第30話 事件は幼稚園で起こっていた。(向井祥子視点)

※27話直後です。時系列バラバラですいません。

――



 ちょっと長すぎちゃったかな、俊介さんもシャワー浴びるかもしれないのに。 

 髪の毛も乾かさなきゃだけど、それよりも朝食作ってあげないと……って?

 なんか、とても良い香りが漂ってくる様な。


 濡れた髪をとりあえずでお団子にまとめて、ひょこっと廊下からキッチンを覗く。

 するとそこに立つは、既に小奇麗に身なりを整えた琴子さんの姿が。

 細めの長袖Tシャツに八分丈がとてもスマート。

 やっぱり琴子さんって綺麗な人だなって再認識。


 それにしても良い匂い……何を作っているのか、ちょっと拝見。


 ふむふむ、フライパンの上で踊るは、黄色くて菜穂ちゃんが食べやすいサイズにカットされた、タマゴを染み込ませたパン、つまりはフレンチトーストだ。既に焼きに入っているという事は、朝食の準備はほぼ終わりってことかな? 


 テーブルにはヨーグルトにドライフルーツを混ぜたものや、スティック状のサラダ。

 他にも牛乳やフワトロオムレツも作ってあったりして……出来るわね、琴子さん。

 ん? ひーふーみーよー……あれ?


「あ、私のも用意してくれてたんだ」

「はい、一人だけのけものとか、菜穂ちゃんの教育に悪いですから」


 確かにそう。

 家庭環境がその子の性格を形成するのは間違いない。

 江菜子さんの影響がある菜穂ちゃんには、特に気を付けてあげないといけないんだ。

 本当にしっかりした人だな……何か、色々と負けちゃいそう。



「え!? 家に職場の後輩も来てて、三人で一晩明かして何もなかった!?」

「ちょ、しー! しー! 他の人に聞かれたらどうするんですか!」


 幼稚園の更衣室、神崎先生が昨晩はお楽しみだったの? みたいにほくそ笑みながら聞いてきたから、色々と協力して頂いてる都合上、包み隠さず昨晩の事を説明する事に。


 説明した途端叫ぶんだもん、本当に勘弁して欲しい。

 きょろきょろと見まわして誰もいないのを確認して、ほっと胸をなでおろす。


「ご、ごめんなさいね、予想の斜め上過ぎて脱線しちゃってたからさ。でもまぁ、話には出てたもんね、職場の後輩ちゃん。それで? 祥子先生から見た後輩ちゃんの評価は?」

「そう、ですね。見た目はとても可愛かったです。私よりも髪が長くて清潔感もあって、なんていうかとてもスマートで綺麗なんです。それでいて喋り方もこう、理知的といいますか、無駄な事は喋らない感じです。朝食も美味しかったですし、結構料理も出来てるって俊介さんから聞いてはいます。あとはちょっと負けず嫌いな所も感じたり……神崎先生?」

「……どんまい、祥子先生」

「なんで私の肩をぽんぽん叩くんですか」

「それはほら、言わなくても分かるでしょ? 今日は金曜日だし、ぱーっと飲みに行きましょうか。私、全部奢るからさ、チクショウ会開きましょ?」

「行きませんよそんなの! 何ですかそのチクショウ会って! 大体まだ負けてませんから! 私が脱いでも琴子さんが誘っても、俊介さんは見向きもしなかったんですからね!?」


 言った後に、はっと我に返る。

 あ、やっちゃった、余計なこと言ったかも。

 神崎先生はもう水を得た魚ならぬ、玩具を手にした三歳児の様な笑みを浮かべていて。


 あーあ、このまましばらくは揶揄からかわれ続けるの確定だなぁ。

 でも神崎先生の協力なくして、今の関係は続けられないのも事実。

 園長先生を始め、他の先生方にバレたらどうなることか。

 

