第8話 強引な後輩の、素敵な偽装夫婦デート。①

 自分が休みだと、どうしても朝が適当になってしまう。

 仕事の日はアラームセットをしなくても時間になると起きるのに、気づけば時計の針は随分と高いところにあるじゃないか。


 とはいえ、今日は土曜日。

 頑張って起きる必要もないし、朝食だって昨日の夜に買ったパンがある。

 もう少し惰眠を貪ろうかなぁと、布団の中でゴロンと横になった、その時。


「おはようございます」

「…………え?」


 僕はまだ布団の中にいる。

 寝巻の状態だし、なんならまだこれから寝ようとしていた所だ。

 なのになぜ、目の前に古河琴子さんがいるんだ。


 彼女とは同じ会社で働く仲間ではあるが、勝手に家の中に入るような間柄ではない。

 しかも古河さん、会社だと眼鏡かけてるのに、今はしてないし、きちんとお化粧もしている。


 服装も気合が入った感じだ、フリルがついた薄茶のブラウスに、腰をきゅっと締める感じのボタニカルスカート。肩から下げているバックも暖色系にまとめていて、なんていうか、大人の魅力満載感が凄いというか。


「もう、先日十一時にお伺いするって約束したじゃないですか。その様子だと、完全に忘れてたみたいですけど?」

「あ、いや、あ、そ、そうだったね。ご、ごめん、完全に……って、どうやって家の中に?」

「菜穂ちゃんに開けてもらいました」


 菜穂ぉ……、知らない人を勝手に家に上げちゃ駄目だよぉ。

 古河さんは知らない人じゃないけどさぁ。 


「とりあえず、さっさと着替えて下さい。菜穂ちゃんもお買い物行きたくてうずうずしてますよ? それまでは片付けでもしながら待ってますから」


 うずうずしてる? 布団から起き上がって襖の向こうのリビングを見ると。


 なるほど、ピンクの花柄ワンピースに袖を通し、可愛らしい帽子をかぶって満面の笑みを浮かべている菜穂が、踊りながら僕を見ているじゃないか。横に置かれた薄手のコートを羽織って一秒でも早く外に行きたいって、そんな顔をしている。


「……って、あの洋服って」

「あ、気づきました? 以前お伝えした姪っ子のおさがりです。お洋服あるよって菜穂ちゃんに伝えたら、今すぐ着るんだー! って、菜穂ちゃん大喜びで着始めちゃったんで。でも、数着しかありませんから、新しいのを買いに行かないとですよ」

「いや、前にも伝えたけど、前のが残した洋服が」

「それは全て処分しましょう」


 腕を組みながら僕を見る古河さんの目は、なんていうか、どこはかとなく鬼を連想させた。

 

「死別なら一生ものですけど、前の人は浮気して高野崎さんと菜穂ちゃんを捨てていったんですよね? だったらそんなもの直ぐさま捨て去ってしまった方が良いんです」


 余計なお世話かもしれませんけどね、という言葉を添えながら、古河さんはリビングへと行き、菜穂と一緒に僕から見えない場所へと移動してしまった。


 確かに、古河さんの言う通りだ。

 僕はあんなに酷い仕打ちを受けたのに、まだ心のどこかで江菜子が引っかかっている。

 もう裁判も終わり、完全に決着はついたっていうのに。


「……そう、だよな」


 誰に聞かれるでもなく、一人ごちる。 

 家の中に残っている江菜子の私物は、僕が知る限りでは何もないはずだ。 


 だけど、江菜子が選び、買った洋服なんかは、まだまだ沢山残ってしまっている。

 僕のいま着ている寝巻だってそうだ、布団もそう、全部江菜子と一緒に選んだものだ。


 住む場所は変えないのかって、心配してくれた両親にも言われた。

 けど、調べた限りでは、江菜子は家での密会はしていない。


 菜穂の人間関係もあるし、引っ越しまでは……って考えてたのだけど。

 どうやら、僕は人として甘々なのだろうな。

 古河さんの様な対応こそが、きっと正しいのだろう。


 布団から出て、僕なりに身なりを整える。

 剃り残しもないし、鼻毛も出てない。

 服装は古河さんに合わせて暖色系にして、少し冷える春先でもおかしくないニットセーターに、カジュアルなズボン。髪型はいつもの会社に行くときの様な、七三を少し崩した感じで良いだろう。

  

 ……少しは古河さんに見られる男になっただろうか?

 そんな事を思いながらリビングへと向かうと、そこにはキッチンに立つ古河さんの姿が。


「お待たせしました、今すぐ出かけられますけど……って、随分と良い匂いがしますね」

「本当はお昼を外食にしようかと思ってたんですけど、冷凍庫の中にレトルトが山盛りになっていたので、これはダメかなと思い即興で作りました」


 即興で作ったって古河さん言うけど、納豆チャーハンに味噌汁、味噌汁の中には麺も入っているのか? それに僕の食卓にはあまりでないサラダまである。


 意外と切るって作業が面倒で、作らないんだよね、サラダ。

 既に食卓にならべられたそれらを見ながら、僕も席についた。 


「ありがとう、何から何まで本当に」

「いいえ、いいですよ。色々と大変なのは理解できますし。あ、でも、同情とかじゃありませんからね? ちゃんとした理由あっての事ですから」

「そうなんだ、てっきり同情からかと思ってた……理由って?」


 湯気立つ美味しそうなご飯を前にして、何気なく古河さんに質問するも。

 少し間を開けてから「秘密にしておきます」と、はぐらかされてしまった。

 

