第22話 SS 無知という罪(遠越忍視点)
自動扉からビル街へと消える彼女に対して、俺は何も言えなかった。
知らなかったんだ、退職するつもりだったなんて。
皆知ってたのか? 高野崎も、野芽も、江原も、全員古河さんが退職するって知ってたから、最後に自由に仕事させてたっていうのか? だったらそれを言ってくれてもいいじゃねぇか、そんな理由があったんなら、俺だって喜んで古河さんの仕事を引き受けたのに。
「……うわ、凄いよこのリスト、あの二人この何日間かで一体何件調べたんだろ」
A4用紙に綺麗にまとまったリストには、どんだけ細かくまとめたんだよってぐらいの数の会社名が書かれていて。一件一件、ウチとの取引履歴とか、社長の名前とか、信念とか、業績とか、商談申し込んだ時の感触なんかも全部まとめて書いてあった。
簡単に仕事が取れるはずがなかったんだ。
数ある弾のうち、運よくヒットしたのが今回の二件。
古河さんが俺達にお願いしてきたのは、それでも小規模イベントの案件だ。
でも、これを取るために、あの二人はどれだけの徒労を費やしてきたのか。
「手書きの部分もあるね。良感触、引き続き連絡必須とか。彼女、結構可愛い字書くんだ」
「……そう、だな」
「しかし、まさか退職するとは思わなかったね。全然知らなかったよ、遠越君知ってた?」
「知ってるはずねぇだろ……初耳もいいとこだよ」
「だよねぇ。どうする? アレ」
感情に任せて数字を書き換えてしまった契約書。
アレをそのまま顧客に提出してしまったら、古河さんの最後の仕事にケチがついちまう。
「どうするって、決まってんだろ。回収して直すしかねぇよ。このままじゃ俺、カッコ悪すぎる」
退職するのは俺のはずだったのに、なんで先に古河さんが退職する事になっててんだ。
バカな先輩は俺だ、至らない先輩は俺だ。
同じ営業部にいた彼女を、なんで俺は完全に無視してきたんだ。
営業畑にいた俺達なら、もっと彼女の理解を汲んであげられたんじゃないのか?
後悔の言葉しか出てこねぇ、あんなに良い子だったなんて気付きもしなかった。
高野崎はそれを見抜いてたのかもしれないな、だから彼女を。
★
細工しちまった契約書を回収すべく、俺と一ノ瀬は営業所へと戻ることに。
既に江原所長も帰宅しているのだろう、外から見るウチの事務所は真っ暗だ。
鍵は管理システムに頼ってるから、平社員の俺でも開ける事が出来る。
履歴が残っちまうけど、別に気にする必要はない。
だが――
「くそ、きちんと鍵が掛けてあるな」
「僕、この机に鍵が掛かるの初めて知ったかも」
――古河さんの机の引き出しには、きちんと鍵が掛かっていたんだ。
押せども引けども、うんともすんとも言わねぇ。
「確か、あの契約書って明日使うって言ってたよね」
「ああ、
「これ、今日はどうしようも出来ないから、明日の朝、正直に言って回収するしかないよ」
机を破壊して……は、ダメだな。
一緒に行動してる一ノ瀬の今後に影響が出る可能性がある。
入退室記録は残っちまってるし、乱暴な真似は出来ない。
「分かった、その時は俺だけが古河さんに伝えるから、一ノ瀬は何も言うなよ」
「僕だって共犯だよ? 一人だけ逃げるなんて気分が悪いよ」
「いいんだよ、一ノ瀬はこの会社に残るんだから」
一ノ瀬の奴、俺が残るんだからと言ったら、見えている方の目を大きく開いて驚きやがった。
「あれ? まだ遠越君、退職するつもりでいたの? 古河さん退職するのに?」
「当然だろ、自分のケツは自分で拭かないと男じゃねぇ」
本当、こんな情けない先輩で情けなくって涙が出て来るわ。
明日の朝は土下座だな、切腹までしても足らないぐらいだ。
「なら、僕も退職しようかな。一人だけここに残っても、なんか居心地悪そうだし」
「誰かが残らないと、古河が残した仕事をやる人間がいねぇだろうが」
「古河さんは僕達に残したんだよ? 僕一人じゃない、僕達に残したんだ」
ああ言えばこう言う……一ノ瀬が思っていた以上に頑固だって初めて知ったわ。
コイツさっきの古河さんの時も随分と喋ってたし、意外と営業向きなんじゃねぇのか?
「ちっ、分かったよ、古河の仕事だけは手伝ってやる。まぁ、それもこれも江原所長が許してくれればって話だけどな」
「あの赤髪女にそんな権限ないでしょ」
「いやいや、アイツあれでもこの営業所のトップだから」
「見えないよねぇ~。そうそう、遠越君、僕そろそろお腹減ってきちゃった」
「……だな、ラーメンでも食って酒飲んで、明日に備えるか」
酒でも飲まないと、多分寝る事すら出来そうにねぇな。
後悔って奴は、相当に心を抉るんだって、生まれて初めて知ったよ。
古河さん……許してくれるかな。
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