第19話 強気な後輩の告白。

 古河さんの話術や、おっとりとした雰囲気。

 これは僕には絶対にない営業における武器の一つだ。


 先週初めて伺った際も、相手方は皆、古河さんの容姿を褒める所からスタートしていた。

 性的な要因ではなく、会話の取っ掛かりの様なものだ。

 もちろん、人によってはその要因もあるのかもしれないけど。


 会話がしやすいという事は、喋りを売りにする僕達からしたら最高の武器にもなりえる。

 取り付く島もない状態では、物を売る事なんて不可能に近い。


 隣に古河さんがいる状態での商談は、先週彼女抜きで訪問した時に比べ、格段に顧客の反応が良くなっていたのも、きっと気のせいではないだろう。天性の営業職としての特技スキル、もしかしたら古河さんは、磨いたら相当に輝く原石かもしれない。 

 

「なんだか随分と話が大きくなってきましたね、高野崎さん」

「そうだね、元々本社で受け持ってた顧客の一派でもあった訳だから、そこを上手く漕ぎ付けた感じかな。全国で二十七カ所、超大型物件になっちゃった感じだよ。でもま、まだまだこれからかな。まだ契約書にハンコ貰った訳じゃないし……とはいえ、今日はお疲れ様、古河さん」


 こうは言ったものの、確かに彼女の言う通り随分と大きい話になってしまった。

 ここまで大きくなってしまうと、この顧客専用の窓口も必要になってくるかもしれない。

 部門ではなく顧客専属の窓口として組織、所為、○○室と呼ばれる組織だ。


 室長を務めるには顧客との繋がりは勿論、社内的にも相当な人物が要求される。

 今のウチの会社で言うと……江原所長か、健二野芽辺りかな。


 健二もそろそろ地に足のついた役職に就いた方がいいんだ。

 室長ならアイツに申し分ないだろうし、社内的にも問題ないだろう。


「……で、どうしたの? なんか震えてるけど」

 

 隣を歩く古河さん。

 さっきから握り拳を作ったままぷるぷる震えていて、一体どうしたのやら。


「え? あ、いえ、すいません。私、こんな大きな案件対応するの初めてで、武者震いというか、歯がゆいというか、何というか。ごめんなさい、多分、嬉しいのと緊張してるのと色々な感情が混ざり合って、ちょっと良く分からなくなってるかもしれません」

「しかも自分が生み出した案件だから、喜びもひとしおでしょ?」


 一言添えてあげると、古河さんは両目を大きく見開きながらパンッ! って両手を叩いた。

 反応が初々しくていいな、僕にもこんな時があったっけ。


「そうです! その通りなんです! この案件、私と高野崎さんが動かなかったら存在すらしなかった案件なんですよ!? こんなのって現実にあり得るんですか!? なんか今でもまだ狐に化かされてるような、夢の中にいるんじゃないのかって、そんな気がしてならないんです!」


 宝くじの高額当選したかのような喜び方だ。

 古河さんはこれまで、営業で何一つ結果が出せていなかった。

 それが僕と組む様になってから、一発で大成功を収めている。

 どん底にいた状態からの成功体験なのだから、相当だろう。

 

「良かったよね、僕もここまで大きい話になるとは思わなかったよ」

「はい! 全ては高野崎さんのおかげです!」

「でもね古河さん、営業の仕事はこれからだよ?」


 声のトーンを少しだけ下げて、古河さんを戒める様に語る。

 成功は誰しもが喜ぶ部分ではあるけど、そこで羽目を外しすぎて転落する事も往々にある。

 勝って兜の緒を締めよとは、よく言ったものだ。


「取って来ましたはい終わりって訳にはいかないんだ。その後も顧客と密に連携を取って、継続していく事が一番大事。今は初受注に向けて全力で皆挑むけど、ずっと全力じゃいつかバテる。顧客がどのあたりで線引きするのか、じっくりと見定めていかないとね」


