第25話 彼女から来る分にはまだいい。でも、僕からするのはダメだ。

 バタンとお風呂の扉が開く音が聞こえてきて、僕の肩に顔を預けていた琴子さんは残念そうに立ち上がり、てきぱきと服装を直し始める。捲りあがっていたスカートもぐいっと下に伸ばし、ブラウスも一番上までキッチリとボタンを締めた後に、僕の方を見て何かを発見したのか、目を細めながら琴子さんは少々慌てふためく。


「あ……ごめんなさい、何か拭くものを」

「拭く? ……あ」


 ついさっきまで琴子さんが跨っていた場所、つまりは僕の太もも部分。

 そこがこんなにも分かりやすく湿っているとは。


 菜穂には見せられないし、祥子さんに見られたら何を言われるか分からない。

 しかも既に菜穂がお風呂から出てきている。

 「きゃー! おふおよかたー!」と何とも可愛らしい叫び声まで聞こえてくるではないか。


 どうする? 僕の着替えがあるのはお風呂を過ぎた先にある四畳半の部屋、そこに行けば扉を閉めることも出来るし、この濡れたズボンも見られることなく隠す事ができる。


 染み込んだコレをふき取る事は不可能だ、乾燥ももちろん無理。

 水で濡らして紛らわすのもアリかもだけど、祥子さんならいぶかしむ可能性が高い。


 となると――、くそ、悩む時間なんてないか。

 お風呂場から脱衣所、脱衣所から廊下。

 菜穂がいるのはまだ脱衣所のはず、なら急いで行けば間に合う。


 しずしずとしている琴子さんを後目に、僕は立ち上がり四畳半の部屋へと早歩きで向かう。

 言って大きくない2LDKの我が家、ほんの数歩で辿り着くのだ。

 だから、決して祥子さんに見られる事はない、絶対にない。


「うあー! しょーこてんてーとおふおたのちー! あちちちち!」


 お約束と言わんがばかりにガラリ開いた脱衣所の扉。


 そうだった、菜穂はお風呂から出たあと裸のまま「あちちちち!」言いながらリビングへと駆けて行くんだった。二人きりの時はそれが当たり前だったし、誰に見られるでもない事だったらか注意も怒りもしなかった。


 だがしかし。


「菜穂ちゃん! 裸で出て行ったらダメで――」


 濡れたズボンを抑えながら、僕が見てしまったもの。

 それは、一糸まとわぬ祥子さんの姿であった。

  

 菜穂を追いかけようと中腰で手を伸ばした状態で硬直する祥子さんは、タオル一つすら体に掛けていない素肌にまだ多くの水滴を残していて。もちろん乾いていない、濡れて波打つ髪が普段は見せない祥子さんをアダルティックに演出していた。


 豊満な胸にはピンク色の蕾があり、隠しもしない双丘が目に飛び込んできて、僕は慌てて視線を下にそらす。けれど、結果それがしなやかな肢体を舐める様な仕草になってしまったことを、僕は先に謝るべきか。


 平素運動して完成したであろうくびれた腰つきに、胸に負けないくらい綺麗で触り心地よさそうな美尻が少しだけ見える。しかし、祥子さんは前を向いて固まっているのだ、股間部分の茂みもしっかと目に焼き付けてしまい、僕はその場で硬直し、うっかり生唾を飲んだ。


「――っっっ!!!!!! ご、ごめんなさい!」


 固まったままの祥子さんをこれ以上脳みそにインプットしない様に、脱衣所の扉を閉めて僕は四畳半の部屋へと逃げ込んだ。

 扉一枚向こうから祥子さんの悲鳴でも聞こえてくるかもと身構えるも、そんな事もなく。

 聞こえてくるのは、ずぶ濡れのままリビングへと駆けて行った菜穂を拭こうとする、琴子さんの楽し気な声だけであった。



「おやしゅみなたい、ぱぱ」

「うん、おやすみ、菜穂」


 ぽよぽよとしたほっぺにキスをすると、菜穂も僕の頬にキスをしてくれた。

 こんな事が出来るのも幼稚園までかな、いつかはキモイ親父って言われる日が来るのかも。

 

「そんな日が来るとは思いませんよ。あれはやっぱり日ごろの付き合い方が重要なんです」


 僕が何気なしに言葉にした内容に、祥子さんは笑顔で返してくれた。

 リビングのテーブルの上には、いくつかのお酒が並べられている。

 琴子さんが受注祝いとして買ってきてくれたお酒の数々だ。


 ソファーをずらし、小さいテーブルを囲む様にカーペットの上に座り、小声で乾杯する。


 当初、修羅場となり得る可能性のあった二人なのだが、菜穂がいる前で喧嘩したら悪影響と判断したのか、とても和やかな雰囲気のまま今に至る。裸を見てしまった事に対しても、祥子さんは「あれは事故ですから」と頬を赤らめながら許してくれた。優しい。

 

