第13話 職場の先輩は、どうやら私に恋をして欲しいみたいです。(向井祥子視点)

※月曜日の朝です。11話参照。

――――


『はい、四個下の後輩なんですけど、やっぱり女性目線は違うのかなって思い知らされました。菜穂の今日着てる服とか、僕じゃ全然候補にも挙がらない様なのばかりでして……あ、いけない、遅刻しちゃう! すいません向井先生、菜穂を宜しくお願いします!』


 今、なんて言いました? 女性目線は違う? え、嘘、高野崎さん、職場の女とアウトレットに買い物に行ったの? 確かに菜穂ちゃんも新しい洋服着てるし、高野崎さんのワイシャツも新しくなってたけど。


 だってまだ、離婚して一か月も経ってないんだよ? もう再婚するの? 確かに男性は再婚までの期間って設けられていないけど。


 いやいやいや、流石にそれは気が早いでしょ……あれかな、仲の良い職場の友達って奴よね。

 高野崎さん、結構抜けてるところあるから、手助けした感じかな。

 今朝だってタグ付けたままだし。


 そっかぁ悔しいなぁ、洋服なら私と一緒に買い物に行けば良かったのに。


 そうしたらそのまま夕飯も一緒になって、菜穂ちゃん寝かしつけした後に二人きりでコインランドリーの続きとか始まっちゃって。二人きりでテレビも消して、静かになった部屋の中、二人でお酒片手に語り合っちゃったりしてさ。


『とても綺麗です、向井先生』

『高野崎さん……もう、先生なんて呼ばないで下さい』

『では、なんと……?』

『…………名前で、名前で呼んで欲しい、です』

『……祥子』

『俊介…………あっ、ダメ、まだ隣の部屋に菜穂ちゃんが、俊介、俊介っ』


 って! さすがにそれはないか! あははは、やだなぁ私ってば!

 アホな考えてないで仕事仕事!


「しょおおおおおおぉごせんせえええええええぇっ!」

「ぎゃあああああああああああああぁ!」


 叫ぶわよ、そりゃ。

 思わず叩いちゃったよ。

 くるり振り返ったら、目の前に神崎先生の顔があったんだもの。


「いったーい! 叩く事ないじゃない!」

「ご、ごめ、だっていきなりだったから、つい」


 両目を指で下に引っ張ってだらしなく口を開いた、お化け顔だったんだもん。

 赤くなった頬を手で押さえながら、ちょっと涙目の神崎先生。ごめんなさい。


「まぁいいけど。それよりも、聞いちゃったわよぉ? 高野崎さん、土曜日にお出かけいったらしいじゃない、他の女と」

「いちいち倒置法なんて使わないで下さい。それに他の女って言っても職場の人なんですから、多分お節介焼きのおばちゃんとかですよ」

「そうかなあ? ま、とりあえず門扉閉めなさいよ、園庭に子供たち出せないでしょ」


 いつの間にか時刻は九時を経過してまして。

 完全に意識があっちの世界に飛んでたなー。


 しっかりやらないとって意識して、子供たちのお歌の時間や文字の練習が終わったあと。

 職員室でパソコンの事務処理をしながらも、頭の中には高野崎さんが思い浮かんでしまっていた。


 なんで顔が思い浮かぶんだろ……そもそも私って高野崎さんのこと好きだったっけ?

 確かにコインランドリーでは良い雰囲気だったと思うけど。

  

『とても魅力的な女性だと、僕は思います』


 はう……。


 高野崎さんの少しまん丸な黒い瞳は、一言でいうと少年の様な瞳だ。可愛げがあって、くりくりとしていて、それでいて短い眉と共に凛々しくも結構強めな眼力もあったりする。可愛いのに頼りがいもあって、そんな瞳だけで惚れてしまう人もいるのかも。


 そんな彼に、私は魅力的な女性だって言われたのだから。

 少しは意識はしてしまうっていうもの。

 しない方がおかしい、うん。

 

