第11話 突然脱ぎ始める彼女。
押し入れの中の突っ張り棒、そこに多数かけられたまだ袖を通していない洋服の数々は、無駄に綺麗で、ちょっと異質な感じだ。
土曜日の夜に古着は古河さんが「処分しときますね」と言って、全部持って行ってしまったから、他に着る服もないんだけど。
なんだか新しい服ばかりで、ちょっと落ち着かないな。
古河さんの言われるがままに買い物をしちゃったけど、果たしてこんなに必要だったのだろうか? まぁ、お金に困ってる訳じゃないし、いくらあっても困らないのが洋服なのだろうけど。
「ぱぱ、おあょうごじゃいましゅ……」
「うん、おはよう」
「ぱぱ、あたあしいふく、いっぱいね」
「そうだねぇ、菜穂は今日どれ着ていく?」
押し入れの下の段、菜穂でも手が届く位置に設けられた突っ張り棒、そこに掛けられた洋服の中から、菜穂は「どえにしおうかな~?」と目を輝かせながら、とっかえひっかえしていた。
どの服を選んでも江菜子の事を思い出さないって言うのは、確かに必要なのかも。
向井先生も菜穂が幼稚園で泣いてたって言ってたし。
細かな所から全部入れ替えてしまえば、菜穂が江菜子の事を思い出して泣く……なんて事は、意外とあっさりと消え去ってしまうのかもしれないな。
その場合、最終的にこの家も変えた方がいいのかもしれない。
その時が来たら、次はどこに住もうか。
「きえた! なほ、このおようふくさんにしゅる!」
どうやら、ウチのお姫様の洋服が決まったらしい。
デフォルメされたテントウ虫が描かれた可愛らしい長袖シャツに、子供用ダメージジーンズ。
ダメージジーンズとは言っても、穴はちゃんと埋まっている言わばお飾り系のジーンズだ。
意外と伸縮性があって、子供が駆けっこしても大丈夫な様になっている。
うん、これなら転ぶことも少ないだろうし、幼稚園でも大丈夫かな。
「菜穂、可愛い洋服選んだね」
「うん! かあいいのしゅきー!」
「それじゃあ……パパもお洋服決めないとだな」
ワイシャツも新しい、まだパリッとした糊が残ってそうなのをチョイスして、ベルトも昨日古河さんが選んでくれた革ベルトを腰に通す。さすがにお高いスーツは買い替えなかったけど、古河さんのことだ、いずれこれも新しい物に変わってそうな気がする。
と、ここまで考えた所で、僕の頭の中に一つの疑問が浮かんだ。
どうしてここまでしてくれるのだろう?
土曜日に聞いた時には、同情じゃないって言ってたけど。
同情以外で動くとすると……嫌悪感、かな。
思い返せば、古河さんは僕に結構厳しい口調の時も多いし。
江菜子が居なくなって、洗濯もロクに出来てなかったもんなぁ。
もしかしたら、気付かないだけで周囲に迷惑とかかけてるのかも。
だとしたら、やっぱり僕は主夫失格なのだろうか。
「……ぱぱ、ようちえん、いくよ?」
「……幼稚園? え、もうそんな時間!?」
慌てて振り返ってテレビに映る時間を見ると、そこにはいつも以上に遅刻ギリギリな、八時二十分が表示されているのであった。
★
「――、はっ、はぁっ、はぁっ、ま、間に合ったので、しょう、か?」
「超ギリギリですけど、間に合った事にしておきます」
楓原幼稚園の正門。
半分閉めかかった門扉の前で待っていてくれたのは、エプロンにジャージ姿、いつもの向井先生だ。
「え? そ、それって、間に合ってないんじゃ」
「だから、間に合った事にしておきますって。おはよう菜穂ちゃん、もう皆お部屋に向かってるから、菜穂ちゃんもお手て綺麗にしてから、お部屋に入ろうねー」
「あい!」って元気に返事をした菜穂は、もう僕なんか見向きもしないでお友達が沢山いるお部屋へと向かって走っていってしまった。
四歳とはいえ、走ると結構早い。
転んだら怪我しちゃうんじゃないかって心配になっていたけど……どうやら、大丈夫そうだ。
「菜穂ちゃん、新しいお洋服買ってもらったんですね」
「あ、分かります? ズボンも新しいジーンズなんですけど、あんなの菜穂は今まで穿かなかったから、ちょっと心配でして」