「日頃の付き合い方ですか……でも、やっぱり父親と娘ですから。いつかは線引きしないとと考えてはいたのですが、今は想像も出来ないです」

「俊介さんは男親ですからね、娘さん溺愛は致し方ないかと。それに、片親だと仲の良さは増すってデータもありますからね。菜穂ちゃんが俊介さんから離れる事はないと思いますよ」


 現役幼稚園の先生が語るのだから、説得力が強い。

 だといいんだけど、それはそれで菜穂が結婚する時に号泣しちゃいそうだ。


「でも、どうなるかは分かりませんけどね。だって今の現状って、多分相当悪影響ですよ? ……はい、祝い酒ですので、遠慮せずどうぞ」

 

 注がれるままに、琴子さんからのお酒を口にする。

 悪影響、か。

 確かに僕一人を目の前で取り合いをするのは、教育上宜しくないかもしれない。

 けど――


「僕は、そうは思わないです」


 ――事は、単純ではないのだ。

 二人して僕にふられ、それでもこの場にいる。

 諦めないという気持ちと、僕が菜穂を想う気持ちを汲んだ上でこの場にいてくれるのだ。


「祥子さんと琴子さんの二人がいてくれたおかげで、今日はとても楽しい一日になる事が出来ました。菜穂だって、一緒にお風呂に入れてとても楽しかったって笑ってましたし。それに、前に琴子さんに菜穂が言った言葉、ありましたよね。『ままもびっくりした!?』って。あの言葉は、多分菜穂の本心から出た言葉だと思うんです。やっぱり、菜穂には母親が必要なのかなって、そんな気がするんです」

「ありましたね。三人で買い物行った時でしたっけ……ふふ、懐かしいですね」


 琴子さんは正座していた足を崩して、グラスに注がれたワインを美味しそうに飲み干す。

 注いでもらってばかりでは申し訳ないと思い、空になったグラスにどうぞとワインを手に取ると、琴子さんは酒気を帯びた頬を赤めながら、ありがとうと僕の注いだワインを再度口へと運んだ。


 思った以上に平和な状況に、どこかほっとする自分がいる。

 同棲するとか二人とも言ってたけど、存外明日の朝には帰っているのかも。

 と、思っていた所に、静かになっていた祥子さんが床に置いた僕の手を握る……というか、掴む。


「私、菜穂ちゃんにママって言われたことないんですけど」


 左手で僕の手を強く握ると、右手に掴んだ缶ビールを祥子さんは一気に飲み干した。

 凄い勢いである。

 開けたばかりの缶ビールなんだ、結構な量が入っていたはずなのに、それを一気に。


「悔しいです、私だって菜穂ちゃんのママになりたい」


 飲み干すと、祥子さんはとろんとした瞳のまま、僕へすりすりと近寄ってきた。

 瞳に反して手に入る力は強く、後ずさりしようとしても逃げられない。


 寝間着姿の祥子さんはいつも以上に破壊力が凄い。

 多分、寝る時に下着付けない派なんだろうなって、男の僕でも一発で分かってしまう。

 だって、胸の部分にぽこって浮かんでいるから、祥子さんの二つの小山が。


「ちょっと、向井さん?」

「いいじゃないですか、古河さんはママって呼ばれて……私なんか、裸見られただけなんですよ? もっと綺麗な私を見て欲しかったのに、本当はもっともっと凄いんですからね?」

「え、えっと、祥子さん? もしかして酔ってません?」


 すると、半眼になった祥子さんは缶ビールのプルタブをぷしゅっと開けて、再度口へと運ぶ。

 本当に勢いが、凄い。

 口端から黄金水が零れる程に、祥子さんはCMの如く、ごくごくと喉を鳴らしながら飲んでいるではないか。

 滴るビールが彼女の寝間着を濡らし、肌に吸い付かせる。

 そうじゃなくとも分かっていた彼女のぽっちが、より露わになってしまった。

 ピンク色の薄い長袖のシャツに、下はハーフパンツ姿、とても扇情的な姿の彼女は四本目の缶ビールですらも一気に飲み干すと、空き缶をそこらに放り捨てて僕の両肩をぐっと押し倒す。

   

「……酔ってて、何が悪いんですか」

「いや、別に悪くないと思いますけど。でもほら、こういうのってダメだと思うし、琴子さんも見てるんだよ?」

「やっぱり……ダメなんじゃないですか。そんな事をいう悪い子は、めっ、ですよ?」

 

 人差し指をぐいっと僕のおでこに当てて、「めっ」という祥子さん。可愛い。

 僕の事を押し倒した祥子さんは、そのまま馬乗りになってもう一本飲もうと手を伸ばした。

 

「はい、開けておきましたよ」

「あら、ひっく、おりこうさんですね~」

「ちょ、ちょっと琴子さん? これ以上祥子さんにお酒飲ませたらダメですって」

「いいじゃないですか、幼稚園の先生ってストレス溜まるって、どこかに書いてありましたよ? 家にいる時ぐらい、ストレス発散させないとですから」


 おや? よく見ると琴子さんの頬も先程よりも赤くなっている様な。

 え、まさかこの二人、結構な酒乱? かなり酔いやすい感じ?

