第20話 不如意(遠越忍視点)

 イライラする。

 なんで高野崎の野郎は俺と一ノ瀬を連れていかないで、経理課の女を連れて歩いてんだ。 

 外回りの一回で契約を取ってきただ? んなの、高野崎の伝手があっての事だろうに。


 元々本社にいた高野崎が動いたんだ。

 それはもうイチ営業マンの活躍じゃなく、会社全体で取り組む法人営業と言ってもいい。

 出来て当たり前、俺だって高野崎と同じ人脈があれば、同じことが出来るに決まってる。


 浮かれてんじゃねぇよクソが。


「よ、なんだか不貞腐れてるな」

「野芽さん……そりゃ不貞腐れもしますよ。古河が営業に連れていかれて、俺たちは営業所で事務作業っすよ? ありえねぇじゃねぇっすか、これじゃ俺たちがあの落ちこぼれよりも下って事になりませんか?」


 古河は本社営業部を追い出された転落組の人間だ。

 烙印を押されちまった流刑地で、夢も希望も見れないままに生きるだけの終わった人間。

 

 江原所長だって本社復帰を望んじゃいるが、多分無理だろう。 

 詳しくは知らないが、あの風体に性格だ。

 やらかしの一つや二つは簡単に想像できる。


「別に、お前たちが落ちこぼれだから経理の仕事やらせてる訳じゃないさ。古河には古河にしか出来ない仕事があるからな、江原さんも俺も、それを期待して自由にやらせてんのよ」

「古河にしか出来ない仕事って、なんすか」

「それは言えないな。だが、会社からしたら契約が増えるって事は、より儲かるって事だ。夏のボーナスだってそれ相応に期待できるんじゃないのか?」

「別に俺達が頑張って上げた利益じゃねぇっすから、嬉しくもなんともないっすよ。というか、野芽さんは悔しくないんすか? 何回も営業支援に来てるのに、野芽さんが手柄上げたの見た事ないっすけど」

「そうだなぁ、俺も悔しがらないとな」

「なんすかそれ……」


 ま、仕事頑張れやと言いながら、自分の席に野芽は戻る。

 結局の所、野芽も諦めてるって事なのか?

 確か、野芽と高野崎は同期に近かったはず。


 同じ時期に入社して、片やエリート出世街道を歩み、片や本社営業部止まり。

 肩書だって高野崎は部長代理まで上がった男だ、対して野芽は担当課長から上がっていない。


「哀れな男だよね、野芽さんもさ」


 俺と同じ二十五歳、独身細身、長めの七三で左目を隠した一ノ瀬は、叩いていたキーボードの手を止めて、視線だけ野芽へと向けた。

 

「あの人もこの流刑地に染まっちゃった事でしょ? ここは居心地だけなら最高にいいからね。ライバルだった高野崎が仕事を取ってきたって、凄い凄いと喜んで終わりなんだよ。悔しいとか憧れとか、もうそういうのはあの人には無いんだよ、きっと」

「んだよそれ、男として終わってねぇか? 俺は悔しいぞ? 古河が取って来た仕事だって、俺が取って来た事にしたいぐらいだ」

「出来る訳ないでしょ、バカな妄想は止めにしときなね」

「だけどよ一ノ瀬――」


 まだまだ愚痴が止まらないと思っていた所に、封筒をいくつか手にした江原所長が事務所に戻ってくるのが見えて、俺達は開いていた口を閉じる。


 多分、江原所長も俺達から見たら敵だ。

 今朝がた高野崎が出勤するなり、古河を一緒に行動させろと進言したんだ。


 大方、コイツは契約を沢山取らせてこの営業所を発展させて、そんで自分は本社へと高跳びしサヨナラするつもりなのだろう。古河が枕営業をしていようが高野崎がインサイダー取引をしていようが談合していようが、自分さえ良ければどうでもいいって言うタイプの人間だ。


「サボってる声が廊下まで響いてたぞー、無駄口叩いてないで仕事しろ仕事」

「うぃーっす」

「あ、そうだ遠越、ポストにメール便届いてたから、これお前振り分けといて」


 ぽいっとキーボードの上に無造作に置かれた封筒の数々。

 