 うう……考えただけで寒気がしちゃう。

 くわばらくわばら……。



★――その日の午後(三人称)――★


「はいではみんなー! きをつけぴっ! お挨拶出来るかなー!?」

「「「できるー! せーの!」」」

「「「先生さようなら! みなさん、さようなら!」」」

「はい上手にできましたー! ゆっくり休んで、また元気で可愛いお顔を先生に見せて下さいねー!」


 楓原幼稚園竹組、金曜日、午後一時半。

 可愛らしい挨拶を終えると、園児たちは先生の案内の下、各々目的の場所へと移動を始めた。

 送迎バスに乗りこむ園児や、迎にきた父母と一緒に手を繋いで帰る園児。

 そして、菜穂ちゃんの様なお預かりのお部屋へと向かう、多数の園児たち。


 このお預かりのお部屋は、年少、年中、年長と、年齢ごとに分かれている幼稚園であっても、全員一緒くたにされての保育となる。 

 時間は幼稚園が終わる午後一時半から、基本十八時、最長十九時までのお預かり保育だ。

 共働きが基本な昨今では、この預かり保育システムは非常に頼りになるものである。


 しかも楓原幼稚園での利用料は一回五百円。

 時間制ではなく回数制、毎日利用したとしても約二十日、月一万円で済むのだ。


 一般的な一時保育の相場料金が時間五百円、民間企業においては時間二千円もあり得るのに対してのこの価格設定、しかもすぐ側には平素から子供たちに接している先生の存在もあり、更にはお預かり先生と呼ばれる女性たちの姿もある。


 英才教育と呼ばれるものは実施していないにしても、この幼稚園の存在は楓原団地の居住者からしたら、なくてはならない施設の一つであると言っても過言ではないのだ。


 そんな皆に愛されてやまない、お預かりのお部屋に向かった菜穂ちゃん。

 彼女はいつもの通りお人形を数体手に取り、近くにいたお友達と一緒におままごとを始めていたのだが、しばらくしてから、お友達からの不思議な声が上がることに。


「え、なほちゃん、ママはひとりなんだよ?」

「ううん、なほのおうちにはね、おりょうりしてくえるままがふたりいうの」

「ちがうよなほちゃん、ママはひとりだよ。愛のおうちにもママはひとりしかいないもん」

「だって、いうもん。なほのおうちにママ、ふたりいうもん!」


 舌足らずな言葉で熱心に語る菜穂ちゃんを見て、お友達の愛ちゃんはどこか不思議に思うも、そうなのかな? 程度にしか考えずに、そのままおままごとを継続していたのだが。


(……え? ママが、二人?)


 お預かり保育には、預かり先生と呼ばれる女性たちが存在する。

 主に主婦層で固められたその女性たちの役目は、預かっている園児の遊び相手という名の安全の確保、お菓子の準備やお部屋の清掃、事案発生時の報連相役として機能している事が多い。

 吉住よしずみ房江ふさえは、そんなお預かり先生歴十五年のベテラン選手であり、今日もいつもの様にお預かりの部屋にて園児達の相手をしてるのだが、そんな彼女の耳にとあるキーワードが飛び込んできたのだ。  


 ――なほのおうちにママ、ふたりいうもん――


 吉住自身が既婚者であり、彼女が手塩にかけて育て上げた一人息子は既に自立し、イチ社会人として世に貢献している。長年連れ添ってきた夫との関係も良好、趣味を兼ねてのお預かりの先生としての日々は充実そのものだ。