「子供の順応性は高いですから、多分大丈夫ですよ。それに、高野崎さんも新しいシャツを着用しているみたいですね」
「え? そんな事まで分かるんですか!?」
「タグ、残ってますよ。切ってあげますから、動かないで下さいね」
そんな馬鹿な、ちゃんと全部チェックしたのに。
向井先生に背中を見せると、襟の後ろに残っていたであろうタグを、ハサミでちょきんとする感覚が伝わってくる。
「はい……あら、これってアウトレットのお店ですか?」
「あ、はい、土曜日に職場の人に無理やりに連れていかれて、初めて行ったんですよね。あんまり僕って家族でお買い物とかしてこなかったので、何だか無駄に疲れちゃって」
「職場の人……ですか」
「はい、四個下の後輩なんですけど、やっぱり女性目線は違うのかなって思い知らされました。菜穂の今日着てる服とか、僕じゃ全然候補にも挙がらない様なのばかりでして……あ、いけない、遅刻しちゃう! すいません向井先生、菜穂を宜しくお願いします!」
時計を見ると、既に八時三十八分。
もう朝礼には間に合わないの確定だけど、九時までには、始業時刻の九時までにはー!
★
「お、ギリギリでおはようさん」
「お、おは、ようござい、ます」
「なんだなんだ、月曜の朝から既にグロッキーじゃねぇか、昨日はお楽しみだったのかぁ?」
「そんな相手いる訳ないだろ……あー、疲れた。明日はもうちょっと早起きしないと」
健二のボケにいちいち付き合ってられるか。
出退勤データは……うん、ギリギリ間に合ってる。
襟周りが汗で気持ち悪い、シャツも汗で肌に張り付いてるし。
これ、やっぱり僕って臭ってるのかも。
うへぇ、古河さんにまた嫌悪感抱かせちゃうかもしれないな。
……後で消臭スプレー振りかけておくか。
うっし、気持ちを切り替えて、仕事仕事。
さてさて今日のお仕事は? えっと、既存顧客への挨拶と社員の勤怠管理。
……え? これだけ? こんなんじゃ午前中で仕事終わっちゃうぞ?
「本社と違って、楓原営業所は支社にすらなれない程に案件が少ないからな。驚いたか?」
脇から僕のパソコンを覗き見た健二がボヤく。
直近まで引継ぎであまり業務に携わってなかったから気づかなかったけど、こんなにも営業の仕事がないとは思わなかった。
僕以外にも数人営業はいるけど、この人達、一体今まで何をしてきたのだろうか。
「素直に驚いた……これが成績Dランクの営業所か」
「俺も何回か顔を出しちゃいるんだが、ここは地域的にベッドタウンだからな」
「イベントとかのマンパワーを要する仕事はほとんどないと……警備も管財も車両も、ひどいな、ほとんど全滅じゃないか」
「だろう? 一体どうすりゃいいんだって感じでよ、切り口すら見つからないんだわ」
ここまで弱小となると、昔の僕なら営業所の切り捨てだって視野に入れて動いてしまう。
けど、今この楓原営業所を無くす訳にはいかない。
ここが無くなってしまったら、一番近くても電車で七駅は離れている支社しかないんだ。
そうなった場合、菜穂を保育園に預けても通えるかどうか。
「……とりあえず、足を使うしかないね」
「足?」
「昔から良く言うだろ? 営業マンは足で稼げってさ。よし、そうと決まったらとっとと事務仕事終わらせて、ここら辺一体を踏破してくるかな。果報は寝て待てって言うけど、仕事は寝てたら舞い込んでこないからね」
脇から「おいおいマジかよ」って声が聞こえてくるけど、それしかない。
大型案件は法人営業部門が動いてくれるだろうけど、小型案件は僕達で開拓しないと。
事務仕事は手慣れているからね、こんなのはシステム化して簡略出来る所は改善してっと。
――――うん、こんな所かな。時間は……やっぱり、まだ十時半じゃないか。
こんなので仕事を終えちゃってたら、給料泥棒も良いところだ。
社用車の鍵も持ったし、所長の許可も得た。
久しぶりの外回りだけど、誰か一人くらい教育で連れて行こうかな?
