第38話 ライバル(野芽健二視点)
『野芽、お前にも一応と思ってな』
「分かりました、まさか高野崎が事故を起こすなんて……機材や支援状態はどうなんですか?」
『全部おしゃかだよ。まぁ、保険には入っちゃいるから、そこら辺は大丈夫だけどな』
「いや、現場の方ですよ。二人とも行けないとなると、誰かが行かないとでしょう?」
『そこなんだが……野芽、行けるか?』
「最初からそのつもりでしたよ。既に準備は出来てます」
『頼むわ、アタシは今から病院行かないとだからさ』
珍しい事もあるもんだ、あの俊介が交通事故を起こすとはな。
遠越の奴、何かしでかしたんじゃないだろうな?
「……今から仕事?」
「ああ、俊介が事故を起こしたんだとさ」
「俊介って……この前、買い物の時に会った人?」
「そうだよ、アイツの尻拭いを俺がする日が来るなんて、想像もしてなかったけどな」
ベッドに裸で横になっている女へと、軽いキスをする。
金曜の夜に筑紫と過ごすことが、今の俺の唯一の楽しみでもあったってのに。
昔ならなんでもとっかえひっかえしていたが、そんな楽しみ方が出来るほど若くはない。
本当、これからだったってのに、俊介の野郎、全く野暮なもんだ。
それでも、汗がワイシャツにへばりつく感じがぬぐえやしないまま、無理に袖を通す。
「いっつも彼の話題だよね……健二の方が全部素敵だと、私は思うな」
火照った身体そのままに背後から腕を回すと、筑紫は豊満な身体を俺にぎゅっと押し合てた。
本当ならまだまだこれから、夜は始まったばかりだったんだ。
筑紫の手の甲にキスをして、肌触りの良い彼女の腕に頬を寄せる。
「ありがとうな、俺にはお前がいれば、それでいい」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃないさ、この仕事が終わったら続きを楽しもう。それじゃ、もう行かないと」
「……うん、いってらっしゃい」
囁くように別れを告げると、俺と筑紫はもう一度だけ深く唇を重ねた。
扇情的な表情のままの筑紫を置いていくのは、何だか心惹かれる思いだが。
致し方ない、物事には選択しなくてはいけない事象が幾つか発生してしまうもの。
車を走らせ、俺は俊介と遠越の二人が向かったであろうレンタル屋から再度機材を借り受け、その足で所沢の現場へとトラックを走らせる。
ものの小一時間もしないで現場へと到着すると、待機させていた若い連中が殺到し、あっという間に機材を持っていっちまった。
本当なら、これぐらいで済むはずの仕事だったんだ。
事故の時間まで高速道路にいたって事は、大渋滞にでも巻き込まれでもしたか。
「……深夜一時、か」
レンタル屋にトラックを返した後、自分の車の中で時計を眺める。
家には俺の帰りを待っている恋人の筑紫がいる。
多分、まだベッドの中だろう。
だが、申し訳ないが今日は、他を当たらせてもらうとするか。
俊介のバカがどんな事故を起こしたのか、少々気になるしな。
★
「まさか、本当に来るとはね」
「一応、同僚ですからね。はい、手土産ですよ」
「おお、甘いのが沢山、ありがてぇ」
「声を聞いた感じ、所長疲れてるなって思いましたもんでね。甘いの好きでしょ?」
聞くだけ無駄だったかな。
渡した瞬間に開封してシュークリームにかぶりついてんだから、いつも通りの江原さんだ。
夜間外来とはいえ、待たされる時は平時の待合場所を使わさせてもらえるらしい。
誰もいない病院の無駄に広いロビーは、それだけで薄ら寒い感じがしてくる。
大量にある椅子の一つに座り、そんな感情を払拭すべく大きく足を組んだ。
「なんだよ、隣座ればいいじゃねぇか」
「別に、隣に座らなくてもいいでしょう? こんなに空いてるんですから」
「そりゃそうだけどよ……ち、誰もアタシを女として見ねぇな」