 お客様が喜んでくれるのは確かに嬉しい。

 だからと言って諸手を上げてずっとその状態を維持するのは、土台無理って話だ。

 サービスを提供しつづけていられるライン。

 顧客満足度を下げない最低ラインを見定めないといけない。

 そのために僕達は足繁く通い続けるし、何度だって話に行く。

 それが、営業という仕事の本質なのだから。


「……でも、いいんです。私にとってこれが最後の営業の仕事だと思ってますから」


 意外な言葉を受けて、僕は会社へと戻る足を止めた。

 高層ビルが立ち並ぶビジネス街で、古河さんはさみし気に表情を落とす。

 

「高野崎さんだって知っているはずですよ? 私がなんで営業職を外されたのか」

「……確かに知ってる。でも、今の君からは営業職に戻りたいって、そんな意志を感じるんだ。僕としては、古河さんに営業職に戻って欲しいって思っているよ? 確かに今は経理課に所属しているけど、そんなの今回の受注一発で吹き飛ばせる。この案件は君がいたから受注出来たんだ、これは間違いなく古河さんのお手柄なんだよ。もっと自信を持っていいと思う、僕がずっと側にいて君をサポートするから」


 包み隠さずに、僕は古河さんに本音をぶつける。

 だけど、それに対して彼女は俯いたまま首を横に振った。


「高野崎さんがずっと楓原営業所にいたら……ダメですよ」

「……ダメ?」

「高野崎さんは、もっと上に行かないとダメなんです。私、江原所長から聞きました。高野崎さんを本社に戻したがってる人が大勢いるって。今回の案件だけじゃない、高野崎さんはもっと上、会社の中枢にいるべき人なんです。こんな小さい営業所にずっといたら……ダメなんです」


 僕を上に戻したがっている? もしその話があったとしても、僕は絶対に断わるだろう。

 リモートで仕事する事も可能だけど、既にリモート通勤も叩かれ始めているのが現状だ。

 そもそも、営業という仕事がリモートで出来るものなのか。


 僕が出す回答は否、絶対に出来ないと断言できる。

 顔を実際に合わせ、その場にいて初めて掴める空気というものがあるんだ。

 僕が本社に戻り納得のいく営業をするとなると、絶対的に菜穂に影響が出てしまう。


 今回の案件だけでも全国二十七か所、主要都市を回るだけでもどれだけ掛かるか。

 それだけは、菜穂への負担だけは絶対に回避しないといけないんだ。 


「古河さん、それを言うなら、君だって僕がなんで楓原営業所に来たのか、知っているはずだよ?」

「知っています……それを承知で、高野崎さんは上に行くべきだって言ってるんです」

「それは、僕に菜穂を捨てろって言ってるの?」


 それこそ絶対にありえない、僕にはもう菜穂しかいないのだから。

 言葉に僅かな怒りを込めて、親として僕は古河さんを睨みつける。


「私が、私が菜穂ちゃんの面倒をみます」

「古河さんが? だって君は」


 彼女は手にしていたバッグを地面に落とすと、僕の両手を掴む。

 まだ沢山の人が往来する目抜き通りで、彼女は僕に向かって叫んだ。


「私が退職して、貴方と結婚して! 菜穂ちゃんの面倒をみます! 家事だって育児だって、全部、全部私なら出来ます! 帰りが遅くなってもいい、帰ってこなくてもいい! 私ならずっと高野崎さんを、貴方を待つことが出来ますから! いつだって温かい家庭で待ってますから……だから、私と一緒になって下さい……っ!」


 震える古河さんの手は、意外にも冷たかった。

 昔、母さんが言っていた、手が冷たい人は心が温かいんだって。

 この言葉は本当なのだろうなって思える程に、彼女の手は冷たくて、それでいて温かいんだ。

 

