第40話 ずっと変わらない、大好きな人(向井祥子視点)

「…………大腿骨顆上骨折、ええっと、膝の上の部分、太ももの骨折になるのですが、こちらが膝関節まで及んでいました。事故による骨折の場合、比較的多いんですよね。手術を行い、いま高野崎さんの大腿骨はプレートにて固定されております。可能なら明日からリハビリを行いますが、体重を掛けられる様になるには、大体、六週間から八週間といったところでしょうか」


 恰幅の良いお医者様が、自身の太もも辺りを指し示しながら教えてくれた。

 ホワイトボードにはレントゲン写真も貼られていてるのだけれど、何だか現実味のないそれよりも、お医者様が実際に指差ししてくれが方が、より肉薄していて説得力が高い。


 あんな場所の骨折なんて、想像も出来ない。

 大体、大腿骨ってかなり太いんじゃないの? それが折れるって……俊介さん、可哀想。


「それで、俊介さんは歩けるようになるのでしょうか……?」

「まだ何とも言えませんが、後遺症が多く残る部位の骨折だとは、伝えておきます」


 こういう場合、多分、絶対に治るとかは言わないんだろうな。

 治るって言いましたよね!? って訴える人がいる以上、常に最悪を想定しないとダメ。

 だけど逆を言えば、絶対に治らないという訳ではないんだ。

 治療不可の場合、その時は、容赦なく伝えてくるのだろうから。


 希望はある、きっと俊介さんは元の身体に戻れる時が来るんだ。 

 お医者様が面談室から退出するのを見送り、私は菜穂ちゃんと琴子さんが待つ病室へと向かった。


 本当は琴子さんも一緒に説明を聞きたかったのだろう。

 けど、菜穂ちゃんを一人になんてさせられない。

 じっと何かしていられないだろうし、菜穂ちゃんも俊介さんから離れたくないだろうし。



「とのことでして、約一ヶ月はこのまま入院だそうです。その後、退院してリハビリ施設に通うか、リハビリ専門病院に転院するか決めるそうですよ。俊介さんの場合、頸椎捻挫もありますから、本当なら転院がいいんでしょうけど」

「そっか……そこは、俊介さんの身体の事だから、本人に決めて貰った方が良さそうですね」

「ですね。それと……あの、そちらの方は?」


 当たり前の様に、琴子さんの隣に座るスーツ姿の男性。

 見ると所々に絆創膏を貼っているけど、おおむね元気そうだ。

 

 私が質問するなり、彼は立ち上がって深くお辞儀をする。

 あ、頭も怪我してるんだって気付いて、何となく察した。


「俺、高野崎さんの部下の遠越忍って言います。事故の当時、助手席にいました。今回は本当に、すいませんでした」

「すいませんでしたって……え? だって、この事故は」


 琴子さんが職場の野芽さんって人から聞いた話では、俊介さんの前方不注意に伴う急ブレーキが要因の一つだったはず。もちろん、車間距離をとらずに追突したトラックの方が悪いに決まってるけど。


「違うんです、本当なら、こんな事故は起こらなかったはずなんです。俺がガキみたいに高野崎さんに突っかかって、それを気にしてくれて、気を、使ってくれて。あの高野崎さんが前方不注意なんかするはずがないんっすよ。誰よりも運転が上手なんだって、課内でも有名なんすから……それなのに、俺が馬鹿なせいで」


 沈むように語る遠越さん。

 本当なら、微笑んじゃいけないんだけど。

 なぜだか俊介さんの運転が上手いって部分が、妙に納得できてしまって。

 

「ふふふっ」


 気づけば、声にだして笑ってしまったんだ。

 遠越さんが真剣にしてるのに、ダメだよねって思うんだけど。

 そう思えば思う程、我慢が出来なくなる。


「あの」

「ふふっ。あ、あの、ごめんなさい。悪気はなかったんだけど、つい」

「ああ、大丈夫ですよこの人、笑いの沸点がよく分からない人ですから」


 琴子さんに突っ込まれて、何ですかそれはって言いかけて、止まる。

 ふぅ、ようやく落ち着けた。


「そんな事があったんですか……でも、それでもハンドルを握っていたのは僕だからって、多分、俊介さんならそう言いますよ」

「ね、間違いなくそう言います。付け加えて、仕事の方はどうなった? 菜穂は? って、他の人の心配ばっかりするに決まってます。俊介さんは、そういう人ですから」


 まだベッドで眠る俊介さんを見ながら言葉にすると、何だか想像出来ちゃって。

 やっぱり、それでもまた微笑んでしまう私がいる。

 大変だけど、今ここにいる事が嬉しい。

 

