第27話 二人の思惑(古河琴子視点)
俊介さんの自宅でシャワーを浴びながら、私はこれまでの事を考えていた。
向井祥子、まさかあんな人がいるなんて思いもしなかった。
確かに俊介さんは優良物件だ、いつまでも放置されている様な人じゃないとは思っていたけど。
優良物件とか……そんな言い方は俊介さんに失礼かな。
私が退職して、菜穂ちゃんの面倒を全部見て、俊介さんは元の職場に戻って活躍する。
今回の古物商の案件と、俊介さんが進めているビッグプロジェクトが成功すれば、間違いなく彼は本社に戻れるのだ。
それは江原所長も言っていた事だし、嘘偽りのない現実となる事は間違いない。
だから、私はもう既に遠越さんと一ノ瀬さんに全てを打ち明けて、業務引継ぎをお願いした。
もう、後には引けないし、引くつもりもない。
「……だから、私は」
シャワーの音が、雑念を混ぜて溶かして落としていく。
未練とか、後悔とか、そういうのはしたくない。
散々味わった屈辱を、もう一度だなんて、そんなの私は望んでいないんだ。
だから異動したし、だから今ここにいる。
俊介さんと一緒になって、彼が成功するのをただ見届ければ、それでいい。
「……ん」
もう、覚悟を決めないと。
無駄に妬み僻みの精神なんて持たない様に、自分にトドメを刺そう。
乳首に当たるシャワーの感触を、数歩だけ離れた場所にいる俊介さんだと妄想する。
まだ、多分足りないから。
祥子さんがあれだけ激しいキスをしたのに、俊介さんはまだ踏ん切りが付いていない。
夜這いでも何でもいいんだ、既成事実を作って、俊介さんとの子を身ごもれば、それで。
★
「おはようございます」
「あ、琴子さん、おはようございます。私もちょっと……」
浴室を出ると、向井さんの姿があった。
寝起きのままじゃ髪も整える事が出来ないんだって言いながら、服を脱ぎ始める。
綺麗な身体だな……女の私でも思わず見入ってしまう程なのだから、よっぽどだ。
「よいしょっと。あ、洗濯物とかどうしましょうか? 一緒に洗っちゃっても?」
「別に、私は構いませんが」
「そうですか、じゃあ私のと一緒に回しちゃいますね」
昨晩、祥子さんは凄い大きい胸を惜しげもなくさらして、俊介さんにアピールしたんだ。
実際、いま目の前にあるのだけれど。
よくこれで迫られて俊介さん落ちなかったな。
私のも少しは大きいと思うけど、祥子さんには勝てない。
形は負けてないと思うけど……そもそも、形に勝ち負けなんかないかも。
「どうしました?」
「いえ、別に。私、ここまで昨日タクシーで来てしまったので、先に出ますからね」
「あ、そうなんですか。でも、今晩はこの家に戻るんですよね……?」
どういう意味の質問だろ。
戻ってきて欲しくないのか、戻ってきて欲しいのか。
後者はあり得ないか、私達は俊介さんを取り合う関係なんだから。
でも、これだけは聞いておかないと。
「あの、向井さん」
「祥子でいいですよ、私も琴子さんって呼びますし」
なんだか調子が狂う。
絶対に負けないって感じなのかな。
「……祥子さんにお聞きしますが、祥子さんは俊介さんをどうしたいと思っていますか?」
「どうしたいって……どういう意味?」
あの日、野芽さんがしたような質問を、私は祥子さんへとぶつけた。
同じように威圧的には出来ないけど、ありったけをぶつけないと、この人には勝てない。
「私は、俊介さんには元の職場に戻って欲しいと願っています。ですが、菜穂ちゃんがいる以上、俊介さんは元の職場に戻る事は絶対にありません。離婚の原因は人伝に聞きました、俊介さんが家庭を犠牲にして仕事に打ち込んでいたからだと。ですが、俊介さんは家庭を原因に埋もれさせていい人じゃないんです。同じ職場で働いて、一緒に仕事をして、俊介さんの価値を私はこれでもかってぐらいに知ったんです。あの人の家族になる以上、孤独は耐えないといけないし、育児は一人でしなくちゃいけない。その覚悟がないとダメなんだと、私は思います」
脱衣所で脱ぎかけていた手を止めて、祥子さんは私の話に耳を傾けてくれた。
