第37話 氷解
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
※35話の続きになります
――
「しかも、他の女も一緒ですよね?」
動かない高速道路の車内で響く彼の声は、いつにもなく大きかった。
感情の起伏、それが要因だとしたら、あまり良い傾向ではない。
努めて冷静に、どこまでも静かでいる事も、営業の必須スキルなのだから。
「それが、君の言いたい内容かい? 僕が女性二人と同居している事に対して、腹を立てていると?」
「認めるんすね。まぁ、認めざるを得ないと思うっすけど」
「ああ認めるさ、彼女達には色々と手伝って貰っているからね」
「手伝うって……随分とゲスイじゃないっすか」
まぁそうだろうね、離婚した男の家に女性二人が入り浸っていたら、そういう思考回路になってしまうのは致し方ない事だ。
「何をしているかはご想像にお任せするけど、公私混同をするのは良くないね。大人の付き合い方っていうのがあるんじゃないかな? それともアレかい? 遠越君は古河さんの事が好き――」
「んなんじゃねぇよッ! 下らねぇこと言ってんじゃねぇッ!」
だから大声を出さないで欲しいんだが……びっくりしてハンドル切りそうになったよ。
てっきり恋愛感情からくる嫉妬かと予想したけど、違うのか。
「じゃあ聞くけど、一体何に対してそんなに怒りを感じているのさ? 黙っていたら分からないし、言ってくれないとどう対処してイイのかも分からない。僕は君の上司でもあるんだ、出来る事ならなんだってする……だから、教えてくれないか? 遠越君のその怒りの
あまり良い手ではないとは思う。
怒っている人に対して、怒っている理由を聞くなんて、火に油を注ぐのと同じようなものだ。
本来の対処法としては、怒っている人からは逃げるのが正しい。
距離を取り、落ち着いてから理由を聞くのが、一番良いのだけれど。
しばらくの沈黙の後、遠越君はぼそぼそと語り始める。
僕はそれを聞き逃さないよう、ハンドルを握りながらもしっかと聞き耳を立てた。
「俺は、最近になってようやく、あの営業所が好きになってきてたんだ。ここで頑張れば、俺だってもっと上に行けるんじゃねぇのかって、そんな気がしてたんだよ。だけど蓋を開けてみりゃ、結局古河さんは裏でアンタと繋がっていやがった。江原所長だってそうだ、突然アンタの名前を出して、俺の知らない所でこそこそ何かしていやがるんだ」
江原所長が僕の名前を? それは初耳だけどな。
「裏を取ってみりゃ、野芽さんも裏で動いてたみたいだしよ。古河さんがアンタと初めて一緒に営業に行ったあの日だって、野芽さんが経理課の
……なんだろう、僕の知らない何かがある。
だけど、今はそれを気にする場合じゃないな。
「野芽と甲野課長の件は知らないけど、古河さんは元々本社営業部の人間だったからね。きっかけさえあれば誰かと行きたかったんだと思うよ。それは多分、僕じゃなくても良かったはずだ。もっと前から遠越君が動いていれば、きっと古河さんは君と一緒に」
「違う、アンタは何も分かっちゃいねぇ」
食い気味に否定され、僕は口をつぐむ。
「古河さんはアンタだから動いたんだ。古河さんだけじゃねぇ、野芽さんだってアンタの為に動いてんだよ。ただ、あの人の場合は色々とあるみてぇだけどさ……。結局、俺じゃねぇんだよ。この会社に必要とされてるのは、俺や一ノ瀬みたいな落ちこぼれじゃなくって、アンタみたいな優秀な人間だけなんだ。元々そうするつもりだったけどさ、アンタ、一応俺の上司なんだろ?」
「一応じゃない、れっきとした上司だ」
「じゃあよ、通告義務って奴だ。俺、今回の重合百貨店の仕事が終わったら、退職すっから」
遠越君の退職。
少し前の僕なら、それを「分かった」の言葉一つで受け入れたと思う。
だけど、今は心がざわつく。
ようやく芽を出し始めた若葉を、そんなにも簡単に見捨てても良いものなのか。