 理想形。


 ひと昔前の僕なら、古河さんの申し出をどう受け止めていたのだろうか。

 江菜子と出会う前に古河さんと……強気な後輩と出会っていたら。

 

 多分、僕の働きを共に喜び、帰ってこない事に腹を立てる事もなく、温かい家庭とやらを築けたのだろう。でもそれは、今の僕から見て、果たして理想形と呼べるのだろうか? 結婚した相手に家のこと全てを任せ、自分は日本中を飛び回り、給料という名の想いを古河さんに送り続ける。


 そんなのが――――


「古河さん」

「……っ、お願いします、私の憧れる貴方は、こんな場所で終わる人じゃないんです」


 こんなの、愛の告白じゃない。

 震えながら相手の返事を待つなんて、これのどこに幸せがあるんだ。


「古河さん、聞いて欲しい」

「……」

「僕は、江菜子の代わりを探している訳でも、求めている訳でもない。それにね古河さん、僕はこれでも江菜子を愛していたんだ。色々あって全部壊れちゃったけど、それでも僕は江菜子の事を愛していたんだよ」


――――


『俊介、おはよ。ううん、いいよ、今日はお休みだし、沢山寝てた方がいいって。お仕事頑張ってる俊介のことを、アタシもお腹の中の子も応援してるから。ね、俊介、隣でちょっとだけ一緒に寝ても、いい? ……やっぱり、一緒にいると幸せだね。この子が生まれたら、アタシはお母さんで、俊介はお父さんになるんだ。なんだか信じられないね、でも、これが本当なんだ……俊介、愛してるよ』


――――


 ぬくもりも、優しさも、愛情も、全部あったんだ。

 打算的な考えなんて何一つない江菜子と僕の関係は、完璧だと思っていた。

 いつでも一緒、いつまでも一緒、家に帰ったらいるのが当たり前だと思ってたんだ。


「今の僕に誰かを恋したりとか、愛したりとかは……出来そうにない」


 でも、それでも壊れてしまった。

 僕が全てを壊してしまった。

 それだけが、唯一変わらない現実。 


「それは、ずっと一緒にいればいつか思ってくれるはずです! 今は何もなくても、いつか!」

「だったら、その時が来てからでもいいんじゃないかな。別にいま焦って動く必要はないと思うんだ。気持ちは本当に嬉しい、でもね、古河さんが犠牲になる必要はないんじゃないかな?」


 会社全体を考えれば、元々のポジションに僕は戻った方が良いのだろう。

 今回の室長の件も、僕がその席に座るのが最適解だって理解はしてる。


 でも、僕はそれら全てを捨てた人間なんだ。

 菜穂のために全てを捨てて、出来る限り一緒にいることを選んだ。


「もう、失敗はしたくない。古河さんと同じだよ」


 精一杯の笑顔を作ると、古河さんはその手をゆっくりと離してくれた。

 野次馬の様に見ていた周囲の人たちも、僕が視線を向けるとそそくさと歩き始める。

 

 これでいい。


 退職して菜穂の面倒を見るより、営業職としてもう一度華を咲かせる。

 古河さんから、僕にこう思わせる程の素質を感じたんだ。

 退職するなんて、しかも僕の為に退職するなんてあってはならない。


「あの」


 まだ俯いたままの古河さんは、僕を見ずにこう言った。


「一緒に居る分には、問題ないんですよ、ね?」

「……そう、だけど」


 含みのある言い方だなって思った。

 古河さんは一歩踏み出し、僕の手をもう一度握りしめる。

 顔が近い、告白に敗れたはずなのに、瞳にやたら力が籠っている気がする。


「じゃあ私、今日から高野崎さんの家に居候します」

「…………え?」

「高野崎さんが言う〝その時〟が来るのを、私、ずっと楽しみに待ってますから!」


 涙目のまま満面の笑みを浮かべる古河さんは。

 とても綺麗で、とても理不尽な事を言ってのけたのであった。

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