第35話 アンタ……同棲してますよね?

 仕事に追われる一週間が何とか終わろうとしている。

 嬉しい報告もあった。


 琴子さんの受注してきた仕事を遠越も手伝うようになり、彼女いわく、意外と遠越さんは出来る人かもしれませんとの評価が飛び出してきたのだ。


 これは僕からしたら予想外の事であり、琴子さんの退職を止められない以上、彼を次なる主戦力として迎える事が可能になるのなら、諸手を挙げて歓迎したいのだが。


「……なんすか、近寄らないで下さい。俺、アンタのこと嫌いなんで」


 想像以上の完全拒否。

 どうやら、僕は自分が思っていた以上に、遠越君に嫌われていたらしい。 

 自業自得だ、僕は当初彼の事を見捨て、琴子さんを斡旋しようと考えていたのだから。

 実はイイ人でした、なんて気づいた段階で手のひら返しをしても遅いのだろう。


 本当なら、このまま琴子さん主導の下で遠越君を育て上げて欲しいのだけど。

 彼女、退職しちゃうんだよなぁ。

 琴子さんの退職が相当な痛手になりそうだと、再度江原所長に打診するも。

 所長は所長で考えがあるのか、僕の話には聞く耳もたず。


 残るは一ノ瀬君だけど。

 彼は遠越君以上に僕の事が嫌いなのか、見ようともしないし挨拶に返事すらしない。

 健二には懐いてるみたいだけど、健二は人を育てようとはしないタイプだし。


 なんか最近、ため息が多くなった気がする。


 ため息と言えば、幼稚園でも同じ雰囲気を感じる。

 疎外感かな、預かり先生たちの目がやたら厳しい感じがするし。

 周囲のお母さま方からも、挨拶をしても返事が返って来なくなった気がする。

 やっぱり、シングルファザーってだけで、偏見の目で見られちゃうものなのかな。


「お、マジか。あー! 高野崎ちょい待って! 帰るのちょい待ち!」

 

 帰り支度を開始したところに、江原所長の甲高い声が営業所に鳴り響く。

 時刻は夕方の四時五十七分、あと三分で僕は退勤するつもり満々なのだけど。


「他現場の奴ら機材破損しちまったんだと! もう誰も動けねぇみたいでよ! レンタル屋には連絡してあっから、高野崎いまから遠越と二人で車出せねぇか!?」

「は……? 僕はこれから娘のお迎えに行かないとなのですが」

「わぁってるよ! だけど今動けるのお前らしかいねーんだ! 分かんだろ!?」


 分かんだろと言われたら、分かる。

 機材トラブルが発生した場合、契約不履行になってしまう可能性だってあるんだ。

 そしてこの慌てよう、音響機材か照明関係、イベントに直結する不具合という事だろう。 


「高野崎さん」


 名を呼ばれ振り返ると、帰り支度を終えた琴子さんの姿が。

 お団子にした髪をほどき、ウェーブがかった髪をそのままにおろす。

 元々美人なのは百も承知だけど、仕事から解放された琴子さんはまた魅力的だ。

 そんな彼女が僕の側にとことこと近づくと、他には聞こえない様に耳打ちする。


「菜穂ちゃんのお迎え、私行きますから」

「え……でも」

「大丈夫ですよ、祥子さんに連絡入れて頂ければ。もう、ある意味知った仲ですし」


 知った仲か、確かに一緒に住んでいるのだから、そうかもしれないけど。

 状況は理解できる、社の事を考えれば、それぐらいはした方がイイ……か。

 

「……じゃあ、お願い出来るかな? 先方祥子さんには僕からも連絡しておくから」

「はい、かしこまりです」


 ぴっと敬礼した笑顔の琴子さん、可愛い。

 さて、なら急ぐかな。

 壁に掛かっている社用車の鍵を回収して、帳簿に僕の名前を記入する。 

 いったん車でレンタル会社へと向かい、そこで機材を積んだトラックに乗り換えて現場直行。

 帰り支度は済んでいたから、皮肉なことにすぐさま僕は出れる。

 

「遠越君、車玄関に回しておくから、準備宜しくね」

「…………うぃっす」


 眉根を寄せたままの彼はなんていうか、今風なのかな。

 常時睨まれてるこの状況。

 もしかしたら江原所長はこれを改善しろって意味を込めて僕を選んだのかも。

 会社で人間関係こじらせたら、異動以外、逃げ場ないもんな。

 

