第32話 三人の回答

「会わせるのは反対です。私は俊介さんの元奥さんをほとんどご存じありませんが、俊介さんを見捨てて他の男の所に行った最低な女としか理解できません。それ以上の情報は必要ないでしょうし、それ以上知りたいとも思いません」

「私も会わせるのは反対です。ご近所の方から菜穂ちゃんが怒鳴られていたというのも聞いていますし、俊介さんにも先日お話しましたよね……菜穂ちゃん、ママが怖いって泣いてたって。お預かり先生の中でも江菜子さんの評判は凄く悪かったです。うん、やっぱり、やめておきましょう。その方が良いですよ、俊介さん」


 これは、江菜子の手紙を二人へと見せた感想だ。

 二人とも会わせない方がイイと言っている、当然だろう。

 もちろん僕もそのつもりだ。


 菜穂の寝かしつけが終わり、寝間着姿で三人、江菜子の手紙を取り囲む。

 やっぱりそうだとは思っていたけど、後押しして貰えるのは、やはり心強い。


「二人ともありがとう。だけど、この手紙が来た以上、完全に無視する事は出来ないと思うんだ。面会交流を申し込んだのに何も返事が来ないとなると、江菜子だって黙ってはいないだろうし……最悪、菜穂を狙って何か悪さをする可能性だってある」

「え、江菜子さんってそんな感じの人なんですか?」

「感情的になっているとね、そんな感じだよ。離婚協議の時も、弁護士さんの他に健二も同席してくれていたから何とかなった様なものの、一対一だったらどうなっていた事か。文面だけ見ると、そんな感じには受け取れないかもしれないけどね」


 文面だけ読み取れば、静かな部屋で一人反省している様に読み取れる。

 反省し、愛娘である菜穂との面会を希望する、純粋な母親。


 だけど、当時を知る僕からすると、この文章ですら嘘なんじゃないかと勘繰ってしまう。

 江菜子が菜穂を見る時の目は、明らかに邪魔もの扱いする、最低な母親の目だった。


 僕の事を睨む江菜子の目もそうだ。

 反省のはの字もせず、親の仇のように僕を見る彼女の目を、僕は生涯忘れる事はないだろう。

 

「じゃあ、俊介さんも手紙を出す……とか?」

「いや、僕は江菜子に会おうと思っている」

「会うって、さっき一対一じゃどうなるか分からないって言ってたじゃないですか」

「うん、でも、手紙を出したとしても、その返事を待つ時間が怖い。考える時間を与えてしまう事が、江菜子にとってどういう結果を招くのか。どちらにしたって菜穂には会わせられないんだ、江菜子が聞きたくない内容になってしまうのだから、だったら、直接引導を渡した方がいい。納得なんか、到底出来るはずがないんだからね」


 どう転んでも江菜子の事だ、納得なんかしない。

 場合によっては、その場で泣き叫ぶ可能性だってある。

 泣き叫ぶで済めばいい、最悪はどこまで考え尽くしていても想定しきれない。

 

「じゃあ、それを撮影とか、録音とかしておいた方が良さそうですね」

「そうだね、証拠にもなるし、江菜子の悪い印象を出来る限り残しておいた方がイイと思う」

「よし……俊介さん、その協議の席に私も同席します」

 

 大きな胸をドンと叩いて、祥子さんが決意新たな瞳で僕を見る。 

 

「そういう場には第三者が居た方がイイと思うんです。幼稚園の先生として護身術も習っていますし、江菜子さん一人にだったら負けない自信があります」

「いや、もしそうなったとしても祥子さんには相手させられないから。でも、ありがとう、確かに言う通りだと思う。祥子さんなら菜穂の関係者でもあるし、江菜子も知った顔があった方が冷静になれるかもしれない。となると、一人よりも二人、二人よりも」

「三人……って言いたい所ですけど、私は菜穂ちゃんの面倒を見る事に徹しますね」


 その場のノリで三人で行くのかと思いきや、琴子さんは冷静にこう言った。


「手紙には実家を出て一人ってなってますけど、もしかしたらまだ間男との関係が残ってるかもしれませんからね。その場合、菜穂ちゃんを狙った別動隊が動くかもしれません。いつでも119番通報出来る様に自宅ここでスタンバイしておきますから、安心して下さい」


 とても頼もしい言葉だ、一人じゃ出来ない事も三人でなら出来る。 

 琴子さんなら菜穂を預けても大丈夫、更には健二辺りにも声を掛けみるかな。

 アイツはこういう時にもとても頼りになる男だし、多分断る事もしないだろう。

 三人寄れば文殊の知恵か、まさに言葉通りだ。 


「琴子さん、119番は火事救急ですよ?」


 粗方、方向性が決まってきたあたりで、祥子さんが口に手を当てニマニマと指摘する。


「え? ……あ、そうでしたっけ?」

「あは、琴子さんでもそういう間違いするんですね」


 祥子さんの突然の揚げ足取りに、琴子さんはそれまでの体を崩した。

 汗顔かんがんの至りって奴かな、ちょっと顔が赤っぽい。


「私だって人間ですから、ミスだってします」


 凄く真面目な顔をしながら言っているから、逆にそれが可愛くもあり、面白くもあり。

 テーブルに置いてあったほろ酔いを開けると、琴子さんはくいっと飲み始める。


「あはは、そうね、でも、ちょっと怒ってる琴子さんもまた各段に可愛い!」

「別に、揶揄わないで下さい。そもそも何で祥子さんが当たり前の様に俊介さんの家にいるんですか? 今朝がた『家に来るんですか?』って意味深な質問してたじゃないですか」