「ほら、ぼーっとしない」

「う、いたた……神崎先生、急に背中叩かないで下さいよ」

「休憩時間だからって気を抜いて、子供たちに何かあったらどうするの。朝からたるんでるんじゃないの?」


 痛い所を突かれつつも、休憩時間なんだから良いじゃないって、ちょっと不貞腐れる。


「……別に、たるんでなんか」

「あっそ、じゃあ私が高野崎さんを誘っても問題はないって訳?」

「はぁ!? それとこれとどういう関係があるんですか!?」


 他の先生たちもいる職員室に、私の叫び声がこだまする。

 あーやっちまったーって思ったけど、時すでに遅し。


 向井先生、ちょっとって呼ぶ、園長先生の笑顔がやたら怖いなぁ。

 くっそう、神崎先生が変なこと言うからいけないんだ。


 もちろん、なんで声を出したかなんて、本当の事は言えない。

 園児のお父さんが気になりましたなんて、禁句も良い所だ。

 長い長い園長先生のお叱りを終えると、迎えてくれたのは原因でもある神崎先生。

 

「さっきはごめんなさいね、まさか祥子先生が叫ぶとは思わなかったのよ」

 

 両手を合わせながら真摯な態度をとった神崎先生を見て、やれやれと肩の力を抜いた。

 

「ごめんなさい、私もどうかしてました。この間、高野崎さんとコインランドリーで話をしてから、どうにも意識してるみたいでして。まだ好きとかそういう気持ちじゃないんですけどね」

「そんな状態で、見知らぬ女が出てきて気が動転してしまったと」


 言い方。

 でもまぁ、その通りなんだけど。


 幼稚園の二階、用具置場になっている部屋に二人で向かうと、神崎先生は窓辺に寄り掛かりながら、ちょっと休憩しよって合図を私に送る。

 この部屋は預かり先生の荷物置き場になっていたりもして、あまり園児が来ることもない。

 窓からは楽しそうに遊ぶ子供たちの姿も見る事が出来て、気晴らしするには丁度いい。


「祥子先生、離婚した男が再婚する確率って、どのくらいか知ってる?」

「再婚率ですか? いえ、知りませんけど」

「55%、離婚した半数以上の男が再婚しているの。しかもその半数以上は婚活をしないで出会い、再婚しているってデータがあるのよ。普通の男でもそんなレベルで再婚してるのよ? 高野崎さんが普通のレベルの人だと思う?」

「思わないです」

「即答ね。まぁそうだと思うけど。つまり高野崎さんが離婚してフリーになったって事は、お腹を空かせた雌ライオンの巣に裸一貫で放り出されたウサギの様な状態なのよ? 優しいしカッコいいしお金だってあるし。団地に住んでるけど、あれだって一戸建ての貯蓄の為でしょ? 普段質素な生活してる人ほど、溜め込んでる額は凄いものよ。しかも離婚で慰謝料も貰ってるでしょうし……ちょっと、優良物件過ぎる可能性があるわね」


 指折り数えながら高野崎さんの良い点を神崎さんは伝えてくるけど。

 窓辺に寄り掛かって子供たちを見ながら、ちょっとだけため息。


「そうかもしれないけど、私は高野崎さんをそういう目で見てる訳じゃないんだけどな。神崎先生の言い方だと、お金とか、なにか別の目的のために高野崎さん狙ってるみたいですよね」

「結婚なんて手段でしかないんじゃないの? 私はそう思ってるけど」

「いやいや……さすがにそれは違うと思います。そこに愛はありますか? って奴です」

「愛ねぇ、愛なんかでお腹がいっぱいになるとは思えないけど」


 神崎先生が独身の理由、何となく分かった気がする。

 でも、いくつか正しい事を言ってるのも確かだ。

 他の女が高野崎さんを狙わないはずがない。

 本当は、それを暗に祝福すれば良いはずなんだけど。


「祝福はね、本来自分がされたいものなのよ。どんなに憎たらしい相手でも、いつかは自分が祝福されるために笑顔で拍手してあげるの。心にもない感謝の言葉を添えてね」

「……神崎先生、心でも読んだんですか? でも、ありがとうございます」

「いいえ、私は全然興味ないから。全力で応援してあげる。今日のお迎えの時とか、どこかに誘ってみたら? もしかしたら乗ってくるかもよ?」


 だといいんだけど。

 ていうか、なんで私が高野崎さんの事が気になってるって感じになってるのかな。

 そんな雰囲気、出てた? 出てた……のかなぁ?



