第27話 二人の思惑(古河琴子視点)

 俊介さんの自宅でシャワーを浴びながら、私はこれまでの事を考えていた。

 向井祥子、まさかあんな人がいるなんて思いもしなかった。

 確かに俊介さんは優良物件だ、いつまでも放置されている様な人じゃないとは思っていたけど。

 

 優良物件とか……そんな言い方は俊介さんに失礼かな。

 私が退職して、菜穂ちゃんの面倒を全部見て、俊介さんは元の職場に戻って活躍する。


 今回の古物商の案件と、俊介さんが進めているビッグプロジェクトが成功すれば、間違いなく彼は本社に戻れるのだ。

 それは江原所長も言っていた事だし、嘘偽りのない現実となる事は間違いない。

 だから、私はもう既に遠越さんと一ノ瀬さんに全てを打ち明けて、業務引継ぎをお願いした。

 もう、後には引けないし、引くつもりもない。

 

「……だから、私は」


 シャワーの音が、雑念を混ぜて溶かして落としていく。

 未練とか、後悔とか、そういうのはしたくない。

 散々味わった屈辱を、もう一度だなんて、そんなの私は望んでいないんだ。

 だから異動したし、だから今ここにいる。

 俊介さんと一緒になって、彼が成功するのをただ見届ければ、それでいい。

 

「……ん」


 もう、覚悟を決めないと。

 無駄に妬み僻みの精神なんて持たない様に、自分にトドメを刺そう。 

 乳首に当たるシャワーの感触を、数歩だけ離れた場所にいる俊介さんだと妄想する。

 まだ、多分足りないから。

 祥子さんがあれだけ激しいキスをしたのに、俊介さんはまだ踏ん切りが付いていない。

 夜這いでも何でもいいんだ、既成事実を作って、俊介さんとの子を身ごもれば、それで。



「おはようございます」

「あ、琴子さん、おはようございます。私もちょっと……」


 浴室を出ると、向井さんの姿があった。

 寝起きのままじゃ髪も整える事が出来ないんだって言いながら、服を脱ぎ始める。

 綺麗な身体だな……女の私でも思わず見入ってしまう程なのだから、よっぽどだ。


「よいしょっと。あ、洗濯物とかどうしましょうか? 一緒に洗っちゃっても?」

「別に、私は構いませんが」

「そうですか、じゃあ私のと一緒に回しちゃいますね」


 昨晩、祥子さんは凄い大きい胸を惜しげもなくさらして、俊介さんにアピールしたんだ。

 実際、いま目の前にあるのだけれど。

 よくこれで迫られて俊介さん落ちなかったな。

 私のも少しは大きいと思うけど、祥子さんには勝てない。

 形は負けてないと思うけど……そもそも、形に勝ち負けなんかないかも。


「どうしました?」

「いえ、別に。私、ここまで昨日タクシーで来てしまったので、先に出ますからね」

「あ、そうなんですか。でも、今晩はこの家に戻るんですよね……?」


 どういう意味の質問だろ。

 戻ってきて欲しくないのか、戻ってきて欲しいのか。

 後者はあり得ないか、私達は俊介さんを取り合う関係なんだから。

 でも、これだけは聞いておかないと。


「あの、向井さん」

「祥子でいいですよ、私も琴子さんって呼びますし」


 なんだか調子が狂う。

 絶対に負けないって感じなのかな。


「……祥子さんにお聞きしますが、祥子さんは俊介さんをどうしたいと思っていますか?」

「どうしたいって……どういう意味?」


 あの日、野芽さんがしたような質問を、私は祥子さんへとぶつけた。

 同じように威圧的には出来ないけど、ありったけをぶつけないと、この人には勝てない。


「私は、俊介さんには元の職場に戻って欲しいと願っています。ですが、菜穂ちゃんがいる以上、俊介さんは元の職場に戻る事は絶対にありません。離婚の原因は人伝に聞きました、俊介さんが家庭を犠牲にして仕事に打ち込んでいたからだと。ですが、俊介さんは家庭を原因に埋もれさせていい人じゃないんです。同じ職場で働いて、一緒に仕事をして、俊介さんの価値を私はこれでもかってぐらいに知ったんです。あの人の家族になる以上、孤独は耐えないといけないし、育児は一人でしなくちゃいけない。その覚悟がないとダメなんだと、私は思います」