見られたいんなら、そういう風に振る舞えばいい。
申し訳ないが、雑食の俺でも
食べたら最後、二度と離れなくなりそうで怖い。
「しかし、こんな場所に一人で何時間いたんですか?」
「別に、ずっといた訳じゃねぇよ。警察とかも行ったしな」
「そうでしたか、それで? 渦中の二人は?」
「遠越は大した事ねぇよ。今は寝てるみたいだけどな」
「……俊介は?」
小さな口に大きなシュークリームを無理に突っ込んだ江原さんは、口をもぐもぐさせたままバッグの中からメモ帳を取り出すと、俺に「読め」と差し出してきた。
走り書きされたそのメモ帳に書かれていた内容は、医学に詳しくない俺から見ても、あまり芳しい内容ではなかった。多分、聞きながら手が震えてたんだろうな、江原さんにしちゃぐちゃぐちゃな字だ。
でも、そのせいで事の重大さが嫌でも伝わってくる。
「……ちなみに、聞いてませんでしたが、どんな事故だったんですか?」
「後ろからのトラックの追突事故だな。でも、直前で高野崎が急ブレーキをかけたらしい。ブレーキ自体は間に合ったみたいなんだが、後続のトラックが間に合わなかったんだとよ。この前、直したばかりのドライブレコーダーがちゃんと仕事してくれたわ」
これがその映像だって手渡されたスマホには、事故の直前の映像がきちんと保存されていた。
おそらく、ドライブレコーダーのデータをコピーしたものだろう。
音声まで録音されてんのか……なんだよ、随分と楽しそうに会話してんじゃねぇか。
遠越の奴と打ち解けてたんだな、さすがは俊介だよ。
このまま綺麗にいけば良かったのに、なんでこんな事になっちまってんだか。
「過失割合的には後続車の方が大きいんだが、どうなるかまでは分からねぇな」
「……命があれば、後はどうにかなるでしょう。それよりも、俊介の娘さんは?」
「そこなんだよなぁ……野芽、お前にだけは打ち明けるけどよ。古河いるだろ?」
「えぇ、経理の女の子ですよね。以前、高野崎一家と出かけているのを見た事があります」
「お? なんだ知ってんなら話が早ええや。あの子いま高野崎と同棲しててよ、その子に面倒みて貰うしかねぇかなって思うんだけど……。お前、他に解決策あると思うか?」
他の解決策? 他なんてあるはずないだろう。
個人的には、これを機に古河と正式に結婚してもらうのが一番良い。
アイツだってそれを望むだろうし、俊介だって古河さんなら満更でもないはずだ。
「いや、同棲までは聞いてませんでしたが。そうでしたか、それならばそれが一番良いと思いますよ。早速連絡入れましょうか?」
「……さすがに時間がな。命に別状はねぇって事だから、明日の朝でも大丈夫だろ」
「分かりました。江原所長はどうしますか?」
「アタシはこのまま、高野崎の手術が終わるまで待ち続けるよ」
結構な大手術だろうに、このままだと朝までコースなんじゃないか?
それに付き合う必要はないな……それとは別に、連絡しなくてはいけない相手もいる。
「では、私は一仕事も終えましたし、どうやら命に別状はないとの事ですので、これで失礼させて頂きます。高野崎が目を覚ましたら、メールの一つでも寄こすように伝えておいて下さい」
「わぁった、高野崎にもよぉっく言っておく。……本当に助かった、ありがとな、野芽」
見上げるようにして目を細める江原所長に、一瞬だけ心奪われそうになる。
危うく、
こんなのを筑紫に知られたら、たまったもんじゃないぜ。
会釈だけでその場を去り、今も戦っているであろう俊介へと心の中でエールを送る。
心配なんざしてないがな。
アイツは殺しても死なない、タフな野郎だ。
……そうだろ? 俊介。
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