別の未来、もしがあるのなら、私は江菜子さんよりも先に俊介さんに出会いたかった。
私なら彼を悲しませる事なく、幸せな家庭のまま彼を待つことが出来る。
誰か知らない男と密会したり、浮気したりなんて絶対にしない。
「……私は」
私の話を聞いた祥子さんは、目を伏せて少し考えた後、毅然として語る。
「私は、俊介さんには無理はさせてあげたくないと思います。彼が菜穂ちゃんと一緒にいる事を望むのなら、そうしてあげたい。幼稚園の先生だから、貴女みたいに毎日ずっとは無理かもしれない。菜穂ちゃんが熱を出した時に看病は出来ても、お迎えなんていけるはずがないし、そう簡単に仕事だって休めない。でも、俊介さんが仕事に戻りたいって言うなら応援するし、このままでいいって言うのなら、このままでも良いと私は思う。どの道を選択するのかなんて、それは彼が決める事であって、私達が決める事じゃないわ。彼をどうしたいか……その質問に、私はどうもしたくないって答える。だって、それは彼が決める事だから」
「……そんなの、ただ流れに任せてるだけじゃないですか」
「そうかもね、でも、私は自然体の俊介さんが好きだから」
ニコリ微笑みながら、じゃあシャワー浴びるねって祥子さんは居なくなった。
……やっぱり、ダメだ。
祥子さんじゃ、俊介さんを元の職場には絶対に戻せない。
だって、俊介さんは失敗したから今の職場にいるんだ。
彼に選ばせるなんて言ったら、間違いなく菜穂ちゃんとの生活を望むに決まってる。
そんなの、俊介さんが本来掴み取る栄光の欠片も無いじゃない。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、貴女に任せていいかもって思ったのに。
やっぱりダメ。
俊介さんには私がいないと。
今日はもう仕事に行かないといけないから、何も出来ない。
けど……今晩は絶対に。
――★向井祥子視点★――
琴子さんの後の浴室は、なんだか無駄に良い匂いがする。
さっき自分用のを手にしていたから、ここに置いてあるのじゃないよね。
シャンプーとか、なに使ってるんだろう? 後で教えて貰おうかな。
髪を洗い終わって、ぺたんと浴室の椅子に座り込む。
昨日、かなり勇気だして頑張ったんだけどな。
おっぱいだって見せちゃったし、抱き締めたしキスもしたのに。
「うぅ、自信なくしちゃうなぁ」
それでも、俊介さんは何も手をだして来なかった。
直前に琴子さんと何かあったみたいだけど、それでも何もなかったっぽいし。
もしかしたら、俊介さんに嫌われちゃったのかも。
普通あそこまでしたら、男の人って襲いたくなっちゃうもんじゃないのかな。
神崎先生の助言通りにしたのに……いや、琴子さん居たからしないか。
さすがに二人がかりで俊介さんを襲うっていうのも、なんか違う気がするし。
っていうか、違うでしょ。
なんで琴子さんと二人なんて事になってるの。
昨日一緒にお酒飲んで楽しかったけど……友達になる訳にはいかないよね。
琴子さんとは明確に目的が違うって、さっきの質問ではっきりしたから。
彼女は何としても俊介さんに、元に戻って欲しいって思ってるみたいだけど。
でも、江菜子さんとの件を知っている私からしたら、それは間違いだと思う。
離婚してからの俊介さんは、確かに家事とか育児が出来てはいなかった。
でも、生き生きとしてたんだ。
目は死んでなかったし、活力に溢れてた。
浮気されて離婚なんだから、彼が受けた精神的ショックは途方もなく大きい。
菜穂ちゃんだけが今の俊介さんの生きる理由。
そう考えたら、彼を元の場所に戻すなんて、可哀想だと思っちゃうんだけどな。
「……それもこれも、俊介さんが決める事であって、私が決める事じゃないよね」
俊介さんが普段使用しているであろう身体を洗うタオルを、自分に押し当てる。
えへへ、私悪い子だ。
でも、こうでもしないと昨日の火照りが抜けそうにないし。
ちょっと時間掛かっても、いいよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます