第28話 頼れる兄貴? 勘違い妹?(遠越忍視点)
※時系列的に22話の直後になります。
――――――
古河さんの机から契約書を取り出す事を諦めた俺達は、適当なラーメン屋で腹ごなしをした後、飲み直しと称してコンビニで酒を買い込み、一ノ瀬が住まう社宅へと向かった。
「歩いて十五分とか、俺からしたら最高の物件なんだがなぁ」
「そうでもないよ? 会社が近すぎて、スイッチ切り替えられないもん」
そんなもんか? と思ったけど、確かにそうかも。
俺は実家から通っているけど、電車に乗ると「さぁ仕事だ」って感じがする。
でも、明日が早い以上、会社から近い一ノ瀬の社宅が有難い。
社宅と言っても、そこらのアパートだ。
築十年程度の二階建て、最寄り駅まで徒歩二十分、会社まで十五分の駅近物件。
しかも一階の角部屋。
上とお隣さんは空き部屋だから、多少騒いでも文句は来ないとまである。最高だ。
確か古河さんは一番に出社して掃除してるっぽいから、それよりも早くか。
だとしたら……七時半とか? いや、もっとだな。六時台か。
「なぁ一ノ瀬」
「んー?」
「お前、早起き得意か?」
「そう見える?」
「見えねぇ」
「だよね、正解」
ダメだこりゃ、しかも酒入ってるから、どうあがいても起きれねぇかもしれない。
……いや、古河さんの為だ、徹夜してでも一番に出社してやる。
普段はメガネをかけているから気付かなかったけど、今日見たあの素顔はヤバイ。
そりゃ営業向けだよって心の底から思っちまう程に、古河さんは美人だ。
あんな美人を困らせるような辞書は、俺の頭の中にはねぇ。
「あれ? 僕の家の明かりついてるな」
「んお? あ、本当だ」
「さては
車通りの多い国道から一本脇にそれた道にある、一ノ瀬の社宅。
それが確かに煌々と電気が点灯していて、彼女の存在を明らかにしていた。
一ノ瀬詩、彼女は一ノ瀬達也の妹だ。
今年で二十歳、俺達の四個下の彼女は、たまにこうやって兄の家に来ては遊んでいく。
俺も何回か顔を合わしているし、見知った仲とも言えよう。
一ノ瀬が玄関に一応鍵を差すも、予想通り解錠済みだ。
ガチャリ開けて中に入ると、そこにはペタリ座り込んだ可愛いのが一人。
「こら詩、また勝手に僕の家に上がり込んでるだろ」
「お兄ちゃんお帰り~、あ、遠越さんもお久です!」
こんにちはって挨拶してくる詩ちゃんは、ショートカットが似合う可愛い女の子だ。
まだ大学三年生になったばかりなのに、フリルのついた白いブラウスにロングスカート姿は、どこか落ち着いた雰囲気。それとは逆に好奇心満載の大きな瞳をクリクリとさせながら俺に近寄る辺りは、やっぱりまだ学生って感じがしたりもする。
ぽんぽんって頭を叩いても目を細めるだけなのは、まだまだ子供って感じだ。
猫かもしれない。詩ちゃんはどこか猫っぽい所もあるし。
「お久しぶりって程でもねぇだろ。詩ちゃんかなり頻繁に一ノ瀬の家に来てるよな?」
「だってもう就活始まってるんだもん、明日も説明会行かないとだからさ」
「あ、詩また僕の家に泊まるつもりだろ。狭いんだからカプセルホテルとか使えよな」
「いいじゃん、お兄ちゃんの家二つ部屋あるんだし。可愛い妹だよ? カプセルホテルなんかじゃ危険じゃない? 詩が襲われたりしたら、お兄ちゃんきっと後悔で泣いちゃうよ?」
詩ちゃんに一ノ瀬が勝っているのを見たことがないから、今日も泊まっていくのだろう。