 脱衣所で脱ぎかけていた手を止めて、祥子さんは私の話に耳を傾けてくれた。

 別の未来、もしがあるのなら、私は江菜子さんよりも先に俊介さんに出会いたかった。

 私なら彼を悲しませる事なく、幸せな家庭のまま彼を待つことが出来る。

 誰か知らない男と密会したり、浮気したりなんて絶対にしない。


「……私は」


 私の話を聞いた祥子さんは、目を伏せて少し考えた後、毅然として語る。


「私は、俊介さんには無理はさせてあげたくないと思います。彼が菜穂ちゃんと一緒にいる事を望むのなら、そうしてあげたい。幼稚園の先生だから、貴女みたいに毎日ずっとは無理かもしれない。菜穂ちゃんが熱を出した時に看病は出来ても、お迎えなんていけるはずがないし、そう簡単に仕事だって休めない。でも、俊介さんが仕事に戻りたいって言うなら応援するし、このままでいいって言うのなら、このままでも良いと私は思う。どの道を選択するのかなんて、それは彼が決める事であって、私達が決める事じゃないわ。彼をどうしたいか……その質問に、私はどうもしたくないって答える。だって、それは彼が決める事だから」


「……そんなの、ただ流れに任せてるだけじゃないですか」

「そうかもね、でも、私は自然体の俊介さんが好きだから」


 ニコリ微笑みながら、じゃあシャワー浴びるねって祥子さんは居なくなった。

 ……やっぱり、ダメだ。

 祥子さんじゃ、俊介さんを元の職場には絶対に戻せない。

 だって、俊介さんは失敗したから今の職場にいるんだ。

 彼に選ばせるなんて言ったら、間違いなく菜穂ちゃんとの生活を望むに決まってる。

 そんなの、俊介さんが本来掴み取る栄光の欠片も無いじゃない。


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、貴女に任せていいかもって思ったのに。


 やっぱりダメ。

 俊介さんには私がいないと。

 今日はもう仕事に行かないといけないから、何も出来ない。

 けど……今晩は絶対に。



――★向井祥子視点★――



 琴子さんの後の浴室は、なんだか無駄に良い匂いがする。

 さっき自分用のを手にしていたから、ここに置いてあるのじゃないよね。

 シャンプーとか、なに使ってるんだろう? 後で教えて貰おうかな。


 髪を洗い終わって、ぺたんと浴室の椅子に座り込む。


 昨日、かなり勇気だして頑張ったんだけどな。

 おっぱいだって見せちゃったし、抱き締めたしキスもしたのに。

  

「うぅ、自信なくしちゃうなぁ」


 それでも、俊介さんは何も手をだして来なかった。

 直前に琴子さんと何かあったみたいだけど、それでも何もなかったっぽいし。

 もしかしたら、俊介さんに嫌われちゃったのかも。

 普通あそこまでしたら、男の人って襲いたくなっちゃうもんじゃないのかな。


 神崎先生の助言通りにしたのに……いや、琴子さん居たからしないか。

 さすがに二人がかりで俊介さんを襲うっていうのも、なんか違う気がするし。


 っていうか、違うでしょ。

 なんで琴子さんと二人なんて事になってるの。

 昨日一緒にお酒飲んで楽しかったけど……友達になる訳にはいかないよね。


 琴子さんとは明確に目的が違うって、さっきの質問ではっきりしたから。

 彼女は何としても俊介さんに、元に戻って欲しいって思ってるみたいだけど。

 でも、江菜子さんとの件を知っている私からしたら、それは間違いだと思う。

 

 離婚してからの俊介さんは、確かに家事とか育児が出来てはいなかった。

 でも、生き生きとしてたんだ。

 目は死んでなかったし、活力に溢れてた。

 

 浮気されて離婚なんだから、彼が受けた精神的ショックは途方もなく大きい。

 菜穂ちゃんだけが今の俊介さんの生きる理由。

 そう考えたら、彼を元の場所に戻すなんて、可哀想だと思っちゃうんだけどな。


「……それもこれも、俊介さんが決める事であって、私が決める事じゃないよね」


 俊介さんが普段使用しているであろう身体を洗うタオルを、自分に押し当てる。

 えへへ、私悪い子だ。

 でも、こうでもしないと昨日の火照りが抜けそうにないし。

 ちょっと時間掛かっても、いいよね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る