多分、今の悲惨な状態は昨日今日での事じゃないだろうし。
さってと、どに子が見込みありそうかなって、さして広くない営業所を見まわしていると、背後から僕のワイシャツをつまんで軽く引っ張る感触が。
「あの……」
「あ、古河さん」
振り返ると、土曜日とは違って仕事モードの古河さんの姿が、そこにあった。
ブラウスにスラックスか、なんか幼さ残るせいか、就活生に見えてしまう。
って、それどころじゃなかった、僕の事を呼ぶって事は、そういう事かも。
「土曜日は本当にありがとう、あの、それでなんだけどさ」
他の人に聞かれない様に、ちょっと小声で。
「(僕、臭くないよね?)」
「(……え? 全然臭くなんかない、です。というか、とても良い匂いがします)」
むむむ? 今の古河さんを見る限り、嫌悪感とかはなさそう。
となると、同情以外の理由って一体なんなのかな?
ん……気になるけど、今は公私混同してる場合じゃないか。
営業に連れて行くのを選定しないと。
「あの、高野崎さん、今から外回り行かれるんですか?」
「……え? あ、うん、もう雑務終わっちゃったからさ」
「でしたら、私も一緒に連れて行ってください。一応ここら辺は地元ですし、車の運転も出来ます。それに、元々営業部の人間だったんです。お力になれる事があれば、何でもしますから」
土曜日とは違い、どこか弱気な感じで古河さんは僕に嘆願する。
まだ二十四歳、自分の可能性を捨てきれないと言ったところか。
古河琴子、彼女が元々営業職に就いていたのは、僕も知るところだ。
無理して背伸びばかりして、細かいミスを重ねてしまい、今に至る。
一つの重大事故の背後には二十九の軽微な事故があり、その背景には三百の異常が存在する……ハインリッヒの法則じゃないけど、彼女を抱えているといずれ大きなミスにつながると、上に判断されてしまったのだろう。
土曜日に一緒にいた時にも、彼女は自分の中の正義を決して曲げずにいた。
プライベートなら別に構わない、でも、それが仕事となると話は別だ。
曲がらなきゃいけない所は曲げないといけないし、妥協だって必要になる。
果たして今の古河さんにそれが出来ると言えるのだろうか?
「(……でも、それも必要な事だろうな)」
「あの、高野崎さん」
やる気のない奴を鍛えるよりも、やる気のある古河さんを鍛えた方が、後々営業所にとってもいい結果に繋がるかもしれない。利己的な考え方かもしれないけど、僕が今やらなきゃいけない事は、楓原営業所の存続なのだから。
「いいよ、一緒に行こうか。経理部の課長さんには許可を取ってあるんでしょ?」
「――、はい! もちろんです!」
弱気な雰囲気から、一気に明るい笑顔になった。
もしかして、他に何か理由があったのかな?
でも、考えても分からないし、あえて聞く必要はないだろう。
仕事での付き合いとなれば、僕はパートナーを異性としては見ない様にしている。
これから数時間だけは古河さんを女性ではなく、仲間として見させてもらうよ。
一応、僕は統轄的な上司でもある訳だし。
やる事はやらないとね。
★
「……あの、古河さん?」
「す、すいません、高野崎さん、その」
社用車で出発してしばらくすると。
古河さんが運転する車はどこかの地下駐車所へと向かっていき。
そして、人気の無い場所で止まった。
「古河さん? 僕たちは営業をしにだね、あの?」
「ご、ごめ、ごめんなさい」
謝りながら、古河さんは着ていたブラウスを脱ぎ始める。
け、結構大きいのかな? 中から出てきたのは、たわわに実った果実が二つ。
しかも下も脱ぎ始めているじゃないか! 黒いタイツがとてもエロティックですね!
「いや、え!? なに!? どういうこと!? なんで脱ぐの!? 僕達仕事中だけど!?」
「ごめんなさい!」
「謝るって、なにぃぃぃ!?」
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