一ノ瀬の社宅は2K。
狭いキッチンに洋間が二つ、風呂トイレ一緒のユニットバスタイプだ。
一人で生活するには十分すぎる間取りだが、三人での寝泊まりとなったら、それは少々窮屈な思いをする事になる。
それでも、一晩限りとあらば我慢せざるを得ないというところか。
「あ、お兄ちゃん達お酒飲むんだ。詩のは?」
「買ってある訳ないだろ、大体詩はまだ」
「詩、もう二十歳だよ?」
「あー……そっか。じゃあ適当に飲むか」
「うん、詩ねぇ、このレモンチューハイ好きなんだ」
「9パーセントかよ」
「うん、美味しくない?」
二十歳になったばかりでいきなりストロングなお酒を選ぶ辺り、将来が見える。
こういう子は職場で気に入られるもんだ、世渡り上手っぽいしな。
「遠越さんも一杯どうですか? 現役女子大生のお酌ですよ?」
「はは、金を取られそうだな。ありがと、頂くよ」
俺の横に座ると、詩ちゃんは景気よく飲み、そして名前の通り歌い始めた。
隣近所が空き家だからクレームも来ないし、詩ちゃんの歌は上手だから来たとしても賞賛の声だろう。
しかし、単なる寝付く為のお酒がこんなにも美味くなっちまう辺り、この子はそっちの手の職業にも向いてるのかもしれねぇな。金を払ってでも一緒に飲みたくなるってのも、どこか理解できちまう。
「遠越さん、いま変なこと考えたでしょ?」
「ああ? 良く分かったな。詩ちゃんならお店で一番の売れっ子嬢になりそうだなって、勝手に妄想してたとこだ」
「詩は清純派なんですぅー、夜のお店なんかじゃ死んでも働かないんですぅー、っていうか、明日も平日なのに、なんでこんなにお酒飲んでるんですか? 家に帰る前も飲んでましたよね?」
三本目の缶ビールを開けた所で、詩ちゃんがこんな質問をぶつけてきた。
ちらり一ノ瀬を見ると、アイツは我関せずと言った感じで黙ったまま。
壁に寄り掛かりながら立膝で座ってるだけなのに、妙に絵になる男だこと。
「ああ、飲んでたな。酒でも飲まねぇと寝れねぇと思ったからだよ」
「そうなんですか、何かあった感じ?」
「何かあった……いや、別に何もねぇ。ただ自分が自分で嫌になった感じだな」
「……ふぅん」
契約書への
明日の朝は土下座だけじゃ済まねぇかもしれねぇな……。
「じゃあ、詩は遠越さんに優しくしてあげるね」
突如、詩ちゃんは座っていた俺の頭を撫で始める。
突飛すぎて目ん玉丸くなっちまった。
「はは、遠越君、瞳孔開きまくった猫みたいな顔してるよ」
「なんだよそれ……詩ちゃん、別にそんなんしなくて大丈夫だから」
「あはは、いいの、詩はしたい事をするだけだから」
本当、この子はそっちの才能がある子だよ。
五つも年下の子に心配されてるようじゃ、ダメだな。
「実はな詩ちゃん、俺――」
言わなくてもいい事だったのだろうけど、きっと俺は誰かに告白したかったんだ。
懺悔室で自分の罪を赦してもらう様な感覚で、俺は詩ちゃんに今日俺達がした事を語った。
聞き上手なんだこれが、否定もしないし、ちゃんと相槌も入れてくれてさ。
全部話し終えた後にゃ、まるで古河さんに打ち明けたみたいな気分になっちまってよ。
そんで、何でか気分が晴れちまった。
詩ちゃんはシスターの才能もあるかもしれないな。
もしくは説法する坊さんとか、まさに才能の塊だ。
「そっか……そんな事があったんだね」
「なかなか最低だろ?