『そうですか……分かりました、でも、今回限りですからね』

「祥子さんありがとう、無理言ってごめんね」

『いえ、お仕事も大事ですから。本当なら私が菜穂ちゃんと帰ればいいのでしょうけど、それも難しいですもんね。受け渡しは私が直接やりますから、安心して下さい』


 良かった、祥子さんもこれでOKだ。

 祥子さんから直接菜穂を琴子さんに預けて貰えれば、問題は起きずに済むはず。

 二人の厚意に甘えた形にはなってしまうけど、本当に助かる。 


 ……でも、これっきりにしよう。

 断りきれないのは、僕の悪い癖だ。

 会社員だから、給料貰ってるからって、僕は会社の言いなりになってしまう。

 言い訳にもならない理由を冒頭につけて他をないがしろにしてしまう、それを繰り返した結果が、江菜子との離婚の要因の一つでもあると、今なら分かるから。



 会話がない。

 社用車の時は会話がなくとも距離が遠かったから、まだ何とかなっていた。

 今は既に機材を積んだ二トン車に乗り換え、助手席とも呼べる場所に遠越君は座っている。

 トラックのシートはフラットである事が多く、また乗用車と比べて狭い造りが多い。

 つまりは近いのだ、僕と遠越君は一つのベンチシートに掛ける友人の様な距離で座っている。 

 なのに、一言も会話が発生しない。

 遠越君は窓辺に頬杖をつき、渋滞に巻き込まれ動かなくなった背景を延々と眺め続けている。 

 僕もハンドルを人差し指でとんとん叩きながら、運転席の窓に映る遠越君を見続ける。


 会話が無いこと自体には慣れているつもりだ。

 商談においては間が大切な時だってある。

 無駄に語るのではなく、相手が思慮を巡らせている時は黙る。 

 沈黙は金、雄弁は銀、まさにこの言葉通りだ。


 だが、今はその時じゃない。

 遠越君との不仲を少しでも解消しないといけないんだ。

 彼は将来この営業所のトッププレイヤーになる可能性だってある。

 僕はその時、遠越君の良き理解者になっていないといけない。

 だから、語らう必要があるのに。


「最近、調子いいみたいだね」

「……うっす」

「重合百貨店にもちょくちょく顔出ししてるんだよね? どう? 百貨店のバックヤードとか、結構緊張しない?」

「……別に」

「それにしても今回は急だったよね。しかも場所が所沢って、この時間の下道とかかなり混むから、帰りは遅くなっちゃうよね」

「……っすね」


 語らえない。

 全部単語で返って来る。

 そういえば……こんな状態、新人教育の教材に書いてあったな。


 上司が新人とコミュニケーションを取りたいがために色々と話題をふるけど、相手からしたら上司とはそういった会話は望んでいないのだから、その全てが反感に変わっている状態である。だったかな。こういった場合は無駄に語らずに、沈黙している方がいいってあったけど。 


 それじゃ、何も変わらないんだよな。

 多分、このまま遠越君は僕と会話するつもり無さそうだし。

 

 しょうがない、ラジオでも流して、この息が詰まりそうな空気を少しでも緩和させるか。

 えっと、ラジオのつまみはどれかな? FMでも適当に流しておけば多少は……え?


 僕がラジオを付けた瞬間、遠越君は即でラジオを消してしまった。

 エンジン音だけの車内で、遠越君はまたしても外を見ながら頬杖を突き始める。 

 

 ラジオも許せないってことか、僕と二人だけの空間に極少の楽しいすらいらないと。

 ふつふつと、僕に似つかわしくない感情がせり上がってくるのを、深呼吸と共に飲み込む。

 

「ため息とか……チッ、うぜぇな」


 下げたばかりの溜飲が、即でこみあげてきた。 

 相も変わらず動かない高速道路ならぬ低速道路、隣には不機嫌を露わにした後輩。

 出がけに琴子さんから貰ったお茶は、既に空っぽだ。

 本当なら菜穂と過ごすはずの時間だったのに……恨みますよ、江原所長。

 

「分かった、遠越君、意味のない会話はもう止めるよ」

「……あぁ?」

「このままの雰囲気で客先に行っても、場合によっては迷惑をかけるだけになってしまう。面倒なのは無しだ、率直に聞く。遠越君は、僕の何がそんなに気に入らないの?」


 琴子さんを連れて営業に行った事なら、あれは元より僕の計画には無かった事だ。

 お願いされ、そのまま連れて行ったに過ぎない。

 その前に買い物に付き合ってくれた恩義もあった、無碍には出来ないし、するつもりもない。


 赴任してからロクすっぽ遠越君と一ノ瀬君に声を掛けなかった事を恨んでいるのだとしたら、それだって別に率先してする事ではないと思っていた。


 先輩が後輩の機嫌を伺ってどうする? 僕からしたら逆だって不要だ。

 気になる事があれば聞けばいいし、教えて欲しければ質問すればいい。

 どちらも無かったのだから、その場合、僕と言う人間は敢えて触れようともしない。

 その努力はゴマすりであり、依怙贔屓に繋がる悪手だ。


 怒りは不要、理由を聞き、解決策を見出す。 

 遠越君が何を考えているのかなんて、僕にはわからない。

 そんな超能力なんてあったら、もっと成果を出しているさ。


「じゃあ、聞きますけど」

「ああ、何でも聞いてくれ」

「アンタ、古河さんと同棲してますよね?」


 ……………………はっ、いけない、高速道路で運転してるのに、一瞬我を忘れた。

 ちょ、ちょちょ、ちょっと待て、何でよりにもよって遠越君にバレてるんだ。

 それまでとは違う無言の空気、だけど僕の心臓はバクバクとエンジンよりも早く動いている。 

 落ち着け、落ち着くんだ高野崎俊介、まだ大丈夫、まだ大丈夫だ。

 

「しかも、他の女も一緒ですよね?」


 目が点になるってこういう状況の事を言うんだって、初めて知った。

 それまでの理知的な思考回路が爆発してどこかに吹っ飛んでいくのを、額から頬へと流れ落ちる大量の脂汗が教えてくれる。

 彼の怒りの理由は僕の想像の範疇外にあったのか、ならどんなに会話しようとしても無駄に決まってる。というか、この状況下は予想もしていなかった。最悪、琴子さんだけならいい、琴子さんが僕と同居しているのは、江原所長も知ってのことなのだから。

 

 でも、祥子さんはダメだ、祥子さんまで同居しているのは、まだ会社の誰も知らない。

 というか、知られたらいけないんだ、絶対に不純だし、道徳精神の欠片もない。

 

 僕は、会話がないことには慣れていんたんだ。 

 間が大切だとも知っていた、だけど……こんなの知らない。

 違う! 違うの! って叫びたくなるこの感情。

 理解出来てしまうのは、何故だろうか。

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