 そんな質問したんだ。

 僕の知らない所で二人で語り合ったりしてるのかな。

 祥子さんは祥子さんで、缶ビールを開けて僕にお酌をした後、自分もゴクゴクと。 

 ご馳走様です。 


「それはどちらかと言うと、来てくれたら楽しそうだなって思っただけですから。どうせ家に帰ったって一人ですから、こうして三人で居た方が楽しいなぁって」

「祥子さんも一人暮らしなんですか?」

「そうですよ? 琴子さんは?」

「私も一人暮らしですね。……いや、でしたね、と言った方が正解でしょうか」


 視線を僕に当てながら膝を崩して、またほろ酔いをくいっと一口。

 琴子さんが電車通勤だとは知ってはいたけど、てっきり実家暮らしだとばかり。

 一人暮らしなんだ……そっか、異動の時に引っ越しでもしたのかな。

 でも、それが過去形になるって、どういう意味だろう?


「琴子さ――」  

「それってまさか、琴子さん!?」


 僕の言葉を半ば食い気味に祥子さんが遮る。

 僕にはさっぱり見当が付かないんだけど、祥子さんは思い当たる節があるらしい。

 当の琴子さんは空き缶となったほろ酔いをテーブルに置き、にやりと口角を上げる。


「アパート、解約しました。俊介さん、転入手続き宜しくお願いします」

「えええええぇ!? 私も、私も急いで解約しないと!」

「世帯主は俊介さんで良いですからね、ついでに苗字を変えてもいいですから」

「何さらっと婚約しようとしてるんですか! だったら私の苗字も変えて下さい!」

「残念、俊介さんと婚約出来るのは、先着一名様なんです」

「そんな法律ありませんから!」

「いや、ありますから。一夫多妻は日本じゃ認められておりませんのよ」

「じゃ、じゃあ二番目で……やだ、二番目じゃヤダぁ!」


 おや? 僕は確か江菜子の手紙に関する話をしていたはずなのに、いつの間にか話が脱線して途方もない方向に行こうとしているぞ? その後も二番目とか転入手続きとか本籍だとか色々と二人で語っていたけど。


 昨日の今日だ、二人はすぐさま寝入ってしまった。

 テーブルに突っ伏して寝ている琴子さんと、そんな琴子さんにしがみ付きながら寝ている祥子さん。

 

 二人のパジャマ姿がまた可愛い。

 胸の辺りにクマさんのアップリケが付いたパジャマの祥子さん。

 無地の長袖Tシャツにスウェットを穿いた琴子さん。


 昨日みたいに下着姿だと触るの躊躇ちゅうちょしちゃうけど、これなら大丈夫だ。

 琴子さんにしがみついている祥子さんを引きはがして、よいしょと抱き上げる。

 

「むみゃ……ふふ、お空、にこにこね……」


 どんな夢を見ているのかな、祥子さんの事だから、幼稚園関連かも。

 お空がにこにこの世界か、なんか、祥子さんっぽいな。


 菜穂の横に寝かせると、祥子さんは布団にくるまり、そのまま寝息を立てる。

 特に今日は疲れていたのだろう。

 幼稚園の先生って肉体労働なのに、昨日は全然寝てないはずだし。

 

 続いて琴子さんを持ち上げると……軽いな、祥子さんよりも全然軽い。 

 

「……俊介、さん」


 ふわっと開いた瞳、琴子さんは僕の首に腕を絡ませると、そのまま唇を重ねる。

 

「……ん、宜しい」


 キスが終わると満足げに微笑んで、寝た? 

 いまのって、寝相が悪いってことなの? しかも宜しいって、一体どういう。


 まぁ、いいか、寝てるんだし。

 ちょっとドキっとしちゃったけど、祥子さんには見られていない。

 よいしょっと祥子さんの横に琴子さんを寝かせたあと、僕は菜穂の隣で横になる。


 2LDKに四人、か。

 狭そうだけど、その狭さがまた心地よい。

 川の字に一本線が加わったこの状況を、二か月前の僕じゃ想像も出来なかったな。


 戻りたいとは思わないけど、このままでイイとも思えない。

 二人の好意はとても有難いし、嬉しいんだけど。

 どこかでケジメ、付けないとな。



★――★――★



『……え、健二、来週の土曜日ダメなのか?』

「おお、その日は連れと出かける用事があるんだ。それにもう離婚して他人に戻ったんだから、江菜子さんといえど、俊介のことを刺したりはしないんじゃないか?」

『またそんな物騒なことを』

「はははっ、冗談だよ冗談。そうだな……不安なら、ほれ、前に経理の古河さんと一緒にいたろ? あの子にでも頼ってみればいいんじゃないのか? 多分俊介に惚の字だろうから、協力してくれると思うぜ? 本当なら弁護士がイイんだろうけど、あれは金がかかるしなぁ」

『古河さんは……ん、分かった、こっちで何とかする。休みなのに連絡して悪かったな』

「いいぜ、ま、頑張れよ、俊介」


 やれやれ、また俺を頼るとか、アイツの頭の中はどうなってんだか。

 しかしあの反応、古河はそれなりに努力してる感じか?

 もっと強引じゃないと、あの鈍感男は靡かないと思うぜ?


 ま、せいぜい頑張って高野崎を本社に戻してもらいたいもんだ。

 それが、高野崎にとって最も苦しむ選択肢なんだろうからな。


 ……さてと。


「と、いう事みたいですよ? 来週の土曜日、空けておいてもらえますか? ……江菜子さん」

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