「イベントが終わるのも一か月後だしよ、ちょうどいいよな」
「……古河さんが悲しむぞ」
「別に、人の女に悲しまれたって、何とも思いませんよ。大体、古河さんだって退職するんでしょ? 本人から聞いてますよ。その時は理由は教えてくれませんでしたけどね。アンタの家に入っていく彼女を見て、なんとなく察する事が出来ましたけど」
僕じゃ止める事は出来ない……か。
いや、遠越君の退職は僕が原因なのだろう。
そもそも、彼を止めること自体、間違いなのかもしれない。
目をつむり、すぅっと深呼吸をして、閉じていた目を開く。
諦めも肝心かな、本当なら仲良くやりたかったけど。
「……分かった。最後まで、古河さんのサポート、宜しく頼むよ」
「そこはさっき言ってた、大人の付き合いって奴っすよね。了解っす。じゃあって訳じゃないんすけど、俺からも一つ。他の人に古河さんの件を言わないって事で、約束して貰ってもいいっすか?」
それまでとは態度を崩し、遠越君はイタズラそうに笑いながら、人差し指を立てる。
いつまでも張り詰めた空気じゃ僕だって身が持たない。
動き出した車列に合わせてアクセルを踏み込みながら、彼の約束へと耳を傾ける。
「俺のこと、一ノ瀬の奴には言わないでおいて下さい。多分アイツのことだから、一緒に辞めるって躍起になっちまうと思うんっすよね。でも、一ノ瀬は本当ならもっと出来る奴なんです。野芽さんが特に可愛がってるの知ってますよね? アイツは俺とは違って、もっと上までいける。それこそ、こんな営業所で燻っててイイ奴じゃないんですよ」
最後になって、友達のことを思う……か。
琴子さんの言った通り、遠越君は本来ならもっと伸びる人材だったのかもしれない。
僕の目もまだまだ節穴ってことだ。
目の前の実績しか見てなかったせいで、優秀な人材を一人失うなんて。
本当、まだまだだ。
「……そうなの? 申し訳ないけど、僕にはそうは見えないんだけど」
「お、それが本音っすね? やっぱりアンタ、俺達の事そういう目で見てたんじゃないっすか」
「だってしょうがないじゃないか、僕が見てる限り君達が仕事してるの見たことないよ? 隙あらばパソコンでソリティアしてるし」
「え、それ、気づいてたんすか!?」
「あれ、全部履歴残ってるから。会社のパソコンで遊んでたら、そりゃ筒抜けに決まってるさ」
「マジっすか!? はは、俺よく今までクビにならなかったっすね!」
「会社も二十五歳までは色々と大目に見るんだよ。そのくらいまでは自分たちだって遊び優先だっただろって、理解できるからね。遠越君たちは、ちょうど転換期でもあったんだ。これから厳しい指導が始まる……だからじゃないかな、江原所長が君に仕事を回したのは」
「……へぇ、そんなのがあるんすね。最後に勉強になりましたわ」
「まだ一か月あるんだろ? 容赦なくみっちりとしごいてやるよ」
「はは、マジっすか。退職しちまうんだから、意味ねぇっすよ」
「君の人生において意味の無いことなんてないさ。ちょうどいい、この仕事が終わったら今日は家に来るといい。色々と誤解してるみたいだから、教育がてら現状ママを見せてあげるよ」
家に来れば、僕の置かれている状況が理解できるだろうさ。
祥子さんと琴子さんに連絡入れてあげないとかな。
そういえば、菜穂のお迎えはどうなったんだろう?
あの二人なら上手くやってると思うけど、何か連絡は――
「あい、アンタ、前!」
――
「俊介さん、帰ってこないなぁ」
「明日交流面会なのに……ダメですね、スマホも繋がらないです」
「運転中だったら多分俊介さん、電源切るよね」
「あは、分かります。絶対俊介さんなら電源切ってますよね」
「そういう生真面目な人なんだよね、ほんと」
「……もうちょっとだけ、待ちましょうか」
「そうですね、もうちょっとだけ……」
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