「お兄ちゃん達のしてた事は置いておいて。それにしても凄いな、退職する女の子と一緒に営業に行って、その子の満足のいく結果を出させてあげたって事だよね。ねぇねぇお兄ちゃん、高野崎さんってどんな人なの?」
缶ビール片手にぷらぷらしてた一ノ瀬が、突然の質問にきょとんとした目で妹をみやる。
「どんなって……確かに仕事は出来るしエリート肌っていうのかな。僕は一目見て『ああ、この人には一生勝てないな』って思ったよ。次元が違うって感じ。それでいてイケメンなんだ。清潔感あるし、優しいし、兄ちゃん勝てるとこないよ」
妹という存在から見て、兄とは一番近くの異性だ。
少なからず兄である一ノ瀬の背中を見続けた詩ちゃんには、一ノ瀬という存在は尊敬するものであり、男という異性の存在を定義するもの。
その兄が勝てないという男に対して、興味を抱かないはずが無かったんだ。
一ノ瀬も失言に気付いたのか、慌てて他の情報を補足した。
「あ、でも、もう子供いるからね? 離婚したみたいだけど、コブ付きだからね?」
「詩、何も言ってないけど。でも、そう言われちゃうと逆に気になっちゃうよ?」
「詩ちゃん、マジで止めとけって」
「えー? 遠越さんまでそんな風に言うんだ? ますます気になる……っていうか」
ずいっと見上げる様に俺に近づいてくる詩ちゃん。
彼女の澄んだ瞳がどんどんと近づいてくると、じぃーっと俺の目を見る。
「……なによ」
「遠越さん、その古河さんって人に、恋してるでしょ?」
一瞬、詩ちゃんが何を言ってるのか理解できなかった。
ほわんと古河さんの見たこともねぇ笑顔を妄想した後、全力で顔を左右に振った。
「はぁ!? なに言ってんだそんな訳ねぇだろうが!」
「だって、さっき古河さんのこと話してる時、目が恋してたもん」
「目が恋してたって、意味わかんねぇし! あ、おい一ノ瀬! お前まで笑ってんじゃねぇよ!」
「くくくっ、ぷっははは! だって、だって遠越君、鏡見てみなよ、顔が真っ赤だよ⁉」
「うっるせぇ! これは酔っぱらったからだろ!? べべべべ別に恋とかじゃねぇし!」
「あはは、めっちゃどもってるぅ~! じゃあ詩ももう一本のもうかなぁ!」
調子こいて四本目の9パーセント五百ミリリットルに手を伸ばした詩ちゃんに対し、俺と一ノ瀬は二人で「ダメー!」と言って精一杯の抵抗を示したんだが。
キャバクラって行ったことねぇけど。
多分楽しい場所なんだろうなって、心底理解できる夜だった。
翌朝。
「……めっちゃ頭いてぇ、んだよ詩ちゃんの奴、詩は午後でOKとか言いやがって」
「学生の特権でしょ、っていうか、もう古河さん出勤してるよね」
「だろうな、他にも江原所長とか、高野崎の奴もいるだろうな」
吊るし上げみたいになっちまいそうだな。
でもまぁ、今日退職する俺はある意味最強の人間だから、どうでもいいか。
一ノ瀬の奴に恨まれそうだけど……コイツまで巻き添えになる必要はねぇよな。
おうおう、今日も営業所はご立派なご尊顔しちゃってよぉ。
七階建ての古ぼけた雑居ビルのくせに、名前だけは立派なんだから。
いつもよりも重い足を持ち上げて、コンクリの階段を上る。
遅刻した訳じゃないし、何ならいつもよりも早いくらいなんだけど。
エレベーターを使う気になれねえのは、罪悪感からなのか。
「どうしたのさ、早く入ろうよ」
「……どうしてお前はそう軽いんだよ。まぁ、今はその方が救われるけどさ」
後ろにいる一ノ瀬に背を押される様な形で、俺達は会社へと足を踏み込んだ。
いつもの風景だ、奥には江原所長がいて、左側の方に古河さんがいて。
営業部は右側、コの字に並べた席の上座には、高野崎が一人座っている。
さて、どう切り出そうかなと思っていると、古河さんは立ち上がり高野崎の下へ。
手には茶封筒があって、江原所長に断りを入れると、そのまま俺達の方へと歩いてきた。
もう、行くのか。
ある意味、間に合ったって事だな。
正直に打ち明けたら、古河さんは一体どんな顔をするのだろうか。
後悔しかねぇが、このまま黙ってるのは男じゃねぇ。
拳に力を込めろ、腹をくくれ。
遠越忍、一世一代の大謝罪だ。
「あの!」
「おおっとちょっと待った、その茶封筒の中身な、俺がちょい悪戯したままだったんだよ」
俺の前に突如として野芽さんが立ちふさがり、突飛な事を言ってのけた。
「え? この茶封筒の中身ですか? もう
「悪戯って、どういうことだよ健二」
古河さんと高野崎の二人は、一体何のことかと野芽さんに質問する。
いやいやいや、質問したいのは俺の方だが? 何が始まったんだ?
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