 四つん這いになったまま琴子さんから缶ビールを頂戴すると、祥子さんは先の勢いそのままに一気に飲み切ってしまった。五本目である。


「美味しい……私、ひっく、誤解してました。琴子さんのことひっく、好きかもです!」

「あらあら、見境なしなんですね。お酒の入ってる向井さんなら、私も好きになれそうです」

「あはははは! やだ、祥子って呼ばないと、めっ、ですよぉ? ……それにしても、なんかこの部屋暑くないですか? 俊介さん、冷房いれないと、私脱いじゃいますよ?」


 なんだって? 祥子さん、酔うと脱ぎ始めるタイプなのか? 慌ててエアコンのスイッチを探そうにも、仰向けになった僕の上には祥子さんが乗っかったまま、動く事も出来ない。

 そして数秒もしない内に、祥子さんは着ていた寝間着の上を一気に捲り上げて、それをぽいっと投げ捨ててしまったではないか。


 目の前に踊る二つの胸が見える。

 が、その視界は突如として暗闇に包まれる事に。


「だぁーいすき」


 この言葉と共に、祥子さんは僕の事をぎゅっと抱き締めてきたのだ。

 とても柔らかな、肌触りのいいモチモチとした双丘に僕の顔が挟まれる。

 乳液系のいい香りがして、顔の表面全部に幸せしかなくて。

 

 祥子さんは間違いなく巨乳の部類に入る女性なのだろう。

 コインランドリーで見た下着も相当に大きいサイズの物だった。

 いや、なんて言ったって僕の顔がうずまってしまうのだから、間違いない。


 ……温かい、何だか子供に戻ってしまったみたいだ。

 いつまでもこうしていたい……。


 じゃないよ、早く祥子さんに服着せないと。

 そんな事を考えていた、その時だ。


「(私、気付いてますからね)」


 祥子さんが耳元でこんな事を囁いたのは。


「(な、なんのこと――)」


 必死に小声で返そうとした僕の口を、祥子さんの柔らかな唇が塞ぐ。

 テーブルのお陰か、琴子さんからは完全に死角のこの場所で、彼女は僕にキスをしたんだ。

 お酒の味と彼女の唾液が混ざり合った粘つく液体、それを口の中に流し込まれた僕は突然の事にゴクリと飲み込んでしまう。


「(……私の染みも、俊介さんに付けたいです)」


 あの染みに気づいてたのか、というか祥子さんこれ、シラフだ。

 え、本当に? これだけの事がシラフで出来るの? 嘘だろ?


 下に穿いているパジャマへと指を掛けると、祥子さんはそれをも脱ぎ始めようとする。

 視線を横に向けると、琴子さんの膝小僧が見えるばかりで、多分彼女からは僕達がいま何をしているのか見えていないのであろう。

 

 突然、顔を両手で抑えられて正面へと向き直された。

 目の前に耳まで真っ赤にした、祥子さんの可愛らしい顔が。


 綺麗な瞳に赤く染まった頬、ついさっきキスしたばかりの唇にはまだ透明の液体が残っていて、それが糸を引く様に垂れて僕の口へと繋がっていく。細く白い首筋に綺麗な鎖骨、丸くて柔らかそうななで肩に、重力に従ってふよんとゆれている二つの双丘は、常時僕の胸筋を刺激し、そして擦り付ける。


「(だめ、今は私の時間)」

「(祥子さん……ダメですって)」


 お酒の力も相まって、祥子さんのリミッターが切れてしまっている。これほどまでに僕のことを想っていてくれるのかと、驚きと戸惑いを隠せないままにいると、もう一度祥子さんに唇を奪われた。


 今度は彼女の舌が僕の口の中を暴れ回る。

 上の歯からしっかりと舐めとられ、下の歯も歯茎まで全部。

 口腔内全部が祥子さんに染まってしまいそうな程に、乱暴なキスだ。

 舌を絡めたいのだろう、つんつんと接して来るけど、僕はそれに応えなかった。

 

 彼女から来る分にはまだいい。

 でも、僕からするのはダメだ。


「(……ケチ)」


 ややもすると諦めたのか、祥子さんは起き上がり、繋がっていた透明な糸を拭い取る。

 そして周囲を見回して、先程投げ捨てた上着へと手を伸ばしたのだ。


「おやおや? お酒が足りなかったのですか?」

「……えへへ、そうかもです。琴子さん、今夜は飲み明かしましょっか!」

「あははは、いいですねその感じ。明日仕事なのも忘れて飲みましょうか」 


 跨っていた足を僕から外すと、祥子さんは琴子さんの方へと移動する。

 あのキスで一体何を感じ取ったのかは分からないけど。

 ごめん、まだ、僕はどうする事も出来ないんだ。

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