 だがしかし、毎日毎日同じ面子と顔を合わせている以上、話題の泉はとうに枯れ果てている。

 しかし吉住には信念があったのだ、話題がなくとも人の悪口だけは言うまいという信念が。

 悪口陰口は話題にしやすい反面、知らぬ間に敵を作り上げている事が多くある。

 その事を吉住は知っている、仲間たちも同じ意識を持っているのだろう。

 いつしか彼女たちの口から出る言葉は、今日の献立やら洗濯物が乾かないだかといった、社交辞令に毛が生えた様な内容ばかりになってしまっていたのだ。


 つまり、一言でいうと「飽きた」、ということだ。


 そんな飢えた狼の集団の中に放り込まれた「ママが二人いる」という珍妙奇天烈なキーワードに、吉住は動揺を隠せないままにいた。


 否、隠せるはずがないのだ。

 何故なら吉住もまた、話題に飢えた狼なのだから。


 既に二十の頃から十は重くなった体をすり寄せて、吉住は聞き耳を立てる。 


「やっぱりママがふたりっておかしいよぉ。なほちゃん、このこはあかちゃんにしよ?」

「やら、だって、なほのおうちにはままがふたりいうもん」

「ママがふたりって……じゃあ、こっちのママはなんていうの?」

「こっちのままはね、えっと、こちょちょおねえたん」


 こちょちょおねえたん? 菜穂ちゃんの舌足らずの口から飛び出してきたキーワードに、吉住は再度神妙な面持ちになりながら考察にふけった。


 こちょちょという言葉がそのまま名前だとは思えない。

 もしそうだとしたらキラキラネームにも程がある。


 菜穂ちゃんのママ世代はZ世代とも呼ばれる世代でもあり、90年代後半から姿を見せ始めたキラキラネームの走りの世代でもあるのだが、さすがにそれでも『こちょちょ』という名前はつけないはずだ。

 

(こちょと……ことと……ことお……こっとと……ひょっとこ?)

 

 吉住はいくら頭を抱えても答えに辿り着けない。

 半ば諦めの境地に達していた所に、もう一つのキーワードが吉住の耳に飛び込む。


「こちょちょおねえさんかぁ。じゃあこのこはおねえさんで、こっちのママは?」

「こっちのママは、しょーこてんてい!」


(え? しょーこ……てんてい? しょうこ、先生? ……え⁉ 祥子先生!?)


 吉住の身体に雷が落ちた様な衝撃が走る。

 つい先月、高野崎家が離婚した事は周知のこと。


 菜穂ちゃんのママ、つまりは高野崎江菜子が子育てに注力しない母親だった事も、お預かり先生の中では有名な話。

 専業主婦のはずなのに菜穂ちゃんをお預かり保育に預け、締めの時間の十九時を過ぎても迎えに来ない。

 連絡すると不機嫌を隠さないままに迎えに来て、連れ去る様に幼稚園を後にする。


 幼稚園とはいえ接客業の様なもの、それでも笑顔を崩さない吉住たちだったのだが、彼女たちの中でも、高野崎江菜子という存在の評価は下の下の下。

 彼女に限って言えば、悪口を言わないという信念を崩してでも語り合いたいと思えるような存在だったのだ。


 重ねて思う。

 あの母親の下にいる菜穂ちゃんがとても可哀想だと。

  

 離婚したと聞いた時には、何故だか笑みがこぼれてしまったものだ。


 これから片親だけになってしまう菜穂ちゃんを思い、先日の大泣きの一件もあってからか、吉住は菜穂ちゃんに関しては特に強い感情を持ち合わせていた。だからだろう、菜穂ちゃんと愛ちゃんの会話がこれほどまでに鮮明に聞こえてきてしまったのは。


 思えば吉住は何度も目撃している。

 パパと一緒に登園する菜穂ちゃんと、それを出迎えるの祥子先生の笑顔を。


 これは……祝福しないといけない。

 大変な思いをしてきた菜穂ちゃんの事を、祥子先生ならきっと大事にしてくれるはずだ。

 そうでなくとも話題には常々上がっていたのだ、祥子先生はいつ結婚するのかと。 


 吉住の既に燃え尽きかけていた乙女の純情が、再度燃え上がろうとしていた。

 なんとしても成就させる、菜穂ちゃんの事も、祥子先生の事も、吉住は大好きなのだから。

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