 ちょっとは気になったけど、もう菜穂は我慢の限界だ。

 よだれを垂らしながらご飯を待っている菜穂の口元を拭いてあげて、きちっと両手を合わす。

 

「いただきます」


 口にほおばるなり、美味しいが口の中を支配する。

 納豆とご飯なんだ、合わない訳がないじゃないか。

 お肉や細かく刻まれた人参やピーマン、玉ねぎまで隠れていて。

 そこに付け合わせとして添えられたキムチが更に食欲をそそる。

 

 正直なところ、納豆チャーハンなんて食べるのは生まれて初めてだ。

 まずその発想が僕には思い浮かばない。

 納豆とご飯は乗せて食べる、もしくは生卵と一緒にっていう定番メニューが限界だろう。 

 ガツガツと勢いそのままに、僕は盛られていたお皿を綺麗に平らげてしまった。


「おかわりします? どれだけ食べるか分からなかったので、冷凍ご飯を結構な量使ってしまい、まだまだ沢山あるんです」


 そのお言葉に、僕は喜びながらお皿を差し出したのであった。 



 おいしい昼食を終えた後、僕は食器を片付けると、それじゃあと出かける準備に取り掛かる。

 以前は財布に携帯、鍵束を持てば終わりだったけど、今は菜穂の分も用意しないといけない。

 ……と思い、靴を履く前に振り返ったんだけど。


「どうしました? 何か忘れ物でも?」

「……あ、いや、大丈夫。ありがとね、菜穂の準備まで」

「これぐらい当然ですよ。やっぱり、女の子の事は女の子がしないと、ねー」


 古河さんの「ねー」に合わせて、菜穂も「ねー」と首をかしげながら反応する。

 とても微笑ましい風景に、僕は自然と笑顔になっていた。


「あれ? 私の車で行かないんですか?」

「うん、古河さんの車ってコインパーキングでしょ? ガソリン代とかも申し訳ないし、僕が車出すから、それで行こうよ」


 古河さんの車を一旦コインパーキングから出して、それから僕の普段使ってる駐車場に入れてもらい、予め僕が出しておいた車で行こうって話だ。家まで来てもらった上に、彼女の車で更に買い物に行こうというのは、さすがにダメだろう。

 

「そう言って頂けるのなら……ご厚意に甘えようかな。あ、そうだ! 菜穂ちゃん、お姉さんの車にちょっとだけ乗ってみる? 赤くて小さくて可愛い車なんだよ? この先のコインパーキングにとめてあるんだけど――」

「かあいいの!? なほ、かあいいのしゅきー!」

「あ、菜穂ちゃん、走っちゃダメだよ! 菜穂ちゃん!」

「菜穂! 待ちなさい! 菜穂!」


 ぱたぱたと走りはじめた菜穂を追いかけて、僕と古河さんも走り始める。

 意外と小さい子でも、走る時は速いものだ。

 小さい菜穂を捕まえようとしながら走っていると、それだけで菜穂は楽しいらしく。


「きゃははは!」


 するりするりと大人二人の手から逃げる菜穂をようやく捕まえる頃には、結局僕達は二人してコインパーキング近くまで来てしまう事に。古河さんの赤い車を前にして、菜穂はニコニコと満足そうだ。

 

「あははは、菜穂ちゃんって足はやいんだね」

「はぁっ、はぁっ、す、すいません古河さん! 菜穂、勝手に一人で走っちゃダメでしょ!」


 古川さんに抱っこされた菜穂は、楽しいをいっぱいの笑顔で僕にこう言った。


「ぱぱ、なほ、かけっこはやいでしょ!」

「うん、早いよ、お父さんびっくりしちゃた」

「ままもびっくりした!?」


 突然の菜穂の問いかけに、古河さんは硬直し、瞳を大きく開いた。

 

「……すいません古河さん、菜穂、古河さんはママじゃないよ」

「あ、なほ、まちあえちゃた。ごえんなたい」


 菜穂の言葉に特別深い意味はない、思わず出てしまった言葉なのだろう。

 江菜子にこうあって欲しかったという、菜穂の願望もあるのかもしれない。

 でも、それらを叶えられなかったのは、僕のせいでもある。


 結局、古河さんの車まで行ったものの、チャイルドシートの問題もあったため、僕の車で買い物に向かう事に。

 終始笑顔の菜穂をチャイルドシートに乗せると、僕は改めて古河さんへと頭を下げる。


「すいません、さっきは菜穂が変なことを言ってしまって」

「いえ、大丈夫ですよ。やっぱりあのくらいの子には、お母さんが必要でしょうし。そうですね、今日ぐらいは菜穂ちゃんのお母さんとして、一緒に買い物に行く感じで行きましょうか。となると……高野崎さん? お父さんとしてのエスコート、期待してますからね?」


 車ごしに指を振りながらウインクして、古河さんは助手席へと乗り込む。

 お父さんとしてのエスコート……か、果たして僕に出来るのだろうか?

 家族を放置して、仕事だけに生きてきた、僕に。

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