「お待たせしました! 菜穂ー! お迎えに来たよー!」


 いつもよりも少し早い時間に、高野崎さんが菜穂ちゃんをお迎えに来た。

 ちらりと神崎先生へと視線を送ると、ジャスチャーで【いけ!】ってやってる。

 ううう、いくべき、かな。

 いくべき、だよね。


「……あの、高野崎さん」

「はい! ……あ、もしかしてまた菜穂が泣いちゃいましたか?」

「え? あ、いえ、むしろお友達と手を繋いで静かに寝てました。とっても可愛くて、思わず写真撮りたくなっちゃったぐらいです」

「え、菜穂が手をつないで!? 見たかったなぁ、どの女の子と手を繋いでたんですか?」

「年長の高木君って男の子です」

「え」

「他の男の子たちも菜穂ちゃんの手を繋いてくれて……可愛かったなぁ」

「そ、そうですか……男の子と……ですか」


 むむ? 頬をひくつかせながら、なんか不機嫌そうな顔をしてる。

 あ、そっか、菜穂ちゃんが他の男の子と手を繋いでるって言うのが気に入らないんだ。

 可愛いなぁ、こんなに溺愛されてちゃ、菜穂ちゃんがお嫁さんに行く時に号泣してそう。

 ふふふ、そんな高野崎さんの顔も見てみたいな。


「あの、それで、菜穂は」

「あ、いえ、大丈夫です。いま神崎先生とトイレに行ってますから。……そ、それよりもご相談なのですが……高野崎さん、今度、私と一緒に菜穂ちゃんとお出かけに行きませんか?」


 胸が無駄に高鳴る、学生の時に告白された時みたいな、青い感情に支配されそう。

 まだ、私の中にもあったんだなって驚きと、多分大丈夫だろうって安心感。

 デートのお誘いじゃないんだから、断られるはずがない。


「え、向井先生と、ですか?」

「はい、菜穂ちゃん、幼稚園の遠足も不参加でしたので、他の子たちと比べて出かけている回数がとても少ないんです。失礼を承知でお伝えしますが、前の奥様がどこかに連れて行くようにも見えませんでしたし……。特別、という訳ではないのですが、菜穂ちゃんには色々と経験させてあげたいなって、個人的に思うんです」


 ちょっと卑怯な手段だ、私は菜穂ちゃんを餌に高野崎さんを釣ろうとしている。

 ある意味菜穂ちゃんは、高野崎さんの最大の弱点とも言ってもいい。

 私の知らない職場の女も、多分菜穂ちゃんをダシにして高野崎さんを誘ったのだ。

 ……憶測でしかないけど。

 

「そう、だったんですか。菜穂は遠足にもいかずに……分かりました、ありがとうございます。週末空けておきますので、是非とも向井先生の遠足に菜穂を連れて行ってあげて下さい」


 ――――「ほらね」って言葉が喉から出かける。

 高野崎さんは菜穂ちゃんの為なら全力なんだ。

 ……私、ずるいなぁ。


「ぱぱー!」

「菜穂ぉ!」


 頃合いを見計らったのか、会話の終了と共に菜穂ちゃんが廊下から登場した。

 軽々と菜穂ちゃんを持ち上げると、高野崎さんはそのまま菜穂ちゃんを肩に乗せる。

 力も結構あるんだね、痩せてるのに凄いなぁ。


「それじゃ、お先に失礼します。あの、週末の件なのですが……以前いただいた番号に連絡しても大丈夫でしょうか? 菜穂にもきっと内緒にしてた方が喜ぶと思いますので」

「ないちょー! なほ、ないちょなの? ぱぱ、ないちょ?」

「そうだよ、菜穂にはまだ内緒、楽しいがいっぱいだね」

「やったー! なほ、ないちょたのしー!」


 あはは、内緒の意味も分かってない感じかなぁ。

 やっぱり菜穂ちゃんは可愛いな、こんなに可愛い子を捨てていくなんて、私には理解できない。


「あはは……二人とも可愛い。電話、大丈夫ですよ。ダメだったら渡してませんから」

「そ、それもそうですね。すいません、ありがとうございます」


 いっつも低姿勢なんだから。

 高野崎さんは会社での姿勢もあんな感じなのかな?

 私生活は……多分、あんな感じだったんだろうな。

 私なら、どんなのでも受け止めてあげれそうだけど。


 逃した魚は大きいぞ、江菜子さん。

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