「……それで?」

「……え?」

「その、突っかかった内容って?」


 どうせなら聞いてしまおう。

 そう思って、俊介さんの手を握りながら眠る菜穂ちゃんの横に座って、遠越さんへと視線を送る。 


 多分、今の私の表情は、きっと意地悪な顔だ。

 言いづらかったから、言わなったのであろうその理由。

 黙ったまま見ていると、琴子さんが軽くため息をついた。


「遠越さん、私の職場の一個上の先輩なんですけど。どうやら、私の後を付けてきてたみたいでして」

「え? それって?」

「ち、違うっすからね!? 俺はそんな下心なんて――」


 大声を出そうとした遠越さんに、二人で「しー!」って静かにするよう促す。

 いきなり大声を出す辺り、逆効果だと思うんだけど?

 菜穂ちゃんは眠ったままだし、俊介さんもまだ麻酔から覚めてない。良かった。


「すんません……俺、古河さんと一緒に仕事するの初めてだったんで、挨拶しとこうかなって思ったんです。だけど、何でか緊張しちゃって。挨拶出来ないままでいたら、古河さん、駅とは反対方向に進んでいくから、つい」

「……補足しますと、今週から私と遠越さんの二人で、重合百貨店のお仕事をする様になりまして。ですから、遠越さんが言っているのは先週の話。それで、後を付けた遠越さんは、私が俊介さんの家に入って行くのを見て、驚いてしまったと。そもそも驚くって何ですか? 枕営業でもしてると思ったんですか?」

「そこまでは……いや、それも思ってた」

「呆れた、そんなのする訳ないじゃないですか」


 あまり知らない俊介さんの会社での出来事。

 そんな部外者の私だって、俊介さんが枕営業なんかしないって思うけど。

 そもそも、枕営業なんて本当に成立するものなの?

 やった事ないし、しようとも思わないけど。

 リスクバカ高いと思うけどな。


「他にも、経理の甲野課長とかも絡んでるって聞いて、出来レースだったのかって、そう思っちまったんですよ。考えれば考える程、段々とイライラが募っちまって……本当に、すんませんでした」

「だから、そんな謝らなくても」

「謝らないといけないんっす。だって、追突の直前、高野崎さんは助手席が前の車に当たらない様に、ハンドルを左に思いっきり切ったんすから……そんなん、普通できないっすよ」


 なんとなく、事故の瞬間が目の前に浮かんだ。 

 普通、運転席よりも、助手席の被害が大きくなるんだって、どこかで聞いた事がある。

 咄嗟の判断、自分の命が掛かった瞬間に、自分の身を守ろうとするのは、当然のことだ。

 だけど、俊介さんはそんな時でも、隣にいる人を想ったんだ。

 自分が犠牲になる事で、誰かを助けたい。

 それは、ずっと変わらない俊介さんであり、私が大好きな俊介さんそのもの。


「ハンカチ、使う?」

「……え? あ、ごめん、なさい」


 ぼろぼろと零れ落ちる涙。

 なによ、琴子さんも泣いてるじゃない。

 だって、想えば想うほど、大好きになっていくんだから。 

 しょうがないよね。


 だから、私たちで守ってあげないとなんだ。

 この無鉄砲な、だけど勇敢な、大好きな人を。



「南山桜総合病院……ここに俊介さんが入院しているのね」

「ええ、ただ、まだ麻酔から覚めてないと思いますよ? 江原所長の話だと、多分夕方になるんじゃないかって話ですから。かくいう俺も、部下からの電話で起こされたクチでしてね。まだまだ眠りたりないんですよ……なので、帰りはタクシーで大丈夫ですか? ……江菜子さん」

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