「これ、古河の仕事なんじゃないんすか」

「そうだけど、なに?」

「アイツ帰ってきてからやらせればいいじゃないっすか」

「今日古河は営業に行ってんの、お前は今日一日古河の代わりしてんの。OK? 悔しかったら契約の一つでも取ってこいよ。法人営業だけが営業じゃねぇって、高野崎見て分かっただろうに」


 江原の無駄に甲高い声が耳に触る。

 ぎりっと音がするぐらい歯を食いしばって、その場は収めたけど。


 イライラする。


 高野崎が来てから俺達の扱いは酷くなる一方だ。 

 楓原市内全域を足で歩いて回れって言ってんのか? そんなのどんだけ非効率なんだよ。

 上は上で繋がってんだ、高野崎を見てそれが良く分かった。堪能した。

 だったら上が仕事して、落ちて来た案件を俺達が処理すればいい。

 何事も経験、それが積み重なって俺達も上にいけるってシステムじゃねぇのかよ。


「くそが……くそがぁ!」

「おいおい、ゴミ箱蹴っ飛ばしたって何にもならないでしょ」


 一服しようと一ノ瀬に誘い出された俺は、屋外の喫煙所に設けられたゴミ箱を思いっきり蹴っ飛ばした。


「あれだけ言われて一ノ瀬は悔しくねぇのかよ!? 俺達だって頑張ってきただろ!? チャンスすら与えられないまま終わるって、んなの納得いくかボケがぁ!」

「そりゃもちろん悔しいけど」

「だったら我慢なんてする必要なんてねぇだろうが! ちくしょう、どうにかしてアイツ等を見返してやれねぇかな……イライラで頭の中がどうにかなりそうだ!」


 再度、喫煙所に鈍い音が響き渡る。

 ゴミ箱はもう買い替えが必要なくらいにボコボコになったけど、それでも気が収まらない。


 むしゃくしゃする気分のまま、タバコを一本咥えて火を点ける。

 野芽の野郎は、古河には古河にしか出来ない仕事があると言っていた。


 俺達に言えない仕事って一体なんだ? もしそれが今後も営業を続ける内容だとしたら、俺はもうこの会社にはいられない。いや、もう既に限界なんじゃないか? 他の奴等は知らねぇけど、俺達は最初からこの営業所だったんだ。

  

 同期入社の奴等との親睦会で、俺達が行く場所が流刑地と呼ばれてることを知った。

 メンタルやられた奴とか、成績が悪い奴とかが行く場所だって。

 

 最初は違うと思っていた、そういうのは噂だけで、実際は違うって信じてたんだ。

 だけど、火のない所に煙は立たぬ、この言葉の通りだった。

 仕事はない、直属の上司である赤髪のチビ女からは何も得るものはない。

 三年間、ただ腐っていくだけの日々……もう、踏ん切りをつけてもいいのかもしれねぇな。


「一ノ瀬、俺このクソ会社辞めるわ」

「……本当に?」

「ああ、マジで退職する。こんな場所にいたら生き地獄もいいとこだろ」


 辞めると心に決めたら、なぜだか胸の中がすっとした。 

 後はいつ辞めるか、有給消化をいつから始めるか、次はどこに行くか。

 ウキウキし始めて、なんだか笑みまで浮かんじまう。


「遠越君さ、退職するんなら……最後に花火上げてかない?」

「んあ? 花火って、何よ」

「さっき江原所長が遠越君の机の上に置いた封筒さ、あれ、多分古河さんが作った契約書が入ってるんじゃないかな? あれの内容をちょっとだけイジってさ、ミスにしちゃうとか、何だか楽しそうじゃない?」

「んなのしても、古河が怒られるだけだろ」

「いやいや、古河さんは初めての契約書作成なんだ、怒られたとしても大したことないよ。むしろその責任はお目付け役に行くと思わない? 昔、高野崎が言ってたんだよね、責任者は責任を取るためにいるってさ」


 責任者は責任を取るために存在する。

 だから新人の俺達は沢山ミスして、どんどん成長して欲しい。


 確か、俺が新人研修の時に聞いた言葉だ。

 その時の教官は別の人だったけど、代々受け継がれている言葉なんだろう。


 責任者は責任を取るためにいる……か。

 確かに、それは面白い事になるかもしれねえぇな。

 

 どうせ退職するんだ、この会社がどうなるかなんて、俺には知ったこっちゃねえ。

 やるからにはパーッとやるか、パーッとな。

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