


 すっくと立ちあがり、二人は深く頭を垂れる。

 高野崎さんの周りにいる人たちって、イイ人ばかりなんだろうな。

 私はまだ見た事ないけど、野芽って人もきっとイイ人に違いない。

 どんな人なんだろ、ふふっ、会うのが楽しみになってきちゃった。


 会う……あれ? 今日って何かする日じゃなかったっけ?

 大切な何かを忘れているような?


「随分と賑やかな病室で、どこの宴会会場かと思っちゃったわ」


 遠越さん達と入れ替わりで病室に入ってきたその人。

 きちっと肩口で揃えたワンレングスに、斜めにカットした前髪。

 そこから覗く細い瞳に、少し高い鼻、そして紫色の口紅。

 ネイビーカラーのレース入りのトップスに、同じ色のスカート。


 病院に似つかわしくないドレスコーデのその人は、ヒールの音を立てながらこちらへと近づいてきた。琴子さんはまた、俊介さんの知り合いだと思っているのだろう。立ち上がり会釈をして、挨拶を交わそうとしている……けど、私はこの人を知っている。


「あら、祥子先生じゃないですか。どうしてこんな所に?」


 旧姓、高野崎江菜子。

 俊介さんの、元奥さんだ。

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